第47話 VS. 斬刃竜ハガネダチ 8th.Stage

 その質量とスピード、鋭利で分厚い外殻を生かした突進をブチかましてきたヴェルドラに対し、俺は爪先から腕の先端までかけて筋肉と関節をフル稼働させて放った右ストレートを叩き込む。

 純然たる力と力。それが衝突した時、俺とヴェルドラの周りにあった水面が

 インパクトの瞬間、互いの力が拮抗する。しかし、俺にはその均衡を維持しようなどという気は毛頭無かった。


「ぬっ――オ゛ル゛ァ゛ッッ!!」

「ガッ!?」


 俺はガチガチに固めた拳を、膂力に任せて強引に振り抜く。ビキキッ、と言う外殻に罅が入る音と共にヴェルドラの頭が押し返され、俺が腕を振り抜き切った瞬間にヴェルドラはその巨体を大きく仰け反らせた。

 コイツは、あのハガネダチとは真逆だ。相手の急所を狙った繊細な攻撃など一切せず、持って生まれた強者としての力を全力で振るう。

 その戦法は、何も間違っていない。何故なら、このヴェルドラにはそんな無茶苦茶な戦い方が許される位の力があると同時に、矮小な人間を殺す事に悦など感じないからだ。

 非常にドラゴンらしい戦い方だと思う。少なくとも、あのハガネダチを相手にしている時の様な薄気味悪さは無い。あるのは、ただひたすらに美しい“野生”だ。

 唯一つドラゴンらしからぬ点があるとすれば、このヴェルドラは俺を明確なパートナーの仇と認識していると言う所か。

 ドラゴンの雄は基本ドライである。群れで行動するドラゴン等でなければ、一度交尾をし終わったらその後の子育て等は雌に任せて、自分は新たな雌を探しに行くもんだ。その方が、より自分の子孫を広範囲で残せる確率が上がるから。

 しかし、一口にドラゴンと言ってもその性格は千差万別。あのハガネダチの様に歪な性格の奴もいれば、このヴェルドラの様な奴も居る、って事だな。


「グッ……ガアアッ!!」


 強烈に脳を揺さぶられながらも、ヴェルドラは体勢を立て直す。そのままと身体を反時計回りに回転させ、エッジの利いた外殻に覆われた尻尾を横薙ぎに振り払った。

 ヴェルドラの巨体とパワーから繰り出されるその一撃は、並の防具や武器では受ける事すら敵わないだろう。

 そもそも体重で人間を遥かに上回るコイツの攻撃を正面から受け止めようって考えがアウトだ。受けるのではなく躱すのが賢い選択だ――が、生憎と俺はそこまで


「どっせいッ!」


 相手が人間だろうがドラゴンだろうが問答無用でブッ飛ばすであろうその一撃を、俺は左腕でガッチリとホールドして受け止めた。

 腰を低く落とし、体に掛かる浮力を腕力で押し潰す。凄まじい衝撃が全身を襲い、振り抜かれた尻尾が水を砕いて俺の体を横にスライドさせた……が、そこまでだった。ヤツが放った一撃は俺を殺す事も宙へ弾き飛ばす事も出来ず、逆に反撃の機会を与えてしまう。


「ふんぬァッ!!」


 ヴェルドラの尻尾に乗った遠心力をそのまま利用し、俺は左腕を固定したまま大きく体を反時計回りに動かす。全身の筋肉が唸りを上げると――自分よりも遥かに巨大で重いヴェルドラを、豪快に放り投げた。

 水面から引き抜かれてブン投げられたヴェルドラを見て思う……こんな事ばっかやってっから、ゴリラとか言われるんだよなぁ。


「グッ――!? ガアッ!!」


 そのまま盛大に転がって着水するかと思ったが、ヴェルドラは空中でその巨躯からは想像出来ない器用な動きで体勢を立て直して、きちんと両脚で着水した。


「マジかよアイツ、あんだけデカい癖になんちゅーバランス感覚……」


 俺が感嘆の声を漏らした時、チチチッと肌を悪寒が通り過ぎて行く。

 悪寒の正体は、直ぐに分かった。放り投げられたヴェルドラの口の中から、が噴き出している。それは滑落中に見た様な生易しい赤では無い。


「ガアアアアアアッ!!」


 俺が反射的に前方で腕をクロスさせると同時。ヴェルドラの牙が立ち並ぶその顎から、真紅の火球――竜の吐息ドラゴンブレスが吐き出された。

 弾丸の如き速度で放たれたそれは、一直線に俺へと飛来する。が、着水とほぼ同時に放った為かその火球は僅かに目測を誤り、俺の手前の水面へと着弾した。

 爆音と共に、火球が直撃した場所にあった水が一瞬で蒸発する。凄まじい熱量を持ったそれは、直撃はせずとも相手の命を奪うには十分過ぎる威力を持っていた。

 撒き散らされた熱と灼火が俺の体を焼く。蒸発した分を補う様に足元に流れ込んで来た水は瞬時に沸騰し、その様子はさながら五右衛門風呂と言った所か。

 普通なら大火傷で死ぬ……しかし、十年で鍛え上げられた俺の肉体はその道理を覆した。


「――この野郎、他人様を煮沸する気かテメー!!」


 白い蒸気が辺りを包み込む中、それを全て吹き飛ばして俺はヴェルドラへと向けて跳躍した。水の抵抗なんざお構いなしに跳べば、煮え滾る水面が盛大に水柱を作り出し、空中で急速に冷やされた水が辺りに降り注ぐ。

 空中を駆ける速度そのままに、俺は竜の吐息ドラゴンブレスの残滓を迸らせたままのヴェルドラを力任せに殴りつけた。


「ガッ!?」


 に、不意打ちに近い形で左の横っ面をブッ叩かれたヴェルドラは大きく身体を傾ける……が、即座に強靭な脚で踏みしめ転倒は回避した。


 ――しかし、そこで出来た隙がであった。


 怒りに目を光らせながら振り戻された頭に、俺は渾身のアッパーを叩き込む。顎を直下から打ち上げられたヴェルドラは、その頭を大きく上へと弾き飛ばされた。

 浮いた頭と首。俺の視界に、無防備に晒された胸部と腹部が飛び込んで来た……ここで、決着きめよう。

 ズン、と俺は腰を深く落とす。両脚の筋肉がと音を上げた。


「――フンッッ!!」


 気合一発。溜め込まれた力を解放し、俺は眼前にある胸部へと右手による掌底を叩き込んだ。

 寸分の狂いも無く正確に撃ち込まれたそれが胸部に触れた瞬間、波風一つ立たぬ所に水滴を落とされた水面の如くその身体を

 “パンッ!”と言う乾いた音が地底湖に木霊する……そして、一拍置いて遠くに何かが着水する音が聞こえ――水面が、鮮血で染まった。

 赤い土砂降りの中、断末魔一つ残さずにヴェルドラの巨体がゆっくりと傾いていき……朱色に染まった水を巻き上げながら、湖底へと横たわった。

 巨大な波紋が広がり、血を含んだ赤い水面を揺らす。体に降りかかる鮮血が止んだ時、俺は一つ息を吐いて、戦闘態勢を解いた。


「……好きなだけ俺を恨め、憎め。そして気が済んだら、嫁さんの所に行きな」


 眼を見開いたまま絶命しているヴェルドラに向けて、俺は静かに手を合わせる。

 掌底をぶち込まれたヴェルドラの身体は、胸部の裏側にある背面の外殻が綺麗に吹き飛ばされていた。そこから覗く臓腑と折れた骨、砕け散った竜核……即死だ。

 何か特別に思う所がある訳じゃ無い。コイツは俺を殺す為、俺は自分の身を守る為に戦って、その結果俺が生き残った。この世界に数多ある生存競争の内の一つが終わっただけに過ぎない。

 だが……仇討ちを成し遂げられなかったこのヴェルドラとコトハの姿が不意に一瞬だけ被った時、俺はかぶりを振ってその縁起でもない光景を打ち払った。

 コイツとコトハを同じモノサシで測るのは双方に失礼ってモンだ……大丈夫、コトハは成し遂げる。その為に、俺達が力を貸しているんだから。


「亡骸は……どうすっかなぁ」


 本来なら、砕けずに残った部分だけでも解体して持ち帰るべきだろう。だが、俺はどうにもそんな気分にはなれず……結局、その場に全て置いて行く事にした。

 仮に時間があったとしても、もしかすると俺は同じ行動を取ったかもな……。


「感傷的過ぎるかねぇ――フンッ!」


 センチメンタルな気分を打ち払うべく、俺は両手で顔をはたく……あっ、血塗れのままだったから手がぬちょぬちょや。

 取り敢えず血が混ざっていない場所まで行って体を洗おう。でもって、鎧と金重かねしげを回収してからリーリエ達と合流しよう。


「二人とも無事だとは思うが……んー」


 俺は転がり落ちて来た斜面の方を見上げ、その先に感覚網を伸ばす。

 どうにも、最初の場所からハガネダチの気配を感じないんだよな。恐らく移動したのだろう。となれば、このまま戻って二人と……。


「いや、この蟻地獄みてえな斜面とあの崩れた壁を突破するのは結構時間が掛かりそうだな……」


 二人の生存は微塵も疑っていない。ただ、ハガネダチを撃退したからと言って深追いをしている訳では無いと思う。

 ……リーリエは、俺がこのまま来た道を時間を掛けて戻って来るとは考えていない筈だ。上に戻った所で、壁はもう土砂で埋まってるだろうしな。

 は俺がそれを掘削してまで元の場所に戻るなんて面倒な真似をするとは思っていないと思う……これまで共に行動してきた俺の勘がそう言っているんだ、間違い無ぇ。


「だったら、別のルートから上を目指すか」


 幸い、この地底湖がある空間はどん詰まりという訳では無い。陽光が届かない場所を目を凝らして見れば、別の場所へ繋がっているであろう道が幾つか見える。

 その中に、ハガネダチ若しくはリーリエかコトハのニオイが乗った風が流れ込んできている場所があれば、それを辿って行けばいい。

 顎に手を当ててそう考えていた時、不意にポツリと頬に一滴の雫が流れ落ちた。


「……雨か」


 そう呟いて見上げた先にある天高く空いた大穴から、パラパラと雨が降り注いでいた。


 赤い湖面に幾つもの波紋が作りながら、血で汚れたヴェルドラの亡骸を慈しむ様に清めていく……俺にはそれが、まるであのヴェルドラを想うの涙の様に見えた。

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