第26話 酒は飲んでも飲まれるな

(……どうしてこうなった)


 宴も終盤に差し掛かった頃。表面では平静を装いながらも、俺は心の中で頭を抱えていた。


「ムサシさ~ん、飲んでますか~?」

「おっ、飲んでるぞ」


 俺の膝の上には、へにゃりとした顔をしたリーリエが足をパタパタさせながら座っていた。

 はい、完全に酔ってます。本当にありがとうございました。


「リーリエはそろそろお終いにした方がいいんじゃないかぁ? 顔真っ赤だぞ?」

「やっ!」


 俺のお開きの提案に、リーリエは首を振って俺にギュッと抱き着いてくる。まるで幼子だな……。

 幸いなのは、もう食堂内には俺達四人以外の客がいない為、この状況を見ているのはここに居る俺達だけって事だ。


「ん~、あったかい……」

「ちょっ、顔を擦り付けるなって! 色々と当たってるから!!」

「い~や~で~す~♪」


 俺の静止などまるで聞かず、より一層リーリエは俺の胸に顔をうずめてくる。くっそ! めっちゃいい匂いする!! おっさんの理性を鉄ハンマーで殴り付けるのはやめて!


「ムサシさん……いくら同じパーティーの仲間だからといって、そう言った事をするのはもっとお互いの事を知ってからの方がいいと思いますよ? まだ出会って数日でしょう? それにリーリエさんも飲み過ぎです、お酒の勢いに任せてそう言う事をすると、思いだした時とっても恥ずかしい思いをしますよ?」

「ごもっとも。しかしアリアさん、今貴女が話しかけているのは俺じゃなくて樽ジョッキです」

「……?」

「きょとんとしないで下さい! リーリエの事言えない位酔ってるじゃないすか!」


 俺の中のクールビューティーなアリアさんのイメージが音を立てて崩れていく。意外な一面を見れたのは嬉しいけどさ……これだと収拾が……。


「くくく……あっはっはっはっは!」


 堪え切れなくなったのか、やり取りを見ていたアリーシャさんが声を上げて笑い出した。楽しそうっすねぇ!


「笑ってないで助けて下さいよ……」

「くっくっ……いや、ごめんよ。アンタがその二人に振り回されてるのがおかしくってね。いつもなら振り回す側だろうに」

「そりゃ素面ならそうかもしれませんけど……まさか酒が入っただけでここまで変わるとは……」

「そう言うアンタは全然酔ってないねぇ。やっぱりそんだけ体がデカいと酒にも強いのかね」

「どうっすかね、何分俺も今日初めて飲みましたからいまいち良く分からないっすけど……にしても」


 溜息を吐きながら、二人の酔っぱらいに目を移す。アリアさんは顔色こそほんのり朱に染まっている程度だが、実際には樽ジョッキを俺と見間違えるレベルだし……リーリエに至っては、もうなんか分かりやす過ぎる。

 ただ、リーリエはやっぱり酒には強いんだろうな。完全に酔ってはいるものの、リバースする気配とかは全く無いし、むしろこうしている間にもテーブルに置いてある酒瓶に手を伸ばそうとしている。俺がガッツリガードしてるがな!


「しかしリーリエは水を飲むみたいに酒を飲むねぇ、普通こんだけ飲めばひっくり返るか戻すかしそうなもんだけど……初めてでここまで飲めるヤツは中々いないよ」

「あー、それは何となく予感はしてましたね。クラークス討伐した後に魔力やら体力やらかなり消耗してたんすけど、その時に渡した回復薬系十本以上を瞬く間に空にしてましたからね」

「ありゃ、そりゃまた随分いい飲みっぷりだね」

「それ見て『もしかしたら酒とかもこんな風に飲めるんんじゃね?』って思ってたら、案の定でしたよ。蟒蛇っすよウワバミ」

「そうだねぇ。ま、悪酔いはしてないみたいだからね、今日位はいいんじゃないかい?」

「そうっすね、なんてったって今日は祝勝会ですから」

「だね」


 そう言って俺はアリーシャさんと笑い合う。


「むぅ~……」


 その様子を俺の膝上で見ていたリーリエが、不満気な目でこちらを見ながら口を開いた。


「ムサシさん!」

「ん?」

「ムサシさんってアリーシャさんの事好きなんですか!?」

「「ブッフォ!!」」


 リーリエが落とした爆弾発言で、俺とアリーシャさんは二人揃って口に入れていた酒を盛大に吹き出してしまった。


「ゲッホゲッホ……い、いきなり何を言い出すんだいこの子は!」

「リーリエ……その発言はアリーシャさんに対して失礼だぞ……ちなみに、それはどういう意味での“好き”だ?」

「男女の“好き”です!」


 当然だろ、と言わんばかりにリーリエは腰に手を当てその豊かなたわわが実った胸を大きく張る。

 それを見た俺とアリーシャさんは、そろって眉間を抑えた。


「はぁ……あのなリーリエ。アリーシャさんの事は好きか嫌いかで言われれば間違いなく“好き”だよ。でも、その“好き”は人間としてであって、お前さんの言う男女の“好き”じゃないぞ。それに、アリーシャさんには死別したとはいえ、愛する旦那さんがいる訳でな……」

「やっぱり好きなんじゃないですかッ!!」

「ねぇ人の話聞いてた?」


 ダメだこりゃ、もう何言っても耳貸して貰え無さそう。


「……今日はもうお開きにした方がいいんじゃないかい?」

「そっすね、もうこれ以上は……ほら、リーリエ。今日はもうお終いだ」

「むうぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「そんなほっぺ膨らましてもダメだぞー」

「アタシが部屋まで連れてくよ。アンタはもう片方を頼む」


 あ、そう言えばアリアさんの事忘れてた。途中からすっかり空気になってたけど……。


「アリアさん?」

「…………」


 じょ、ジョッキと見つめ合ってる……!


「あ、アリアさん? もうお開きっすよ?」

「む、そうですか。楽しい時間という物はあっという間に過ぎるものですね……」

「ジョッキに言わないで下さい? はい没収」

「あぁっ!」


 何で悲しそうな声を上げるんだ……ジョッキ取り上げただけだぞ。


「ほら、もう夜も遅いですから。送って行きますよ」

「お気持ちは嬉しいですが、帰りは一人で大丈夫です。こう見えてもワタシ、ギルドの受付嬢になる前は赤等級のスレイヤーでしたから。夜道だって平気です」

「マジすか、凄いっすね。でも出入り口とは真逆の壁に向かって猛然と突き進もうとしてるのを見る限り、その経歴は今は役に立たないみたいっすね」


 壁にぶつかる前に、がっしりその肩を掴む。危ねぇよ……。

 アリアさんとそんなやり取りをしている間に、アリーシャさんはリーリエを俵担ぎにしてずんずんと二階へと上って行った。逞し過ぎてビビるわ。


「さ、行きましょう。大丈夫云々以前に、夜道を女性一人で帰すなんて事出来ないっすよ」

「あら、随分と紳士的ですね?」

「意外でしたか?」

「ええ、とても」

「でしょうね」


 そんな軽口を交わしながら、俺とアリアさんは連れだって外へ出た。ああ、月が綺麗だ。


 ◇◆


 火照った体を冷ます様に、夜の風が俺とアリアさんの間を吹き抜けていく。街はすっかり夜一色。明かりもまばらで、俺達を照らすのは月の明かりだけだ。


「今日は満月だったんですね」

「みたいっすね。雲一つかかってませんから、良く見えます。……大分、酔いは醒めましたか?」

「ええ、お陰様で。すみません、まさかあそこまで前後不覚になるとは思わなくて……」

「それだけ楽しく飲めたって事っすよ」

「……そうですね」


 それっきり、ピタリと俺達の会話が止まる。こ、この場合俺から何か喋った方がいいのか? それとも黙ってた方がいいのか……分からぬゥ!

 俺が足りない頭で必死に考えていると、不意にアリアさんが足を止めた。


「……リーリエさんの」

「はい?」

「リーリエさんの魔法の事、最初から知っていたんですか?」


 何かを見定めるように、アリアさんの群青色の瞳が俺の眼を見据える。ふむ……。


「知りませんでしたよ、光と闇以外は使えないって事以外は。明らかに普通の魔導士ウィザードとは違うって事に気付いたのは、ネーベル鉱山でクラークスと戦っていた最中っすね」

「そうなんですか……何故、彼女とパーティーを組もうと思ったんです?」

「そりゃ誘われたからっすよ。リーリエが属性的に周りの奴らと比べて不利な事は本人の口から聞きましたけど、そんなの俺には関係ありませんでしたし」


 それに、と俺は付け加える。


「あいつはいい眼をするんです」

「眼?」

「不撓不屈の意志……あいつはエメラルドグリーンの瞳の奥に、消える事の無い“情熱”っていう炎を宿してますからね、それが素晴らしかった」


 いつもより饒舌に口が動いている気がする。ああ、どうやら顔に出ないだけで俺もしっかり酔っていたみたいだな。


「よく、見ているんですね」

「仲間ですから」

「……彼女から聞きました。少しでも周りとの差を埋めるためにたった一人で努力し続けてきた事も、その先にある夢の事も」


 ふぅ、とアリアさんが一つ息を吐く。


「ワタシも、彼女とはそれなりに付き合いも長いし、親しかったんですけどね」


 気付いてあげられなかったな――、とアリアさんはポツリと呟く。それにはどこか自嘲するような色が含まれていた。


「……アリアさん、もう少し酔いを醒ましませんか?」

「えっ? それは、まぁ……いいですけど。どうやって?」

「こうやって」


 言うが早いが、俺は素早くアリアさんを抱き抱えて夜色の空へと飛び上がった。

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