第62話 白狼、ムサシの寝相の悪さに堕つ

【Side:コトハ】


≪月の兎亭≫を、宵闇の海が満たす頃。うちの姿は、住み始めたばかりの自室では無く、ムサシはんの部屋――その、扉の前にあった。

 そっとドアノブに手を掛けて音も無く開ければ、部屋の中に動く人影は無い。代わりに、部屋の大部分を占める大きなベッドに仰向けに寝転んでいるムサシはんの姿があった。

 うちは静かにドアを閉め、物音一つ立てずにムサシはんの枕元に立つ。聞こえてくるのは、規則正しい寝息と微かに外から聞こえて来る夜風の音のみ。

 うちは、ムサシはんを起こしてしまわない様にしゃがむと、ベッドの端に手を乗せその寝顔を観察する。

 何故うちがこんな事をしているかと言えば、それはとても些細な理由からだった。

 以前、うちがハガネダチに深手を負わされた時、治療院でうちはムサシはんに見守られながら朝を迎えた。当然、寝顔も見られている。

 思い返すと、少し恥ずかしい話な訳で……今度はうちがムサシはんの寝顔を見てやろうと思ったのだ。

 それでお相子……自分で行動を起こしておいてなんだが、余りにも子供っぽ過ぎる理由である。そもそも、ただ寝顔を見るだけなら、既に野営の時に見ているのに。

 しかし、もうここまで来てしまった。後戻りは出来ないので、暫くこうして眺めている事にした。


「……なんや、えろうギャップがありはるなぁ」


 自分だけに聞こえる位の小さな声で、うちは呟く。

 うちの中で、ムサシはんはドラゴン相手に信じられない膂力で大立ち回りを演じているイメージが強い。

 しかし、今目の前で眠っているうちの愛しい人の寝顔は、とても穏やかなだ。体こそ大きく、顔立ちも彫の深い厳つい物ではあるが、こうして見ていると“優しい巨人”と言う印象がある。

 普段の軽口を叩くムサシはんも、戦いで獰猛に嗤うムサシはんも、こうして無防備に眠るムサシはんも……全部、ムサシはんが持つ多様な一面の一つと言う訳だ。


「そう言うの全部ひっくるめて、好きになったんやけどね……」


 ふっ、と笑ってうちは静かに腰を上げる。

 もう十分見させて貰った。これ以上ここに居てムサシはんの睡眠を邪魔したらいけないし、そろそろお暇しよう。

 立ち上がって、うちはムサシはんに背を向ける。そのまま来た時と同じ様に、音を立てずに部屋を後にしようとした……その時だった。


「――うひゃっ!?」


 一歩その場から踏み出そうとした瞬間、電撃の様な感触が腰から脳天にかけて駆け抜ける。

 思わず少し大きな声を上げてしまったうちは、パッと口を押えてゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはうちの尻尾を左手で鷲掴みにしているムサシはんの姿があった。

 強くもなく、弱くもなく。絶妙な力加減でうちの尻尾をにぎにぎするムサシはんに、うちは声を潜めて非難の声を上げた。


「ちょ、ちょっとムサシはん!? いきなり何すん――」

「うーん……ぬぅ」

「えっ!? ひゃっ!」


 うちが文句を言い終わる前に、ムサシはんが大きく動いた。尻尾を掴んだまま、流れる様な動作で体を起こすと、しゅぱっと右腕でうちの腰に手を回す。

 突然の行動に、呆気に取られたうちは全く動けず、さしたる抵抗も出来ないままうちはベッドの中へと引きずり込まれてしまった。

 ドスン、とムサシはんがベッドへと再び寝転がる。うちの体は、その太い両腕に包まれたままムサシはんの体の上に、うつ伏せの体勢で倒れ込んだ。


「あ、え? む、ムサシはん?」


 一瞬思考が止まったが、我に返ったうちは恐る恐るムサシはんの顔を見る。

 ……寝てはる! 瞳は閉じられ、先程まで聞いていた寝息もしっかりと聞こえて来ていた。狸寝入りをしている様子も無い。つまりこの行動は寝ながら無意識に起こした物と言う事になる。

 そこで、うちは今の自分の恰好を思い出した。薄い寝間着を下着の上に着ているだけで、それ以外の物は一切身に付けていない。

 それ故に、今のうちは露出している脚や腕、胸元がほぼ直にムサシはんの体に触れている状態だ。それを自覚した瞬間、顔に熱が集まるのが分かった。


「ね、寝ぼけてはるんやろか? とにかく、どうにかして脱出せなあか――んひゃぁっ!?」


 ビクン、とまたうちの体に電流が走り、堪え切れずに悲鳴を上げてしまった。

 ムサシはんが、またうちの尻尾を掴んだのだ。しかも今度はただにぎにぎするだけでは無く、指でこねくり回し始める始末。

 そ、その動きがやたらとねちっこい! そして追撃を加える様に、腰に回されていた右腕がうちの頭に回され、耳の付け根をワキワキとした指つきで揉み始めた。


「ちょっ、ムサシは……んやぁっ!」


 ピリピリとした感覚が薄っすらと快楽に変わり始めた頃、本格的にうちはこの状況がかなり不味いモノだと認識する。

 た、多分ムサシはんに悪気は無い。普段の立ち振る舞いを見ても、自分からこう言った助兵衛な事をする様な人じゃない……。

 つまり、今のムサシはんはうちの事を抱き枕か何かと勘違いしているという事だ。そうなると、うちとしては怒るに怒れない。

 それに、余りにもいかがわしいこの姿をリーリエはん達に見せる訳にはいかないから、大きな声を出してムサシはんを起こす訳にも……!

 どうしよう、どうしようと考えている間にも、ムサシはんの手つきはエスカレートして行く。大分小慣れてきたのか、その動きはより一層いやらしい動きになっていった。


「む、ムサシはん……堪忍、堪忍してぇ! これ以上は、ほんまにアカンよぉ!」


 そんなうちの懇願は、今のムサシはんには全く届いていない。穏やかな寝顔のまま、うちの体を弄ぶのを止めてくれない。

 の本能か、ムサシはんの助兵衛心がそうさせているのか……どうして、そんなにうちの弱点を的確に突き、攻め立てられる!?

 うちの口が半開きになり、荒い息と共にだらしなく涎が流れ始めたのが分かった。不幸中の幸いと言うべきか、ムサシはんは未だに寝入ったままなので、今のうちの醜態を見てはいない。

 しかし、どうしても声が出てしまう。それで起きられたら、もう恥ずかし過ぎて穴を掘って埋まりたくなるのは確実だ!


「んっ……んくっ……!」


 どうやって声を抑えるか、それを考えた時。何を血迷ったのか、うちはとんでもない行動に出た。

 ムサシはんが寝間着代わりに来ているいつものタンクトップ。咄嗟にそれに噛みついて、うちは声を無理矢理噛み殺そうとしたのだ。

 だが、待って欲しい。そんな事をすれば、当然涎がタンクトップに染み込んでしまう。ムサシはんが朝起きた時、自分の着ていた衣服に付けた覚えの無い不自然な皴と液体の名残が残っていたらどう思うか……あ、あまり考えたくない!

 だが、こうするより他無い。体の動きを制限され、自分の寝間着を噛むのは不可能。うちには、もうこの選択肢しかなかったのだ。


「む……ん~」

「っ!?」


 涙目になりながらも、を踏み越えない様に堪えていた時……不意に、ムサシはんの手が止まった。

 た、助かった……? 一瞬の安堵と共に、うちの口が離れる。


 ――しかし、その油断が致命的なモノとなってしまった。


「くぁ……」

「ふぇ?」


 ふっ、とムサシはんの左手がうちの尻尾から離れる。同時に、目を瞑ったままのムサシはんの口が大きく開かれたのを、うちの視界が捉えた。

 その常人よりも大きくて太い犬歯が窓から差し込む月光を反射した時、ぞわりとしたが、背筋に走る……ま、まさか。


「む、ムサシはん! やめ――」


 切羽詰まったうちの声が、今のムサシはんに聞こえる筈も無く。次の瞬間、ムサシはんはうちが予想した通りの行動を取った。



 ――かぷ。もっちゃもっちゃ。



 浮いた左手がうちの尻肉を鷲掴みにするのと同時に、ムサシはんの開かれた口が、直ぐ傍でピクピクと震えていたうちの耳に噛みつく。

 下の衝撃と上の甘噛み。その二つに晒されたうちの体は……限界を、超えた。



「~~~~~~っっ!!??!?」



 全身を隙間無く駆け巡った快感と共に、うちは声にならない悲鳴を上げて、そのまま気を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る