漂着物の終着点

守宮 泉

漂着物の終着点

          

一 はじめに

 二五四八年八月、住居群の遺跡がT市で発見された。材質と形状から二一〇〇年代のものであることが判明した。他にはないゼラチン状のもので覆われていたであろう特徴的な壁面は、長らく研究者たちの頭を悩ませている。

 本稿は、当時の様子を示した記録をまとめ、住民の生活に深く関わっていた〈漂流物〉と住居の特徴を考察する。


二 〈漂流物〉とは

 一般的に漂流物というのは、海を漂い、浜辺に流れ着いた物を形容する言葉である。しかし、当時のT市では空を漂い、流れ着いたものを意味していたようだ。次の項で具体的な記録をまとめる。なお、個人の特定を避けるため、イニシャルのみ提示している。


三 〈漂流物〉に関する記録

a T.T.氏ブログ「独言」二一一七年六月二十八日の記事

 玄関から出ると、庭にテレビが落ちていた。まだ春だというのにもう、うちの番らしい。ヘルメットを被り、今まで使っていたブラウン管を運び出した。もう二十年は使っているそれは、最近調子が悪かった。騙し騙し使っていたけれど、叩いても叩いても砂嵐で困っていた。元々アンティーク品だったから仕方ないといえばそれまでだが。文字通り降ってきた幸運を無駄にすることなく、ありがたく使わせてもらう。

 さて、漂流は始まったばかりだ。家から出られなくなる前に食料を調達せねばならん。ごうと吹きつける風に逆らいながら、俺は車に向かう。発進した車のうしろ側で、鳥の群れのように雑誌が追ってきた。


 T市は風が強い町である。あまりにもびゅうびゅう音がひどいので、”びゅうびゅう町”なんて愛称があるくらいだ。家電や家具、洗濯物。お菓子の袋やハンガー、誰かのカツラ。新品からただのゴミまで、風は様々な物を運んでくる。人々はそれらを「漂流物」と呼んでいた。


 季節にそった風向きで、漂流物が溜まる場所つまり終着点も変わる。毎年、漂着物観測所から発行される終着予報で確認することができた。今年は夏に入ってから、うちの庭が終着になるはずだ。そういえば、このごろ地球温暖化の影響で異常気象が多発している。タイミングがずれたのもそのせいだろう。そんなことを思いながら家路を急ぐ。後部座席に自分より重い食べ物を乗せて。あとは車庫が埋まっていないことを祈るだけだ。

 ひたすらまっすぐな道を走り、ようやく家にたどり着く。幸い車のスペースは確保されている。ガレージが守ってくれたおかげだ。頑丈な物に買い換えておいて良かった。明らかに増えているがらくたを避け、道を作る。この作業は創造するという点で楽しいことだけれど、体力のない俺にとっては一大事業にも等しい。がらくたと格闘したあとには、まだ買い込んだ物を運ぶという仕事が待っているのだ。明日は筋肉痛で動けなくなるだろうが、がんばってもらうしかない。風が止んでいたことも幸いし、日が暮れるまでには作業を終えた。しかし、疲れが限界を超えていたようで夕飯も食べず風呂にも入らず、すぐ寝てしまった。


 次の日の朝、チーンという音と共に電子レンジが壊れた。ぺちゃんこのお腹を満たしている最中だった。取り出したマグカップはまだ冷たく、当然のごとくコーヒーは温まっていない。コンセントをチェックした。ちゃんとコードは刺さっている。もう一度、試してみた。うんともすんとも動かない。これはだめだ。ダイヤルを元に戻す。チーン。何ともいえない間抜けな音だけ残して、電子レンジは鉄の塊と化した。

 電化製品というものはどうしてこう、連鎖して壊れるのだろう。まさか捨てたテレビが黄泉へ誘う波動でも出しているのか。そもそも電化製品が天国や地獄、黄泉に行くなんて聞いたことがない。やめよう。こんなことを考えてみても電子レンジは生き返らない。途方に暮れた俺は、テレビと同じく電子レンジも降ってくればいいのに、なんて願ってしまった。

 ドゴッという鈍い音が家を揺らした。衝撃に耐えられるよう、この町では壁面をゼリー状の固まりーー正式には衝撃吸収変形弾性なんとかといったはずだけどよく覚えていないーーの設置を義務づけられている。もちろんこの家も例外ではない。でもたまに衝撃を吸収しきれないほどの大物漂流物がやってくる。これは期間中一度か二度あるくらいなのに、今回はやけに多い。何が飛んできても耐え得る構造ではあるが、あまり頻繁にぶつかられると不安になってくる。一体何が、と思ってこわごわと玄関の扉を開く。そこには目を疑う光景があった。なんと、庭先に電子レンジが転がっていたのだ。

 ひとまず、ご丁寧に同じ機種であるそれを、壊れたものと取り替えた。熱々のコーヒーを味わいながら、何が起こっているのか考える。事実は小説より奇なり、というやつか。俺の願いが風を操ってるみたいだ。猿の手という話を思い出したが、身内を喪っていないし得体の知れないものを拾ってもない。まあ、たまたまだろう。俺は楽観的に事実を受け止めることにした。昨日拾ったテレビからニュースが流れ始めた。

「各地の梅雨の様子です。この地域ではカタツムリが大量発生しており……」

 へえ、カタツムリ。そういえば見たことがない。梅雨がない北海道でもまったくいないというわけではないのに、なぜか俺はその姿を確認したことがなかった。最近では雨の日に外を歩かないのが原因だろうが、小さい頃に見ていないというのは謎だ。俺はどんな子どもだったのか。今となっては思い出せない。

 でんでんむしむしかたつむり、と口ずさみながら仕事に取りかかる。合いの手は家々の隙間を吹きわたる風の音だ。家から出られないこともあってか、なんだか筆の進みが速かった。


「……なんだこりゃ」

 終着期間が始まってから十日。もうそろそろ漂着物も少なくなり、期間は終わりに近づいていた。仕事もはかどり、納期までには終わりそうだ。何もかもが順調だった。洗濯物を干しているときに見つけてしまったのだ。おびただしい数の何かを。

 外へ出て、近づいてみる。ヘルメットは必須だが、今日の風は比較的穏やかだ。手頃な木の棒ーー桜の枝だろうかーーを持って、まずはじっくり見てみる。点々とあるそれらは気持ち悪く感じられるほどある。フジツボや蓮の実なんかを見た時と同じように鳥肌が立った。全体ではなく一つの個体に集中する。茶色で、平べったい。もともと平たかったわけじゃなくて、衝撃でぺちゃんこになったみたいだ。そう、たとえば俺がビルの上から飛び降りたらこんな感じで発見されるだろう。そのべちゃっとしたものの上に渦巻き模様の丸い殻がくっついている。踏めば割れてしまいそうな薄い殻。いつか図鑑で見た、カタツムリのような……。まさか。木の枝でぺちゃんこの部分をつつく。固い。からからに乾いているようだ。風が強いこともあって、乾燥が激しいから落ちてきた後に日干しになってしまったのか。間違いない。これらはカタツムリだ。

 きっと、あの大量発生していたカタツムリが漂流してきたのだ。生き物がやってくるのは初めてで、対処に困った。自分のせいだということは分かっている。見て見ぬ振りをしていただけで、俺の願ったものが飛んでくるのはとっくに承知していた。自分が殺したくせに助けたいと思うのはエゴだろうか。乾いているだけならば、フリーズドライの味噌汁みたいに水をかけたら戻るかもしれない。馬鹿みたいな考えまで浮かんでくる。でも、やるだけやってみよう。俺は急いで倉庫のホースを取りに行った。

 勢いよく飛び出す、水。ホースの口を押さえて四方に散らす。広い範囲への水まきは、実家の庭でさんざんやらされている。こんなところで役に立つとは思ってもみなかったけれども。水はカタツムリたちに向けて雨のように降り注ぐ。それをどれくらいの時間続けていただろう。土も黒くなり始めた頃、心なしかカタツムリが立体的になった。形を取り戻しつつあるようだ。やはり水が足りなかったのだ。動き出すものもいる。小一時間の水まきで、すべてのカタツムリが復活した。次々に庭から出ていく。水場にでも行くのだろうか。また干からびないことを祈るしかない。

 ついにカタツムリはいなくなった。一生分のカタツムリ、いやそれ以上のものを見てしまって、なんだか現実味がない。呆然と庭を眺めていた。冷たいものが頬に当たる。お天気雨だ。カタツムリの置きみやげかもしれない。そう思ったら心地よくて、しばらく雨に当たっていた。次の終着期間は何がやってくるのか楽しみだ。


 T市は風が強い町である。ここに住んでいるといろんな物が飛んでくる。それらは「漂着物」という。がらくたがほとんどだが、たまに変なものがやってくることがある。この話が真実かはあなたの判断に任せよう。でも、俺の経験は夢でもなければ物語でもない。ここに記した通りのことが実際、起きたのだ。


b K.K.氏ファクシミリ 二一二〇年四月二十日から五月二十日

**さんへ

 こんにちは、お元気ですか。私は元気です、たぶん。体の具合ということだけなら、向こうにいたときよりは良くなっています。そちらは暑そうですね。**さんがバテていないか心配です。つい向こうの天気予報を見てしまって、雨が降らないのに傘を持って家を出てしまいました。

 この町は不思議なところです。昨日、洗濯物を干していると隣の奥さんに驚かれました。ここの人たちは外に干さないのだそうです。どうしてですかって聞いたら、風がすべて飛ばしてしまうからだとか。そんなことがありえるのでしょうか。信じられません。布団だけ、外に干しておきました。道行く人は怪訝な顔でじろじろ見てくるけど、気にしてません。せっかく広い庭がある家を選んだのに、使わなくてはもったいないですもんね。

 まだ少し肌寒いけれど、暑がりの私にはちょうどいいくらいです。梅雨もないと聞きますし、なんとかやっていけそうです。

いっぱい食べて、ちゃんと水分取ってくださいね。コンビニ弁当ばかりじゃなく、自炊も始めてください。野菜をいっぱい入れたお味噌汁だけでもいいですから。ささやかですが、余り物をクール便で送ります。

 ところで、初めて使うこのファクシミリというものは緊張しますね。こんなに文字を手で書いたのは初めてです。下手な字ですみません。蔵にしまわれていた万年筆も、喜んでくれているでしょうか。

 それでは、体に気をつけて。

二一二〇年四月二十日   

                     食後のコーヒーとともに ***より


**さんへ

 こんにちは。お元気ですか。私は元気ではありません。夜の風の音が怖くて眠れぬ日々が続いています。まるで、北風と太陽という話に出てくる北風が本当にいるみたいです。

 このあいだ干しておいたお布団は、なくなってしまいました。私はあの旅人のように力が強くないから、いずれこの家ごと飛んでいきそうです。隣の奥さんの忠告を聞いておくべきでした。

 でも、**さんが帰ってくるまではがんばってこの家を守ろうと思います。

 ではお元気で。

二一二〇年四月二十五日

                          毛布とともに ***より


**さんへ

 こんにちは、お元気ですか。私は不安です。朝、何か大きな物が家にぶつかった音で目が覚めました。様子を見てきます。

 送ったものが好評で私は嬉しいです。パンを焼いたので、また送りますね。自信作です。

 では、風邪をひかないようにお気をつけて。

二一二〇年五月十日

                 備え付けのヘルメットととともに ***より


**さんへ

 こんにちは、お元気ですか。私はどうしたらいいのでしょう。外に出たら、小さな小屋が落ちていました。他にも机や、鳥の巣など変なものがたくさんありました。何が起きているのかさっぱり分かりません。

 パン、全部食べてくれたんですね。口に合ったようで良かったです。今回はつくしの卵とじを送ります。こっちの人はつくしを食べないみたいで、道端に生えていても知らんぷりです。庭で採れたんですよ。

 では、お仕事がんばって。

二一二〇年五月十一日

                     帰ってきた布団とともに ***より


**さんへ

 こんにちは、お元気ですか。私は帰りたいです。近所の人は私を避けているようで、何が起きているのか教えてくれません。このブヨブヨしている壁がなければ、家はぺしゃんこになっていたに違いありません。物は増えるばかりで家から一歩も出られない状態です。とても困っています。地下の貯蔵庫にあった缶詰で暮らしています。

 つくしもおいしく食べてくれたみたいですね。今日はなにも送れません。

 どうか、帰って来て下さい。

二一二〇年五月二十日

                      最後のツナ缶とともに ***より


四 おわりに

 今現在、解析ができている記録の中に〈漂流物〉の記述があるのはこの二件だけである。しかし、この二件だけ見てもやわらかい材質の壁面で、大きな〈漂流物〉から住居とその住民を守っていたことがよく分かる。信憑性が薄い資料ばかりだが、遺物解析が進めば詳しく判明するだろう。本稿はその先駆けとなることを願っている。

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漂着物の終着点 守宮 泉 @Yamori-sen

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