千里の道も一歩から

@taku1531

悪事千里を征く

 あなたが子供だった頃、こんなことは考えなかっただろうか。親や教師といった身近な大人に質問して困らせたりしなかっただろうか。

 一番強い龍は――ああ、違う違う。その問いもまあ、おそらくかなりポピュラーなものだとは思うが――ここでいいたいのはそれじゃない。

「一番強い魔術とはなんだろう?」

 そうそう、それだ。

 大人にうまくはぐらかされたり、あるいは納得できない答えを受け取った子供が、偶然にも同じ疑問を抱えた子供と出会ったなら、もう何が起きるかは火を見るより明らかだ。

 やれ風の魔術はどんな大きいものも消し去るだの、炎の呪文はどんな重いものでさえもプラズマ化させるだの、喧々諤々。小耳に挟んだ伝聞による知識と自分なりの解釈を重ねてぶつけあい、一番強い魔術とはなにかを決めようとするはずだ。

 もちろん答えなど出るはずもない――まあ、でも周囲の友人たちがあげた案よりは、自分が考えた、相手を嫌気性生命に変える緑の魔術が一番だったと今でも思っているけれども。

 いい大人になった今、ふとそれについて考えなおしてみると、案外はぐらかす目的で自分の父親が言った答えが一番答えに近かったのかもな、などと思うのだ。

「一番強い魔術だァ? あー、そうだな、それはな……契約の術だな。どんな強い魔術師も、不渡りが払えなきゃ死ぬだけだからな。あーそうだな、不渡りってのはな……」


 自分の父親は契約の術によって死んだ。

 正確に言えば、親から受け継いだ鍛冶屋を自らの手で閉める決断ができないまま借金を重ねた結果、債権を引き継いだ国の契約履行官によって死体のほぼ全てのパーツを魔術素材に替えられて死んだ。

 ああ、肺だけ俺たちに手渡されたよ。作業場に篭りすぎてたせいで、値段は付かなかったんだってな。

 ありえないだろ? でも、絶対司法都市S.P.ではありえちまうんだそうだ。

 契約の術はあらゆる非道を正当化し、達成する。

 そしてまあ、自分もその契約の術の巨大な歯車に轢き殺されそうなハメになってしまった。


「ち、違う……あいつが悪いんだ! 俺は!」

 哀れな犯罪者は司法履行官に慈悲を乞う。おそらく彼にも言い分はあるのだろう。だが、もちろん無駄だ。

 司法履行官は一切耳を貸さず、構えた銀の剣で彼の皮膚を切り裂く――それだけで十分だった。

 言うまでもないことだが、彼も国と契約した国民だった。この巨大な司法都市の城壁の中に無契約の人間など存在しない。存在できない。

 契約の術に縛られた彼が、法への明確かつ重大な逸脱を行えば、司法の剣に触れたと同時に肉体は全て分解され魔素へと還元される。当然だ。

 彼の肉体を通して放たれる魔素には重犯罪者マーカーが付与され、追跡に使われる。無認可の小規模転移装置イリーガルショートテレポーターを用いて逃亡しようとした彼は正規の、大規模な転移装置を自由に利用できる司法履行官にあっさりと嗅ぎつけられ、闇に溶けた。


「おっかねえなあ。たとえ身分を偽装しても正規のテレポーターは使えないのはわかってたが……案外、ショートテレポートは可能ってのは尻尾をつかむためにやつらが流したデマかも」

「だから言ったじゃない、魔術の行使は一切不可能だって」

「俺は犯罪者になりたてなんだ、知らないっての」

「まるで私がベテラン犯罪者みたいな言い方やめてよ!」

「いや、あんたの身上とかまるで知らんし。ってか違うのか」

「ちーがーいーまーす! 潔白よ潔白!」


 無謀にも司法局へ忍び込んで親父の遺骨を取り返しにいったバカな弟。

 この弟をあっさり現行犯処分してくれた仇の自宅に挨拶に行き、心臓をゴム風船にしてやったまではよかったが、俺はその後のことを一切考えていなかった。さあどう死んだものかななどと思案していたところ、突然現れたのがこの女だ。

 状況を詳しく聞く暇も理由もなかったが、まあ斬られて死んだ後も司法局で使われる魔素としてあくせく働くよりは逃げるほうがマシだ。

 なにせ、眉唾ものではあるもののこの女には司法都市を囲む二重の城壁を脱出する手立てがあるらしいのだ。


「しかしどうするつもりなんだ? 追っ手が来るのを承知でショートテレポートするとかか?」

「無駄ね。二重の城壁はショートテレポート対策も万全よ。外側に抜けるにあたって一番短い距離のところでさえ、最低2度のショートテレポートが必要。テレポートの際に転移装置は干渉して運べないから、二重壁内に予め用意しておく必要がある……衛兵でいっぱいの二重壁内に無認可の転移装置なんて隠しておけるわけないわね」

「じゃあ大型の転移装置の無認可品でも持ってるのか?」

「そんなもんあったらあんたと一緒に逃げてないわよ。ただでさえ貴重で調達が死ぬほど面倒なのに、それをこのガッチガチの警備の司法都市内に正規ルートで持ち込む?無理よ無理」

「……めまいがしてきたよ。じゃあなんだ、城壁を駆け上がるとでも言うのか?」

「まー、上がるってのは間違いではないわねー。切り札は……これよ!」

 そういって女が懐から取り出したのは――ゴテゴテと飾り付けられた縦笛。

 女はその縦笛に思いきり息を吹き込んだが、音はまったく聞こえない。


「おいバカ! それは魔道具か? 微小とはいえ魔術を行使すれば奴らが――」

「心配しなくてもいいわよ。これはただの笛。息を吹き込んで、空気が共振するだけ。魔素ゼロで妊婦さんにも安心」

「ちょっと待て、単なる笛がいったい何の役に立つんだ。だいたい音なんて――」

「そう、私達には聞こえない。私達にはね」


 城壁沿いのその一角に、風が吹き始めた。

 最初の10秒は、誰も吹き始めた風に気付かなかった。

 次の10秒、上から殴りつけるような風。風が城壁沿いに吹き下ろしはじめたのだろうかと誰かが思った。女子学生がスカートを抑えて、あわてて建物の中に駆け込んだ。

 そして10秒。誰もが頑丈そうな建物に逃げ込み始めた。串焼き屋台の商品が全て砂まみれになった。ついでにいえば、せめて今日の売上だけでもと留まったままだった店主も。

 最後の10秒、屋台が吹き飛んだ。そして唸り声。眼前に現れた。風の象徴、管理された厄災、慌ただしい大森林。新緑色の龍種――風龍だ。

「ボサッとしないで乗る! すぐに見送りの連中が来るわよ」

「畜生、どこでこんなもんちょろまかして来たんだ!」

「ちょろまかしてないわよ! もともと私の子だし! いやまあ、もうたぶん管轄上は私の子じゃないんだけど。逮捕されちゃって無職になっちゃったし」

「ちょろまかしじゃねえか」

「うっさい! 飛ぶわよ!」


 なんとか俺が背中によじ登ったタイミングで、また女が笛を吹く。すると風龍は強烈なひと吠えをかまし、翼を振り始めた。すると、あっさりと巨体が浮き上がる。鈍重な見た目との違和感がすごい。


「物理法則大丈夫これ?」

「大丈夫!物理法則で動いてないから!」

「マジで」

「流石に龍相手に契約の術は行使できないからねー、犯罪者二人載せてても魔素マーキングの心配なし! 乗り心地と経済性を除けば、最高の移動手段よ!」


 なるほど、言に違わぬ最悪な乗り心地。いや、最高ではないって言っただけで最悪とは言ってなかった気もする。言わないほうがひどくないか、この揺れだと。


「さあさあ来たわよ赤いのに青いの! でも大丈夫、トップスピードに乗れば全部振り切れるから!」

「トップスピードに乗るまでは?」

「さー迎撃よろしく! 振り切るまでは魔素マーキングとか気にしなくていいわよ、どうせ下から丸見えだから!」


 速度で勝るのがウリの風龍だが、さすがに壁沿いの狭い空間というのは離陸箇所としての条件は良くないようだ。俺たちを察知して広い飛行場から迎撃に上がってきた龍たちはスピードを上げて追いすがってくる。

「マジかよ、火炎弾じゃんじゃん飛んできてるぞ! 主に俺に向かって!」

「迎撃担当についたときは落ちるときは一人で落ちるのがマナーよ!」

「くっそ、絶対落ちるときは引きずり落としてやる」


 眼下をちらりと見るとすでに2枚め、外側の城壁を超えようとしていた。

 逃すまいと必死に司法局の龍が食らいついてくるが、少しずつスピードを落としていく。

 当然飛んでくる龍をなんとかする、なんて今まで一度もやったことはないが――そもそも龍に乗るのが初めてだ――倒すなんてのは夢のような話だが、トップスピードに乗るのを邪魔させないだけならば色々やりようはある。親父の鍛冶屋で磨きあげ、ムカつくアイツの心臓をゴム風船に変えた"変化"の魔術は龍にも効果があったらしい。鱗を一枚一枚鉛に変えてやるたびに速度を落としていった。

 女はどうやら龍の扱いはかなり慣れている様子で、迎撃は任せる、とは言ったもののこちらの様子をしっかりと伺い、攻撃が命中する軌道にあれば笛で龍に指示を出して身軽に回避させているようだった。

 さて、だいぶ突き放したか、といったところで体がガクンと揺れた。いや違うな、体じゃないな、世界だ、世界がガクンと揺れた。

 

「よっしゃー!トップスピード乗ったよ!なにかにつかまって!」

「……そういうのは、スピードを、出す、前に」

「あはは、ごめんごめん。他の人乗せるの久々でさー、慣れてなくてね。大丈夫? 舌噛んでない? 逃亡中の身で魔術で治癒はできないからね?」

「まあ、なんとかな。それにどうやら振り切ったようだな」

「ふふん、私の操縦テクニックの賜物です」


 眼下には城壁で囲まれた都市とはまったく違う景色が広がっていた。雄大な平原、遠くに広がる山々、緩やかな流れの河、そして地平線まで続く太い道路。

 そう、確かに司法都市は抜けることができた。だが平原を超え、山を抜け、大河を渡った先にさえもこの国は広がっているのだ。

 司法局は今抜けてきた城壁の中だけではなく、この国全体で司法の役割を担っている。司法履行官はあらゆる都市にいるだろうし、テレポートが使える彼らにとっては十里や百里の距離は大した障壁にならない。寒さに耐えかねて保温の魔術など行使しようものならばすぐに重犯罪マーキングされた魔素を嗅ぎ取って司法履行官がわらわらと集まるだろう。

 しかし、希望はないわけではない。司法局の"千里眼"の届かぬ向こう。千里の地平の先にであれば――平穏無事な生活が待っているかもしれない。


「それはそうと龍の上って寒くない? なんかないかな、暖かくできるもの。いっつもは暖房ガチガチに効かせて好きな音楽をガンガンにかけて飛ばしてたもんだから意外とこういう経験なくて。あ、そういえば持ってきた懐炉――はもう! 気をつけてよね! こんなの使ったらすぐに履行官が飛んでくるからね! うっかりしちゃだめだよ!」


 とりあえず、今のところは無事ではあるが、平穏ではない。

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