第46話 クソ野郎、前歯全損

 りゅん、と曲線を描いて滑る様に放たれた俺の右拳が野郎の顔面、その中心部へと吸い込まれていく。

 腕全体をしならせて放つこの変則的な打撃は、形的にはフリッカージャブに近い。その特性上体重を乗せ辛いので、正直ダメージを与えるのには向かない……が、それはあくまで大型種のドラゴンを相手にした場合の話。

 脱力の状態から瞬時に関節部と筋肉をフル稼働させて放てば、閃光と呼べる程の速さが生まれる。そこに俺の筋量ウェイトが乗れば、叩き出される威力は人を壊すには十分過ぎる代物となるのだ。

 しかし、今の俺にエルヴィンクソ野郎を殺す意図は無い……否、死なれては困る。何故なら、俺にはこいつをつもりなど欠片も無かったからだ。

 故に、この攻撃は速度のみを求めた一撃に抑える。威力は出ないが、スピードは通常よりも更に一段階上がる事になる……と言っても、視覚で捉えられない程のスピードで俺の腕が飛べば、それなりの威力はどうしても乗る……が、そこは着弾の瞬間に加えれば問題無い。

 ここまで来れば、自ずとこの一撃を物理的に防ぐ手段は限られてくる。ましてや相手は立ち方、歩き方、所作……どれを見ても、格闘術の心得など無いド素人。魔法のレベルは高いのかもしれないが、そんな物はこの瞬間を凌ぐ手段とは成り得ない。

 つまり、こいつがコレを捌ける可能性は……0%って事だ。


「は――ガッ!?」


 無防備に踏み出していた上、俺の気に当てられて動きが止まっていたのだ。躱せる道理も無ければ、俺が変則打撃パンチを外す理由も無い。

 寸分違わず撃ち込まれた拳が、エルヴィンクソ野郎の鼻を砕いた感触が手甲越しに伝わって来た。

 その情報がタイムラグ無しで脳に伝達された瞬間、俺はコンマ数秒の間すら残さずに放たれた右腕を鞭の様にしならせて、撃ち込まれた拳が顔面を完全に破壊するより速くこちらへ

 速度を保ったままの腕を、再度エルヴィンクソ野郎の顔面に放つ。しかし、今度の一撃は打撃によるダメージを狙ったものでは無い。

 加速した思考の中、目に映る景色は酷くゆっくりと動いていた。その世界の中で俺が捉えていた物……それは、先程の先制攻撃で仰け反り、血を撒き散らす顔面の中で白く色付いている部分――だ。


「アがっ!!?」


 半開きになっていた口の中に、俺は伸ばした右手の親指と人差し指を滑り込ませる。突如自分の口腔内に侵入して来た異物に、エルヴィンクソ野郎はくぐもった声を漏らした。

 それを気にする事も無く、俺は挿し込んだ親指と人差し指の第二関節で上顎の前歯を無造作に掴むと、後ろに傾いた頭部が俺の力で動きを止める瞬間を狙い――スナップをきかせて、思い切り下に向かって引き抜いた。

 初撃と同等のスピードで行われた攻撃。その速さのお陰で、俺はエルヴィンクソ野郎の体を引きずり倒す事無く、に成功した。


 ――ぷちり――


 歯の神経が呆気無く千切れる微かな感触と音さえ、俺の五感はハッキリと捉える。あぁ、良かった……狙い通り、


「――~~~~~~~~ッッッッ!!?!??!」


 一拍の間を置き、エルヴィンクソ野郎を想像を絶する激痛が襲う。

 もし歯医者に行き麻酔を行わずペンチで強引に抜歯を行えば、どれ程の苦痛が身を襲うか、想像に難くない……だが、これで終わりじゃ無い。まだの作業が残っている。

 鼻を砕かれ前歯を失ったエルヴィンクソ野郎は、血に濡れた顔の下半分を手で覆って膝を付こうとした……が。


「おい、誰が座って良いっつったバカ野郎」


 平坦な声でそう告げると、俺はその下顎にピンポイントで右膝を合わせてやった。

 重力と本人の動きによる下降、それに俺の膝蹴りが最高のタイミングで重なった瞬間……幾つもの歯が、散弾の如く飛び散った。


「かひゅっ」


 大量の歯を失ったエルヴィンクソ野郎の体が、衝撃で大きく上に跳ね上がる。マヌケな悲鳴を上げたエルヴィンクソ野郎に侮蔑の視線を向けながら、俺はその胸ぐらを制服とローブごと片手でがっしりと掴み、そのまま宙吊りにした。


「おぉ、いい顔になったじゃねぇか。さっきよりもイケメンなんじゃねーの?」


 嘲りと共に口角を釣り上げた俺と、顔面が酷い事になっているエルヴィンクソ野郎の視線が重なる。その瞳からは既に冷ややかに物を見る色消え失せ、代わりに目の前に居る野蛮人に対する恐怖の色が濃く浮かんでいた。


「は、はにを……」


 歯を砕かれ顎に罅を入れられながらも、エルヴィンクソ野郎は俺の腕を両手で掴み、震えながら必死で声を漏らす。

 “何故自分がこんな目にあっているのかまるで分らない”――そんな心の内がありありと見て取れる表情と声音に、俺の口角は自然と下がり怒りのボルテージが一段上がった。


「何を、だと?」


 ぎちりと右手が軋むと共に、部屋に満ち溢れていた怒気が一点に収束する。言わずもがな、その相手は目の前にいるこのエルヴィンクソ野郎だ。


「ラトリアは俺達の大切な仲間だ。そのラトリアが、目の前で訳の分からねぇ事をほざいてる畜生にされそうになっている。仲間なら、助けるのは当たり前――」

「わ、わらひはがひゅいんのへんきゅうひゃらぞ……ほんなほほをして、たられひゅむと……」


 ほう。俺の言葉を遮って阿保みたいな活舌で逆に脅してくるか。この状況下でそんな真似が出来るのは胆力云々では無く、単純にこいつが状況と自分の罪を理解出来ない馬鹿だからだろうな。


「あ? 何、学院の名前出せば俺が泣いて謝るとでも思ってんの? もしそう考えてるなら、相当おめでたい頭してんなお前……そう言う脅し文句は、に使うもんだぜ」


 再び口角を釣り上げてそう告げると、エルヴィンクソ野郎の顔から僅かに残っていた一縷の希望が消え去った。

 俺の言葉は、詰まる所『俺に脅しは通じない』と言う死刑宣告だ。論理的な話し合いが不可能な以上、社会的地位等を盾に俺を止める事は不可能だと理解したのだ。


「学院に籍を置くお前にこんな真似したらどうなるのかなんて考えちゃいねぇし、興味もねぇよ。だがそうだな……学院がもしお前の事でいちゃもん付けて来るようなら、俺が


 ドスの効いた声でそう告げれば、ひゅっとエルヴィンクソ野郎の喉が鳴った。

 コイツは何を馬鹿げた事を言っているのか、とでも思っているんだろうが、生憎俺が言った事は脅迫じゃない……ただ、を告げただけだ。


「なぁ、今度は俺が聞いていいか?」


 パッと笑みを作りながら明るい声でそう口にすると、エルヴィンクソ野郎の体がびくりと震える。流石に、俺が突然浮かべた笑貌えがおが、この状況を軟化させる物だとは思わなかった様だ。


「さっきの一連のやり取り見てて気になったんだけどさぁ……お前、何でラトリアの事を? 協力、何て口にしてた位なんだから、仲は悪くないよなぁ?」


 笑みを浮かべたまま声だけをまた低くして問うた俺に、エルヴィンクソ野郎は歯の無い口をへの字に閉じる。

 ここに来て漸く、こいつは何が原因で自分がこんな目にあっているのかを理解した様だ。しかし、理解したからと言って納得するつもりはらしい……オーケーオーケー、上等だこの野郎。



「答えられない? 何でそうしたのか自分でも分からない? よし、じゃあ俺が代わりに答えてやろう――それはな? お前がラトリアの事を、からだ」



 俺が告げた真実に、エルヴィンクソ野郎は一瞬目を泳がせる。それが、俺の指摘が正しい事を示していた。

 ミキッと音を立て、防具が筋肉の動きに合わせて僅かに膨張する。このボケがァ……自分で確認しといて何だが、尚の事腹が立ってきたなァ!

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