episode16:白雪の為に、僕はピアノを弾くよ


 演奏が終わった瞬間、僕は控え室にいる白雪の元へ走り出していた。

 

「はぁ、はぁ……っ、白雪っ……っ!!」


 大人になってから全力疾走したのはいつぶりだろうか。

 

 (いつかは終わりを迎えるのだから、と……)

 

 勝手に理由をこぎつけた。

 この出来事を他人事のように思っていた。

 

 Project白雪の第一被験者としても。

 父親としての責任も。

 白雪を育てていくという覚悟も。


 (……今思えば、僕には自覚が足りなかったんじゃないだろうか?)


 そう思ったら、駆け出さずにはいられなかった。

 出会ってから、ずっと伝え続けてくれた。

 

 一人で考えて行動してくれた。

 だから、こうして舞台に立って、僕に届けてくれた音があった。 

 

 (白雪のほうが何倍も、何十倍も、何百倍も考えてくれているじゃないか……っ!!)


 胸の奥から湧き上がるなんだかよくわからないこの感情。

 どんな言葉で表現したらいいのか、僕はまだわからない。

 けれど、僕なりの言葉で白雪に伝えたかった。


 一秒でも早く白雪の元に行きたくて、できるだけ前へ足を踏み出す。

 激しく呼吸が乱れるのが自分でもわかるくらいに苦しい。

 ナイフで心が何度も刺されているくらいに痛い。


 それでも、それは決して嫌なものではなくて……。

 どこか高揚感に近い感覚だった。


 ……そして。


「……っ、ここだよな?」


 白雪の名前が書いてある控え室に辿り着き、自分の心臓が何度も感情と共に強く高鳴るのがわかる。


 どういう理由で白雪は僕にさっきの演奏を聞かせたのだろうか。

 なんて言葉をかけたらいいんだろうか。

 情けないが、そんなことをこの期に及んで気にしている僕がいる。

 

 そんな自分があまりにも陳腐で、恥ずかしくて……。

 だんだん自分の口の中が渇いていくのがわかった。


 ドアノブに手を置き、呼吸を整える。

 一瞬ドアを開けるのに躊躇したけれど、首を大きく横に振り自分に対して叱咤する。


 (……相手は十歳の子供だぞっ! 馬鹿か、僕はっ!)


「白雪、入るぞ」


 僕はそう口に出しながら、ドアを開く。

 

「……パパ?」


 白雪は僕の顔を見ながら、頬に汗を伝わせ椅子に座っていた。

 少し顔が強張りながらも、僕にできるだけ優しく微笑んでくれる。


「えへへっ、すみません。お茶でも出そうと思ったんですが、実は腰が抜けちゃって……。ちょっと動けないみたいです」


 あのクロエ・リシャールとの一騎打ちともいえるCRS舞台での初めての演奏。

 誰もが遠慮したいあの場面での演奏は、中々にキツいものがあるだろう。

 

 (……無理もない、か)


 クラス自体はルークだが、実力は騎士ナイトクラスのフランスの女帝の演奏の後だ。


 圧力プレッシャーも、実力差も誰がみても格上の相手。

 

 初出場の大会で普段の実力を出すことすら難しいはずなのに、白雪は動けない状態になるまで、全力を出し切って僕に想いを届けてくれたのだ。


 (それだけでもすげーってのに、ったく……。この子は)


 僕は苦笑いしながら答える。


「僕が初めてCRS舞台で演奏したあとなんて足が震えて、控え室にすら辿り着けなかったんだ。大したもんだよ」


「えぇーっ!? 全然想像できないです」


「そういうことだから気にしなくていい」


「そんなパパの姿、見てみたかったなぁ」


「……ああ」


「えっと……。それにしても、寒いですねっ!」


「おお……って、窓開けたままだと風邪引くぞ」


 開けた窓の隙間から風が漏れている。

 僕は首に巻いていたマフラーを後ろから白雪に巻いてあげた。


「あ、ありがとうございます」


「ん、それとな……」


 白雪の不安がっている表情を和らげるように……。

 そっと言葉を紡ぐ。


「演奏、凄かったよ……」


「……はい」


「いつから練習していたんだ?」


「えっと、パパがお仕事に行ってるときにです。パパが演奏している映像を見ながらひたすらそれを聞いて練習を繰り返してました。……どうでしたか?」


「思わず飲んでいる飲み物を吹き出しそうになったレベルだったかな」


「ふふっ……。それはよかったです」


 その後は、しばらくの沈黙が続いた。

 何を喋るわけでもなく冷たい風と共に響く枯れ葉同士がぶつかり合う音。


 僅かに聞こえる人の声。

 少し曇った空を見上げながら僕は意を決して口を開いた。


「白雪、そのまま座ったままで僕の話聞いてくれるかな?」


「はい」


「僕の為にあの曲を弾いてくれたんだよね?」


 白雪がさっき弾いてくれたリスト「死Ⅽの舞踏」は、僕がピアノをやめ、ニート候補生になる前にⅭRS舞台に立って弾いた最後の曲だった。


 (……きっと、白雪はその演奏映像を見てこう感じたんだろう)



 ――――死。



 僕はをきっかけに世界に絶望し、ただがむしゃらに音を求め続けた。死を匂わせる死の舞踏をベースに、アレンジにアレンジを重ねて、誰にも真似できない曲を作ったのだ。それを白雪は……。



 ――――私の、音を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!



 張り裂けるくらいに叫ぶ白雪は、活気に満ちて歌うように、animatoカルマートと、cantabileカンタービレをひたすら繰り返す「死」を否定した全力の「生」の音で、僕を音で引っ張り上げてくれた。


 希望に、光に、生きるという願いを曲に込め、僕に届けてくれた。

 嬉しさのあまり、感情が先走ってしまったのか。

 白雪の頭を、いつの間にか感謝を込めて優しく撫でていた。


「……本当にありがとう」


「ふぇ!?えっと……その」


 ……やばい。

 つい、感極まって頭を撫でてしまった。


「あ、わ、悪い!!つい褒めるときに頭を撫でる癖がついてしまって……その、今手をどけるから」


「い、いえ!えっと、その……すごく気持ちよかったので、つい。い、嫌ではないのでその……もしよかったら、もう少しそのまま撫ででくれませんか?」


「えっと……いいのか?」


「ふふっ、私がいいって言ってるんですから、お願いします。それとも、こんなはやめておいた方がいいですか?」


「ああ……。これは一本取られてしまったね」


 苦笑いしつつ、もう一度ゆっくり頭を撫でる。

 壊れないように、なるべく優しく包み込むように……。


「えへへっ、ふんふんふーん~♪」


 鼻歌を歌いながら白雪は瞳を閉じて、僕の撫でる方向に頭が動く。

 しばらく頭を撫でていると、白雪は小さく語るように呟く。


「あっという間で、夢のような時間でした」


「……うん」


「初めての演奏、うまくいってよかったです」


「……とっても、いい演奏だった」


「私の演奏に、みんなが笑顔で拍手をくれました」


「……そうだね、みんな盛り上がっていたよ」


「はい!CRS舞台に初めて演奏して本当に必死で緊張しちゃってっ!」


「……特に、アレンジが凄かったよ」


「それでも、私の全力が出せて、パパに届いてくれてよかったです」


「これからもっと頑張れば、もっと凄い演奏者たちと勝負できるぞ。世界は広いからな」


「そうですよね!私、もっともーっと頑張って、いつかパパと一緒に演奏できるくらい上手くなって、沢山の人とまたこうして勝負してみたいです!!自分の全てをかけた演奏を、もっともっと弾きたいなって思ってます」


「……うん、弾けるといいね」


「……っ、えへへ。さっきまであんなにたくさんの観客がいて」


「……」


「心臓がくぅ~っ!!って、熱くなって……っ」


「……」


「……もっと弾きたいなって。少しでもあの時の時間が止まればいいなって思いました」


「……」


「でも……っ、でもですね、パパ?」


「……ああ」


 白雪は、ぎゅっと握っていた僕のマフラーを自分の首元から取り、僕に見えないように、後ろを向いて頭に被る。その背中は嗚咽と共に、震えていた。


「私っ……負けちゃいました……っ」


「パパに勝利を……届けれなかったっ!!」


「ごめんなさいっ、本当に、ごめんなさいっ!!」


「もう少しだったのに……っ、悔しい……っ」


 僕は下唇を噛む。なんて、無力なんだろうか。

 なんで、もっと白雪を見てやれなかったんだ。

 すすり泣く声と共に、空を見上げる。


 雲は気まぐれだな。

 先ほどまで照らしていた月は、その姿を隠す。


 ……でもな、白雪。

 隠れた月は、いつかまた眩くように顔を出すんだよ。

  

「……いいんだよ、白雪。ありがとう」


「ぐすっ……。パパに勝利を届けたかった、一度しかなかったんです! パパにまたピアノを弾いてもらう為には、明日の勝ちでも、一年後の勝ちでも、一番大きな大会でもなく、今日じゃないといけなかった!! 初めての、今この瞬間に勝って届けなきゃダメだったんです!! 悔しい、悔しいよぉ……っ」


「……白雪、君は」


「ご、ごめんなさいっ……いま……私すごく我儘ですよねっ。パパに……こんなっ……顔っ……見せたくないのに……っ!! 涙が止まらなくて……っ」


「……っ、馬鹿だな。そこまで大人にならなくていいんだよ」


 頭を撫でるのをやめ、座っていた白雪の正面に膝を下し、その群青色の瞳を真っ直ぐ見る。


「白雪、聞いてくれるか?」


「……っ(コクッ)」


 嗚咽をしながらも、ゆっくりと頷く。

 僕は大きく深呼吸をし、今まで誰にも言えなかったことを白雪に伝えることにする。


「僕には昔から欲しいものがあった。それがなんなのか、具体的な名前が何なのかはわからない……ただ、それをずっと追いかけてきた」


「ないかもしれないものに縋って、求めて、を繰り返して……」


「そんな毎日から抜け出せないでいた。色で表すならそれは曖昧な玉虫色のようで……。ただ、それが手に入ったら、きっと……きっと、幸せなんだろうな……って」


「だけど、あることがきっかけで本当にそんなものは存在するのか?って。僕はピアノをやめて、ニート候補生になって、生きることすらも何だか意味がなくなっているような気がしたときに、白雪に出会ったんだ」


「あの日、突然僕の娘になって、何度も、こんな僕に笑顔でいてくれて、僕を勇気付けてくれたんだ」


「だから今もこうやって、わからない本当に欲しい物を今も追いかけられる」


「それが欲しい。だから僕は……っ」



 少し触っただけで折れそうな、小さくて華奢な白雪の体を強く抱きしめる。



「――――白雪の為に、僕はピアノを弾くよ」



「えっ……ほ、本当、ですか?」


「……ああ。白雪とこれからどうしていけばいいかしっかり考える。僕自身もピアノを弾いて、君を……立派なピアニストにしてやる。約束する」


「……っ、パパ、あの」


「……あ、ご、ごめん。いきなり抱きしめて気持ち悪かったよな」


 僕は衝動に任せて白雪を抱きしめてしまっていた。焦って離れようとすると「違いますっ、気持ち悪いだなんてとんでもないっ!!」と、再び引き寄せられる。


「……っと。ど、どうした!?」


「ごめんなさい……嬉しくて、涙が出てて、今私の顔を見られるのが恥ずかしいので、もう少し、このまま……」


 ふわりとした雪のような優しい香り。

 雪解けのように、二人の関係が深まっていくようで……。


「くくっ、今日の白雪は甘えん坊だな……って、あの、白雪さん?くっつきすぎじゃないですかね?」


「……クンクン、パパの香りはいい匂いです。……ん?なんだか心臓の音がなんだか早くなって」


「それは聞いたらダメなやつだから、あまり聞かないでっ!?」


「この音大好きなので、もっと聞かせてください!!」


「か、勘弁してくれ……っ」



 優しく包み込むような、温かな体温。

 私の方こそ、ありがとうなんですよ?

 こんな私を、娘だと言ってくれて、今にも涙が出そうです。

  

 パパのために……。

 パパが求めてるものがなんなのか私もなんとなくわかる気がする。


 ……だから、私は誓おう。

 もう、二度と負けない。

 そう心に誓って、私はまた一から踏み出す決意をした。




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