第11話 眠れる簀巻きの復讐鬼
【Side:リーリエ】
雨脚が徐々に強くなっていく≪カルボーネ高地≫を、私を背負ってコトハさんを抱えたムサシさんが疾駆する。
マントで包まれてムサシさんの胸に固定されているコトハさんは、気を失った様に深い眠りに落ちていた。処置が功を奏したのか、あのドラゴンに突き落とされた直後程容体は悪くはない。それでも、急いでお医者様に見せる必要があるのに変わりは無いけれど。
そんな状況で、雨粒がローブを打ち付ける音がフードの中に反響する中、私は口を開いた。
「……ムサシさん」
「ん、どした?」
「どうして、コトハさんは一人であんな無茶な戦いをしたんでしょうか……」
私の質問に、ムサシさんはしばし閉口した後、速度を緩めずに語り始めた。
「……コトハがあのドラゴンと対峙していた時、俺が介入しようとしたら物凄ぇ剣幕で怒鳴って来たよな?」
「はい」
「リーリエも感じたと思うが、あの時にコトハが飛ばした殺気は尋常じゃなかった。“手を出せば殺す”……そんな気迫がビンビンと感じ取れたからな。で、そこには十中八九コトハが口にした“目的”って奴が絡んで来ると思う訳よ」
目の前に現れた大きな溝を、ムサシさんは一息で跳び越える。着地した時に水溜まりを踏んだ音が、やけに大きく聞こえた。
「その“目的”って奴の詳細は分からん。だが、恐らくそれはコトハが一人で成し遂げなければいけない物……なんだと思う。だから、俺達を間に入れようとはしなかった」
「……でも、その結果コトハさんは大怪我を負ってしまいました」
「そうだな。もしあの時……いや、最初にコトハが異音を聞いた時、俺達に話して一緒に行動していればまた結果は違ったかもしれない。あのドラゴンが出していた音には俺も気付いていた訳だし」
でもな、と言葉を区切ってからムサシさんは続ける。
「コトハが飛び出して行った時……リーリエも感じただろ? コトハの全身を覆った異質さっつーか何ていうかさ」
「そう、ですね」
その時の事を思い出すと、背中に寒気が走る。
私は、ムサシさんの様に気配や殺気等と言った物に聡いという訳では無い。でも、そんな私ですらあの瞬間のコトハさんが撒き散らした“気”という物に恐怖を覚えた。
「あの時にコトハが纏った雰囲気ってのは……言うなれば、全部感情の発露なんだ」
「感情の発露、ですか」
「ああ。憎悪、怨嗟、憤怒、悲壮……そう言った負の感情が、あのドラゴンの気配を察知した瞬間に内側から全部溢れ出ちまった」
負の感情。ムサシさんのその言葉を聞いた時、私はムサシさんの首に回した手に自然と力を入れていた。
一体、どんな経験をすればあんなに強烈な感情を持てるのか。自分の身を危険に晒す事に一切の迷いが生まれなくなる程の凄まじい激情を生み出す経験と言うのは、一体何なのか。
……命を投げうって、一人で成し遂げなけれならない目的とは一体何なのか。
「その感情に塗り潰されたコトハの瞳には、“何が何でもあのドラゴンを殺す”って色が浮かんでいたんだが……あれ程の憎悪を向けるってのは、中々出来るモンじゃない。出来るとすれば……“自分の大切な何かを傷付けられた時”だろうな」
「大切な何かを傷付けられた時……」
「ああ。自分自身が傷付いただけじゃ、
「……つまり、コトハさんはあのドラゴンに、その“大切な何か”を傷付けられた事があるって事ですか?」
「あくまで推測だがな。実際の所どうなのかは分からんが……多分、近いと思う。ただ、具体的な内容までは当然分からんし、コトハに聞いても素直に教えてくれるかは正直微妙だな」
標高がどんどん下がっていっている訳だが、雨脚は一向に弱まる気配が無い。降りしきる雨が、私達に圧し掛かる空気を更に重くしている感じがした。
……私は、どうだろう。自分の大切な何かを傷付けられて、コトハさん程の感情を抱けるのだろうか。そう考えた時、私はムサシさんに自然と問い掛けていた。
「……ムサシさんだったら、どうしますか?」
「え、俺?」
「はい」
「んー……そうだなぁ。今の俺にとって大切なモノってのは、リーリエやアリアの事になる訳だが……もし二人が傷付けられたら、俺はその傷付けた存在を間違いなく“殺す”だろうな」
何でもない事の様に、しかしはっきりとした口調でムサシさんは言い切る。
“殺す”――その言葉を聞いた時、私の頭の中にムサシさんが血塗れになりながら暴力を行使している姿が思い浮かび、思わず目を瞑ってしまった。
「……怖がらせちまったか?」
「少し……いえ、とても怖かったです」
「すまんな。だが、その位俺にとってはリーリエもアリアも大切な存在なんだよ……んで、その時の俺は多分コトハと同じ事を言うと思う。“手ぇ出すな!”っつってさ……そいつは俺が殺さなきゃならん相手だから、横槍入れんじゃねぇって」
「……コトハさんにとって、あのドラゴンはそういう相手?」
「だと思うけどな。ぶっちゃけて言えば、コトハにとってあのドラゴンは己の手で打ち滅ぼさなきゃならん怨敵、宿敵、仇敵って事なんだろう。だからこそ、無茶な戦いだろうが何だろうがやった……例え、自分が命を落としたとしても」
視界が徐々に開けてくる。遠くの方に馬宿が見えてきた所で、ムサシさんはグンと一段階ギアを上げた。
「ここまで言えば、大体イメージ出来て来るだろ? 何故コトハがあれ程の狂気を纏って戦ったのか、コトハが一体何を成し遂げようとしているのか……“目的”とやらの、正体が」
そう言って、ムサシさんがちらりとこちらを一瞥する。頭の中にある単語が思い浮かび、自然と口から零れ落ちていた。
「――復讐、ですか」
「アタリだ」
勿論、今の段階ではムサシさんが話している事も、私の考えも全て想像でしかない。実際は、全く違うのかもしれない。
でも……不思議と、私はこの予想が当たっている気がした。そしてそれは、多分ムサシさんも同じ。
「ムサシさん、コトハさんは五年前に故郷である≪
「ああ、本人はそう言っていたな」
「それって……最低でも五年、復讐の為に身を費やしてきたと言う……事、ですよね」
「……そうだな。わざわざ海まで渡ってまで一体のドラゴンを探す……正直言って、それは砂山の中に沈んだ一粒のガラスの欠片を探すに等しい」
ムサシさんの言う通りだ。広大なこの大陸の中で、どこに居るとも知れないたった一体のドラゴンを探し出すなんて、普通に考えれば無謀な事この上ない……でも。
「だが、コトハは探し出した。五年という歳月の果てに、目的のドラゴンを見つけたんだ……人知を超えた執念なくして、成せる業じゃない。俺達との出会いも、その執念が引き寄せたのかも分からん」
「……そんな。それじゃまるで、故郷を出てからの五年間、復讐を心の支柱にして行動してきたみたいじゃないですか」
そう言った私の声は、震えていた。だって、ミーティンで見た時のコトハさんは朗らかな笑みを浮かべていて、クエストの時だってあのドラゴンを見つけるまでは笑みを絶やさなかった……その笑顔が、復讐と言う仄暗い意志で支えられていたなんて思えない……思いたく、無い。
だが、そんな私の甘い考えをムサシさんの言葉が打ち崩していった。
「実際そうだと思うよ。寧ろ、その支柱があったからこそここまで来れたと言える……リーリエ、五年って歳月は決して短くない。“復讐心”と言う強烈な一念があったからこそ、海越え山越え見知らぬ土地を五年彷徨うなんて真似が出来たんだ」
「…………」
そこで会話が途切れる。馬宿まではあと少し……ダメ、私には今この場でムサシさんに言わなきゃいけない事がある。逃げるな、リーリエ。
「……ムサシさん。貴方の傍には、私もアリアさんも居ます。アリーシャさんやゴードンさん、シェイラさんだって、ギルドマスターだって居ますから。だから……これから先、何かの復讐の為に一人で居なくなるなんて事、絶対にしないで下さいっ……!」
震える声でそう言う私に、ムサシさんはゆっくりと話し掛ける。
「……分かった、約束する。約束するから……そんな泣きそうな声を出さないでくれよ、リーリエ」
困った様な口調のムサシさんの首元に、私は顔を埋める。
……怖かった。私やアリアさんが傷付けられたら、その傷付けた相手を殺すと言い切ったムサシさんが、いつか今のコトハさんの様に修羅道に堕ちてしまうんじゃないかと思って……私達の前から、居なくなってしまうんじゃないかと考えたら、今すぐに懇願しなければと思ってしまった。
「ふぅー……あんまり、深入りするつもりは無かったんだがな」
独り言の様に、ムサシさんが呟く。私は、それをじっと聞いていた。
「……コトハはたった独りでここまで歩んで来た。きっと、体調が元に戻ればまた孤独な戦いに身を投じるんだろう。でもな、紆余曲折あったとはいえ、こうして俺達と知り合ったんだぜ? それなのに、また独りに戻って復讐の炎に身を焦がすなんて、あんまりにも寂しいじゃないか……だから、
何か一つ、大きな覚悟を決めた様にムサシさんは静かに告げる。目の前に馬宿が迫り、ブレーキを掛けて止まった所で、私を背中から降ろした。
「コトハの目的……それがあのドラゴンに対する復讐だって言うなら、それを成し遂げられる様に手助けをする。クッソ余計なお世話だろうが、そんなの知った事じゃねえ。その為には、まずコトハがこうなった根本的な原因……それを知らなきゃならない。その為なら、説得でも土下座でも何でも使って、俺がコトハの口から直接聞きだす! ……でもってだな、その」
「私も協力しますよ、ムサシさん」
申し訳なさそうな顔でちらっちらっとこちらへ視線を向けるムサシさんに、私は胸を張って宣言する。
「……いいのか?」
「当然です、私達はパーティーなんですから。アリアさんだって、きっと協力してくれます。だから……存分にお節介を焼きましょう、ムサシさん」
そう言い切った私の顔を見て、ムサシさんが困った様な、何とも言えない笑みを作る。何ですか、せっかく人が覚悟を決めたのに! ……まあそれはそれとして。
「きっと、コトハさんが背負っている物は一人で背負うには重すぎる物なんです。だから、支えましょう。一緒に持つんじゃなくて、倒れそうになるその体を私達で支えるんです。そうした先で目的を達成したのなら、きっとコトハさんの本当の笑みを見られる……そう思いませんか? ムサシさん」
「……そうだな、リーリエの言う通りだ。俺達はあくまで支えるだけ、実際に目的を果たすのはコトハ自身の手で。その方針で行こう」
「はい!」
そう言って、私達は拳を突き合わせる。ムサシさんの胸で眠るコトハさんは、私達がこんな企みをしているなんて露ほども思っていないだろう。
「事情を話して、一番速い馬車の手配をしてきます」
「任せた、値は張っても最速の奴で頼むぞ!」
「分かりました!」
そう言って、私は馬宿の方へ駆け足で向かい、ムサシさんはコトハさんを固定していたブレードホルダーを外し始める。
降りしきっていた雨はいつの間にか止み、雲の隙間から青空と太陽が顔を覗かせていた。
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