ユーカリ

天池

ユーカリ

 私は成長を信じている。どんな悪事をはたらいた人間だって生きている限りは必ず成長していくのだし、寧ろ悪事は我々の成長を促進するのだとも考えている。成長とは長く成っていく運動に他ならないが、人間の長短とは何だろうか。無論それには体育的で物理的な伸び方も含むのであるが、基本的に私が強く思う成長は長所・短所という言葉のその意味と類似する概念である。それは奥まった静かな場所で伸びていくものだから、悪事をはたらいた直後のドラスティックな感情と一緒にはそこへ到達することは出来ない。否、その洞窟に入ることさえ出来ないのである。我々の心は元来空洞的なものである。その内部では溶けた石灰岩が、小さな街を作り続けている。入口のところは、我々自身の本能的営力によって少しばかり閉じかけの様な格好になっているが、自分達の方でちょっと屈めば、背中を痛めぬうちにがらんどうへ辿り着けるだろう。その精密な街の構造を、我々はどんな気持ちで眺めるだろう? それは「孤独」という街だ。

 あのときコアラが貸してくれた本には、こんなことが書かれていた気がする。でも、きっとそれも私が私自身の成長によって何度も書き換えた結果の記憶なのだろう。確かな過去なんてなくて、それ故に私達は成長の運動を恨む。

 私が記憶しているコアラの肖像のなかで一番古いものを思い出してみる。

 コアラは三人の同級生―― 一人はゴリラ、一人はキリン、もう一人はサルの様な顔をしていた――が作る台座の上に乗って、更には十名程のお供の男子を引き連れて、下駄箱を出るところだった私の元へ突進して来た。大勢の前で告白すれば、それだけで英雄になれるのだから、あの時点で彼は既に英雄そのものだった。

 私とコアラは、当時そんなに仲良くしていた訳ではなかったと思う。勿論これも推測に過ぎないが、私の記憶している、私が威勢よく彼に断りの文句を浴びせ、そそくさと当時友達だった女子と帰って行ってしまった映像から察するに、二人でいると勝手に周りに国境が生まれ、また周囲の同級生達も敢えてそこを踏み越えようとはしない様な公然とした関係が生まれていた訳ではなかったろう。

 彼に関する私の記憶は、そこから数年飛ぶ。

 中学生になって黒い学生服を着た彼は、他人を最大限思い遣ることの出来る周りよりも成長した人間だった。当時私の所属していた女子の仲良しグループの人々は男子を絶対的に見下しがちだったが、正直に言って、当時コアラは私よりも数歩「大人」だったと思う。

 彼の成長スピードは恐るべきもので、私達をいくら離しても決して振り向くことはなかった。

 彼は次第に口数が減っていった。中二の途中で特段何の理由もなく部活を辞め、彼の立っていた高峰からはさぞ色々なものも見えたろうに、それ等を喜ぶこともなく、教えることもなく、コアラは感情をどこかへ隠す様になった。彼の表情筋は硬直していった。

 彼は成績が良かった。だから授業中ぼうっとしていても、内心どう思っていたのかは分からないが、先生達は何も言わなかった。それは、私達が卒業するまでずっとそうだった。

 私が何故彼の卒業するまでの歴史をそれなりに詳細に知っているかというと、それは私と彼が三年間連続で同クラスだったからである。この偶然は私に甘美な喜びをもたらした。同時に、彼に何らかの影響を及ぼすチャンスを与えていたのだと今になって思う。

 私はコアラを好きになった。好きという言葉は広い幅を持っているが、それ等ほぼ全てを満たす意味で、私は彼のことが好きだった。小学校時代はそんなに仲が良くはなかったけれども、中学校時代という多感な時期において三年間も近くで彼を観察して来た私だから、長い時間をかけてこの感情を形成することが出来たのだ。過去の繊細な気持ちと向き合うことは勇気のいることで、覚悟を持って腰を曲げねば本当の街に辿り着くことは出来まい。

 当時の彼に対する私の感情は、一つの些細な記憶に集約されている。当時私が勇気を振り絞って行動したときの記憶だから今でもよく覚えているのだろう。


「何読んでるの?」

 それまでも彼の肩についている糸の様なもののことだとか微妙に開いている教室後方のドアから流れ込む廊下の冷えた空気のことだとか色々なものを媒介して彼に話しかけようとしたのだけれど、どれも上手くいかなかった。その作業は一日の内に起こったことではなかった。隣の席になったのだから何か行動をしようと決心してから何日か凍える日々を過ごし、ようやく、私は彼の持っている本の活字を覗き込む様にして、決して彼自体を見ることなく口を開いたのだった。

「『孤独についての考察』」

「面白いの?」

「難しい。けどなんか、読まなくちゃいけない様な気がして」

「難しいんだ」

「けど全然分かんない、って程じゃないし」

「ねえ、貸してよ。その本」

「え?」

「読み終わったら」

「んー、良いよ。別に。けど面白いと思うかどうか分かんないよ」

「まあ、読んでみなきゃ分かんないし。じゃ読み終わったら貸してね。ありがとう」

 その本の表紙には何かの花の白黒写真が載っていて、横から見ていても確かに難しそうだった。私に読書習慣はなかったし、そのときの私に読める代物ではなかったのかもしれなかった。けれど私の魂は、どうしても「読まなくちゃいけない」んだと私に強く訴えかけて来た。その本は何だか私に成長を促し彼のいる場所へと誘ってくれる神の遺物の様に見えた。実際読んでみると本当に難しい内容で、それ故当時の私は半分も理解出来なかったが(よって今の私の記憶も曖昧なのだが)、しかし妙に心へすとんと落ちる一節もあれば、しばらくそのページから目を離せなくなる様な一節もあった。

 その日の彼は私の中で今生き続けている彼そのもので、その日の思い出が、私にとっての彼を今も神格化している。あの本は中学生が理解できる範疇のものではないと、大人になった私は理解している筈なのだが、私は今でも、あのときの彼はその哲学的で観念的であまりに抽象的なセンテンスの連なりを、完全に自分のものとしていたのだと信じている。神格化されたコアラは、私の成長の先にいる。


 中三になると、クラスの人々は――いや、担任を含めた学校自体そういう体質だったのだが、受験を人生の決定的な分かれ道と捉え、文字通り必死にペンを走らせ、目にくまをつくり、日々各教科の問題と対峙する様になった。すると元から頭の良い人間はどこか疎まれる様になった。即ちコアラである。

 切れ目のない勉強の連続によるストレスの捌け口として、交友関係も少なく殆ど口も開かない「秀才」、コアラは格好の存在であった。

 私は、集団の中での序列や忌むべき意識の高揚によって引き起こされる悲劇を「群衆事故」と呼んでいる。関わった者達全てのその後の成長を期待して、である。クラスの大半は事故の加害者、コアラは被害者、そして私は傍観者であった。元から群衆とは離れたところにいたのである。その点ではコアラと同じだ。境遇的には彼と似ていたのだけれど、私は頭が良くなかったので、彼等はコアラの方へ突進していったのである。事故は色々なものを壊す。真っ先に壊れるのは私達の身体の中で最も繊細な部分――感情の王国である。

 しかし、私はこの悲惨な過去に希望を見出そうと思う。即ち、崩れた瓦礫の上にも草は生えけりということだ。流れた涙は石灰岩を溶かし、いつか街の天井から降り注ぐだろう。


 私の王国に、分厚い雲がかかっている。ここ数日、私は静的な街の日々を眺めてばかりいる。溶けた石灰岩の落ちるスピードが、遅くなっている気がする。私は壁にもたれて眺めている。

 テレビでコアラを見た。音楽番組で、新人シンガーとして力強く歌いながらギターを弾いていた。広げた口がとても大きくて、奥深かった。声には私達の過去が溶けている気がした。それには私の果たさなかった責任の重大さも含まれているのだ。久しぶりに見るシャープな輪郭が、とても恰好良かった。彼は事故を乗り越えて彼らしく成長を続け、全く新しい王国を創り上げたのだと知った。

 私は途端に悲しくなって、申し訳なくなって、同時に嬉しく思い勝手に勇気をもらった。新たな「コアラ」を目にしても、私の王国は身勝手なもので神格化された彼をどこかへ追いやりはしなかった。「彼が死んだら私も死のう」という声が聞こえた。私は、この一時の感情を永遠守り通そうと誓った。

 この雲を吹き飛ばすことが出来るのは、私。大切な街を壊さぬために。彼との思い出を守り抜く為に。私は私で、なんとか成長を続けることをここに誓う。

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