episode7:パパのお腹の音、凄く大きい音ですね!


 どこまでも真っ直ぐで、相手を射抜く力のある表情。

 東雲静の夜闇やあんよりの黒い瞳の奥には、僕の知らない感情や想いが感じられた。


 同時に自分の感情が読み取られている気がして直視することが出来ず、つい後ろの窓辺に目をやる。窓硝子越しに映る自分の姿は、誰が見ても明らかに戸惑った表情だった。


 ――白雪にピアノを教える。


 東雲静が言うところの「教える」は、CRSという意味に他ならない。


 全盛期のあの頃ならまだしも、実力では、人にピアノを教えるなんて真似は、僕には到底困難だと思ったからだ。


 それに、僕はもうピアノはもう弾かないと決めたんだ。

 白雪にはもっとちゃんとした先生に教えてもらった方がいいに決まっている。


 この感情に嘘はない。

 けれど、どうしてだろう。

 

 ハッキリと無理ですと断ればいいのに、中々その言葉を出すのに時間が掛かってしまう。


 なんで、そうなってしまっているのか。

 自分に問うが答えは出ない。


 (……この場で適当なごまかしや中途半端な答えじゃいけないよな)


 そう思い、断ろうとするとそんな僕の表情を読み取ってか。

 開こうとした口を人差し指で押さえて、ウインクをしてくる。


「しばらく白雪と暮らしてみてから結論を出すってことでもいいだろう。ちゃんとした答えはそれからでも遅くはないさ」


「すみません」


「真っ先に断られると思っていたんだが、白雪の演奏が気になったんだろ?」


「……否定はしません」


 素直に認めるのが嫌で頬を掻きながら、思わず視線を逸らす。


「ふふっ、君のそういう姿が見れただけでも今日は良しとしよう。それと、これを渡しておくよ」


 そう言って、狂姫は極秘詳細資料と書いてある厚みの茶封筒を僕に投げてくる。


「今後のマニュアルみたいなものだ、しっかり見ておくように。それじゃあ、またわからないことがあれば連絡したまえ」


「あの、わからないことだらけなんですが……」


「あははっ、細かいことは気にするな! 生活していけばおのずと自分の進むべき道がわかってくるさ。このProject白雪は安心したまえ。それじゃ、またくるよ」


 そう言って、不敵な笑みを浮かべながら狂姫は帰っていった。


 (そういう風にできている、ねぇ……)


 この計画をこうして実行に移した人物が誰なのか気になるところだが、今はそうも言ってられない状況だし、今は一旦置いておこう。


 そして、部屋で白雪と再び二人きりになる。


「はぁ……。なんか疲れたな」


「ふふっ、そうですね。良かったらお水飲みますか?」


「ああ……って、気を遣わなくてもいいよ。僕が出すから気にせずにゆっくりしてくれ」


「そうですか? それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきますね!」


 そう言って、近くのソファに座って、楽しく足をぶらぶらさせていた。


 白雪の声音が今から新しい門出を自身で祝うかのような楽しい色があり、弾んだ声は何だか聴いているこっちが微笑ましいが、少しだけ白雪の疲労が見え隠れしているのも事実だ。


 当面は互いの生活に慣れるところから始めないといけないだろうし、何より自分より年齢が低い子供への接し方って、いまいちよくわからないんだよな。


「白雪、まだピアノ弾くか?」


「いいえ、大丈夫ですよっ! それとピアノ、勝手に弾いてごめんなさい」


「気にしなくていい。それに、遠慮せずにいつでも弾いていいからな」


「本当ですかっ!? ありがとうございますっ!」


 グッと握りコブシをこっそりしているあたり、純粋にピアノを弾くのが好きなんだろうな。


 僕も白雪みたいなピアノが楽しいと思える時代があったからわかる。

 とても懐かしくもあり、なんだかむず痒い気持ちにもなるものだ。


 そんなこんなで、色々思い返していると……。

 ぐーっと、お互いのお腹が鳴り始める。


 白雪と思わず顔を見合わせ、声に出して笑い合う。

 久しぶりに声に出して笑った気がする。


「ふふっ、パパのお腹の音は凄く大きいですね!」


「そうかな? 白雪の音は随分可愛らしい音だね」


「えへへ……」


「飯にするか……。冷蔵庫になにかあったかな?」


 冷蔵庫の中身を開けてみると、中には先ほどバイト先でもらったケーキと牛乳、水以外には何も置いていなかった。


「……ごめん、白雪。ケーキと牛乳しかない」


「私は一緒に食べられたら、それでも大丈夫ですよ?」


「いやいや、白雪は育ち盛りだろ? ちょっと待ってて、財布、財布っと……」


 今から白雪と生活しなくちゃいけないとなると当然、お金が必要だ。

 財布を見ると、現在持っている所持金は諭吉三枚。


 幸い明日は給料日だ。

 今日中にこれからの生活で必要な最低限の物は揃えられそうだ。


「……まぁ、なんとかなるか。それと、白雪」


「はいっ!」


「白ワンピースだけじゃ流石に寒いからこれ着てね。少し外に出ようか。ほいっ」


 先ほど狂姫に貰ったマニュアルを写真で撮って、白雪に小さめの上着とマフラーを軽く投げる。


「わわっ、これからどこかに行くんですか?」


「買い物に行こう!」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る