第47話 憤怒と後悔

「……名前ってのは人間を形作る上でとても、とても大切な要素だ。名前が無けりゃ、そいつは“個人”じゃなくなっちまうからな」


 人間は理性を持ち、言葉を交わしてコミュニケーションを取る生き物だ。名前が無ければ、そのコミュニケーションの上に成り立つ社会に入り込む事は出来ない。それは、とても残酷な事だと俺は思う。


「その名前を呼ばないって事は、そいつの“個”を蔑ろにしているって事だ。だから、ラトリアの意見も何も聞かずに一方的に連れて行こうとしたし、それが当然の事の様に振る舞った。まさか、ここまで追っかけて来た相手なのに、名前を知らないって事はあり得ねぇよなぁ……それとも、普段から使ってる何かがあったか? それをここで口にするのは、都合が悪かったか?」


 俺の指摘に、エルヴィンクソ野郎は大きく目を見開く。こんな馬鹿げた事をやらかす俺に、ここまで物事を考える力は備わっていないと思っていたんだろう……つまり、肯定って訳だ。

 更にきつく野郎の首を締め上げようとする右腕を、何とか抑え込む。まだだ、まだコイツには聞きたい事がある。


「……さっきまで取っていたあのふざけた態度と合わせるならよ。お前、ラトリアの事をだと思ってるだろ?」


 真正面から睨み付けてそう吐き捨てれば、最早取り繕うのは不可能と考えたのかエルヴィンクソ野郎は“そうだ”と言わんばかりに不貞腐れた様子になる……こいつ、マジでぶっ殺してぇな。

 だが、これで確証を得た。こいつは、こいつ等は俺が考える中で“最も嫌いな奴等”に属するだ。


「否定の一つもしねぇでその態度か。あぁそうかい、よく分かった……」


 そう言って、俺はぐんと右腕を上げる。宙吊りになっているエルヴィンクソ野郎が俺を見下ろせる位の高さまで上げた所で、俺はピタリと動きを止めた。


「……ラトリアはな、頑張り屋なんだよ。憧れるものがあって、それに近づく為に、出会って間もない俺等に頭を下げて助力を乞える人間だ。スレイヤーになって、慣れない環境に身を置きながらも新しい事を学び、覚え、実践する。そう言う努力が出来る奴を、俺は好ましく思う……だからだろうな、ここまで腸が煮えくり返る思いになるのはよォ」


 俺の独白に応える形で、全身に力が漲る。これ程の怒りを覚えたのは久し振りだ……自分自身の力を制御出来るか、不安になるレベルの憤怒。それを隠す事も無く、俺はギロリと視線を上げた。



「俺はな、そういうラトリアみたいな人間を、上から踏みにじる様な真似をするテメェみたいな連中が――大っ嫌いなんだよッッッッッッ!!!!」



 空気をビリビリと震わせる怒号と共に、俺はエルヴィンクソ野郎を、オーバースローで遠慮無しに床へと叩き付けた。


「かはっ!?」


 したたかに背中から打ち付けられたエルヴィンクソ野郎の体が、床板を粉砕し、その口から空気と共に血が吐き出される。

 荒れ狂う俺の心を映した、技術もクソも無い力任せの一撃。だが、血を焦がすこの怒りはこんなもんじゃ収まらない、収まる筈も無い。

 ガレオには悪いが、部屋への被害を考慮する余裕は無いな。これでも簡単に死なれちゃ困るから、ギリギリのラインを攻めてるんだが。

 あばらと背骨の一部を損傷したエルヴィンクソ野郎を、俺は再び持ち上げる。ただし、先程までとは違い今度は足首を持って逆さ吊りにした。


「痛いか? 痛いだろうなァ! でもな、やめねぇぞ俺は。犬のクソにも劣るお前を見て、この上なくムカついてるからなァッッッッッッ!!!!」


 怒りを緩めず、俺は大きく振りかぶって再度エルヴィンクソ野郎を叩き付ける。

 おおよそ人間相手にする所業じゃないが、構う事はねぇ。こいつは人の皮を被った畜生、ヒトモドキだからなッ!

 追撃によって更に大きく損傷した床にめり込んだエルヴィンクソ野郎が、コヒューコヒューと息を吐く。そこから、絞り出すような声が聞こえた。


「お……おふぁえら……ふぁにをしふぇいる……わらひを……たすふぇろぉ……!」


 こいつめ……ラトリアに対して謝罪の一つでも口に出来ねぇもんかと、どうにかこうにか手加減してやったっつうのに、この期に及んで保身に走るか。つくづく、救えない野郎だ。

 そんなどうしようもない奴の口から微かに聞こえた言葉で、呆然としていた他の二人が我に返る。そして、俺の蛮行を止めるべく魔法の行使に踏み切った。

 上等だクソッたれ共め。上司だか同僚だか知らんが、この状況でこいつを助ける為に俺に歯向かえるその根性は大したもんだ。だが、そっちがそのつもりならこっちも手加減無しだ。

 ゆらりと、俺の標的がエルヴィンクソ野郎から二人に移ろうとした……その時だった。


「うぁっ!?」

「がっ!!」


 突如、魔法陣を展開し詠唱に入ろうとしていた二人の体が床に押し付けられた。背後から鮮やかにそれをやってのけたのは、この部屋の主であるガレオだった。


「そこまでだ。貴方方は、ギルドマスターであるこのの部屋で、一体何をしようとしている?」


 抵抗する二人の首根っこを押さえつけるガレオの手から、ぼうっと蒼と紫の炎が漏れる。それを見た二人は顔を青褪めさせ、抵抗を止めた。

 しかし口はまだ回るようで、床にへばり付きながらも俺を睨み付けると、ガレオに視線を戻して喚き声を上げた。


「きっ、貴様こそ一体何をしている!? 我等よりも、あの野蛮人を止めてエルヴィン殿を助けるのが先であろう!!」

「そ、そうだ! ギルドマスターである貴様が、何故ギルドに属するスレイヤーが行っている蛮行を止めない!?」


 荒い息を吐きながら捲し立てる二人を、ガレオは鼻で笑って悠然と言い放った。


「何故止める必要が? のはエルヴィン殿です。彼は自分の身を守る為に行動しているに過ぎない」

「なっ!? ど、何処をどう見れば――」

「先程」


 信じられない物を見る目で反論しようとした片方の男の言葉を遮り、ガレオは俺と無様に床にめり込むエルヴィンクソ野郎を一瞥した。


「先程、エルヴィン殿が耳を疑う発言をした際。何もしていない彼等を、エルヴィン殿は魔法を使って力づくで排除しようとしていましたなぁ。その為に態々一歩踏み出していたのを、自分は確かに見ましたよ」

「な、何を言って……!」

「ギルドマスターの執務室。そこで部外者が悪意を持って魔法を行使しようとした事がまず論外ですが、同じく学院からやって来た貴方達が、エルヴィン殿を止めなかったのも問題だ。本来なら自分がこの場でしている所ではありますが、幸い彼がエルヴィン殿を止めてくれた……もし学院がこれを問題と捉えるなら、紫等級スレイヤーでありギルドマスターでもある自分が彼の正当性を証言しましょう。幸い、自分は【煉獄】なんて呼ばれ方をしている身でしてね、ギルドも学院も含めてはそれなりに広いのですよ」

「「――ッ!?」」


 ガレオがニヤリと笑ってそう告げると、抑え付けられていた二人は目を見開き、やがて力無く視線を床へと向けた。

 ああ、成程。この場で立ち位置的に一番高い場所に居るのは間違い無くガレオだ。そのガレオが俺の身の潔白を保証すると言った。こいつ等とガレオの証言どちらを信じるかと言えば、間違い無く後者だろう。

 横暴としか言いようのない乱暴な手段ではある。だが、“権力ってのはこういう時に使うもんだ”とガレオは口を動かして不敵に笑った。いいね、参考にさせて貰おう。

 しかし、ガレオがコトハの親父さんと同じく二つ名持ちだったとは……何だかんだ言って、やっぱり俺なんかよりもずっと凄ぇ奴なんだなぁ。

 まぁそれは兎も角。ガレオにこうして場を収めて貰ったのはいいが、正直俺の気は収まっていない。破壊された床の間で掠れた息を漏らすエルヴィンクソ野郎に、俺が視線を戻そうとした時、不意に視界を艶やかな金髪が横切った。


「ここまでにしましょう、ムサシさん」


 静かな声でそう告げたのは、俺の正面に回って来たリーリエだった。その翡翠色の双眸が、揺れる事無く真っ直ぐに俺の目を見つめる。

『まだだ』『この程度で終われるか』『もっと壊せ』『もっと怒れ』『まだやれる』『止めを刺せ』……荒れ狂う心は、リーリエの言葉を振り切って燃え続けようとする。一点に収束していた怒気が、再び部屋の中に満ちた。

 しかし、リーリエはそれに全く臆する事無く俺に語り掛けた。


「ムサシさんが怒ったのは、当然だと思います。私も、止めるべきだと思いながら止めなかった位に、怒っていましたから」


 そう言って、リーリエは俺の血で汚れた手を取り、手甲の上から優しく包む。それだけで、俺の内側で燃え盛っていた炎は急激にその熱を失っていった。


「でも、もうお終いにしましょう。これ以上のは、ラトリアちゃんだって望んでいません」


 リーリエが一言紡ぐ度、理性と言う鎖が俺の衝動を丁寧に縛り上げていく。真っ赤に染まっていた思考は徐々に透き通っていき、やがてクリアになった。


「そう、だな。すまん」

「謝らないで下さい、ムサシさん。誰も責めたりなんか……しませんから」


 そう言って小さく笑みを作っリーリエを見て、俺の憤激は漸く収まった。

 落ち着きを取り戻した所で、俺はゆっくりと背後に目を遣る。そこには、倒れ伏すエルヴィンクソ野郎を真顔で睨むコトハと、少し哀しそうな表情のアリアが居た。

 そのアリアの腕の中には、ラトリアの姿があった。恐る恐ると言った様子で俺と目を合わせた時、その肩が小さく跳ねたのが分かった。


(あぁ、そりゃそうだよな。こんな光景を作った奴が目の前に居るんだ、普通はおっかなくて仕方がないよなぁ……)


 失敗した、と小さく心の中で呟き俺は頭を掻く。散々当たり散らしたが、ラトリアを怖がらせたという点では……俺もエルヴィンクソ野郎も変わらない、か


「あー……悪い、少し頭を冷やして来る」


 皆の返事も聞かず、俺は背を向ける。このままここに居てもラトリアの気が休まらないだろうから――。



「……まって!!」



 自嘲気味に深く息を吐きながら出て行こうとした俺を、力一杯叫に叫ばれた声と必死に腰を掴んだ小さな手が引き留めた。

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