第53話 隠された出口を探せ!

「サンキュね、コラージュ♪」


 ダンジョンの魔力によって過去にとらわれていたみなみは、ファニー・フロウの姿を取り戻すなり、にこやかに告げた。その独特の韻律を持つ声は、まさに、今のみなみにしか作り出せない。

 みなみは、空間の裂け目を押し広げる千織の左手を一瞥し、ほほえむ。


「後は任せて♪ カプリッチオ!」


 ぱちん、とみなみが両手を叩くと、そこから音符があふれ出す。

 四分、八分、十六分、三連符に休符。でたらめに生み出された音符が、みなみを中心にして竜巻のように広がっていく。

 彼女を閉じこめていた空間が、ファニー・フロウとアール・コラージュの魔法によって壊れていく。


<真と空言  閉じた鍵 忘れた小箱の    罪な闇>

<中と外とを 見間違え 忘れたの? もう出られない>


 崩れていく空間の奥から、クリーチャーがうごめき出す。


 お菓子の箱みたいな形をした四角いクリーチャーは、蓋の縁にずらりと並んだ牙をむき出しにして、がちがちと自身を開け閉めしながらフロウの背中に襲いかかる。

 空間の隅から、じりじりと赤い炎のような明かりが膨れ上がる。古い石油ストーブの姿をしたそれは、中心の熱源から炎の舌を伸ばして、コラージュをからめ取ろうとする。

 天井から、黒い煤の塊が落ちてくる。蜘蛛のような細い足を20本近く伸ばすそいつは、真ん中に持った目をぎろりと光らせて魔法少女たちを狙う。


「マチエール!」

「レクイエム!」


 コラージュの右手が一振りされると、七色の絵の具の一筋一筋が、細い糸のように絞られる。糸はクリーチャーたちにからみつき、バラバラに引き裂いた。


 フロウの胸元からあふれ出す五線譜が、あたりに散乱していた音符を集めて、ひとつの楽譜へと作り替える。奏でられる歌が、クリーチャーを揺さぶり、浄化していく。


 瞬く間に、ふたりの魔法少女は、クリーチャーを全滅させてしまった。


 ひいなの背中で、花乃華がちいさく「すごい」とつぶやくのが聞こえた。ひいながちらりと目をやると、子どものようなときめきのまなざしで、魔法少女たちの活躍を見守る花乃華。

 彼女たちのようになりたい、と、花乃華は思っているのだろうか。

 花乃華の選択肢は、いま、ここに存在しているのかもしれない。このまま地球でふつうの女の子として暮らすか、それとも、魔法世界に行ってエージェントになるか。

 いや、彼女だけではない。


『ひいなもいっしょに来ない?』


 そう花乃華は言った。

 花乃華が魔法世界に行くことを決断しているなら、ひいなも選択を迫られることになる。

 今まで通り、くたびれた大人の女性として生きるか。

 ふたたび、ひいなも魔法少女になるか。


 引き裂かれた空間から、千織に導かれるようにして、みなみが飛び出してくる。

 音符を全身にまとったみなみは、まるで全身が歌になったみたいに、喜んでいる。

 千織の両手はまだ異形のままだけれど、それは彼女自身が一種の絵画になったみたいだ。

 空中で一度、視線を交わしたふたり。彼女たちの足下に、千織が魔法で描き出した紙飛行機が、出迎えのようにすっと滑り込んでくる。

 ふたりの魔法少女は、翼の上に並んで立つ。ふたりの後ろで、切り裂かれた空間が崩壊し、夕空の赤さの中に溶けて消えていく。


 彼女たちにはもう、迷いがないみたいに見えた。

 確信を持って存在するものは、まっすぐで、堅固で、だからつい頼りたくなる。おとなでも子どもでも、いっしょだ。

 その輝きが、花乃華を、ひいなをもひきつけるのだろうか?


「さぁて、そろそろ出口を探さないとね♪」

「たぶん、クリーチャーの力で隠れてるんじゃないかな。でも、今のでコツはつかんだ」


 千織は巨大な左腕をむき出しにしたまま、みなみにうなずく。もはやひとつの形をとどめるでもなく、色も形も変幻し続けるその異形を、千織はもう恥じるでも隠すでもなく晒している。

 人の形をとどめないその姿は、しかし、その力でみなみを助けた。


「ねえ、アール・コラージュ」


 ひいなは、導かれるようにその名を呼んだ。ちょっと驚いたように、千織が振り返る。


「何でしょう?」

「今の、どうして、その腕を使ったの?」


 ひいなの唐突な質問に、千織は首をかしげる。かたわらで花乃華が「ひいな?」と不思議そうな顔。


「私のメイン魔法、コラージュ・コンストラクションは、あくまで描いたものを実体化させる魔法です。この紙飛行機のように、物理的に不可能なこともさせられますが、魔法としては間接的な力。私自身から直に魔力を供給できる、この両腕の方が強いんです」


「その体、嫌だって思ったことある?」

「ちょっとひいな」


 花乃華が窘めてくる。不躾な問いだ、と自分でも思ってはいたけど、止められなかった。怒られても仕方がない、という気分で、すこしおなかに力を入れる。

 しかし、千織は何でもなさそうに言う。


「このくらい、魔法世界じゃ割と当たり前ですよ。魔法少女には、もっととんでもない傷を負ってたり、体を魔法で作り替えてたり、いろんな子がいます」

「……そう」

「変であることが当たり前ですからね」


 千織は肩をすくめた。


「それが何か」

「何でもない。ごめん」

「そこで謝るの、ひいなさんが常識人だって証ですね」


 何も無礼なことなどなかった、とでも言いたげに、千織は笑った。それから進行方向へと目をやると、異形の左手を前方に伸ばす。蜘蛛の糸のように広がる左手は、出口の手がかりを探してはためく。


「……どうしたの、ひいな、突然」


 花乃華が、ふたたび小声で言う。ひいなはただ、無言で首を振ってそっぽを向く。背後から、花乃華の痛いほどの視線が届いてくる。腰に回された手が、ぎゅっと強さを増したのが伝わり、ひいなはすこし顔をしかめた。きつい抱擁は、かえって相手の息を苦しめる。


「わたしのこと、気にしてくれたの? もしも魔法世界に行くなら、って」


 つぶやくような花乃華の問い。かすかに、熱の混じった吐息がひいなのうなじを撫でた。

 答えないひいなの態度を、花乃華は肯定か照れ隠しとでも受け取ったらしかった。つかのま迷うように身じろぎしてから、わずかに後ろに体重を移して、指先ほどだけひいなから身を離した。


「大丈夫だよ。わたし……その気があるなら、ひいなもだけど、どこに行ったってうまくやっていける。魔法少女として、ずっとうまくやってきたんだもの。不可能なことなんてないって。もしも」


 さざ波のように、花乃華の指先に緊張が走る。


「これから、わたしが傷つくことがあったとしても。わたしは絶対に生きて、魔法少女として、やっていくことができる。そう信じてる」


 ひいなは、花乃華の言葉にうまく答えられない。はじめからボタンを掛け違えていて、しかも花乃華だけがそれに気づいていない。花乃華はひいなのことを疑っていないし、自分のことを考えてくれているのだと素直に信じていて、頼ってくれている。

 いつもの花乃華なら、もう少し冷静だったかもしれない。でも、『魔法世界に行く』と思いを告げた花乃華は、きっとその告白の高揚感に自分で当てられてしまっていて、普段の思考を欠いてしまっている。自分の心で、いっぱいになってしまっている。

 だから、ひいなの浮かない面差しに、気を配れない。


 花乃華も、自分のことで手一杯の、13歳の幼い魔法少女でしかない。

 そのことが、愛おしくなると同時に、胸が痛む。


 いま、ひいなの頭の半分は、背中に感じる花乃華の熱でいっぱいだ。


 残りの半分は、遠い魔法世界にいる、友達のことを考えている。


 るるは、今頃どうしているだろう。


「見つけた」


 千織の声に、はじかれるようにひいなと花乃華は顔を上げる。千織とみなみは、すでに紙飛行機の上に立ち上がって、臨戦態勢だ。


 真っ赤に染め上げられた空と、足下にたゆたう赤い海。

 その境界線が、ちりちりと、まるで合成に失敗した映像のようにブレている。一見すれば波と区別が付かないけれど、その揺らぎの端々に、青や黒や緑のさまざまな光点が浮かんでは消える。


 接しているはずの空と海の狭間に、何かが潜んでいる。


「どうにかして、あれを押し広げることが出来れば」

「任せて」


 千織に応えるように、ひいなはロッドに左手だけ預け、右手で前方を指さして、空と海の界面を狙う。じっと目を細め、左手で強くロッドを握り、膝を締めて体勢を固定。そうして、視線と、指の先とが、同じ一点を指すように。

 数秒、息さえ止めて。


(ここだ!)


「ディスカバー・ディザスター!」


 きゅん、と、風を切る音とともに、ひいなの指先から細い光線が放たれる。余りに細くて人間の目では見極められないような光線は、何物にも妨げられることなく、まっすぐに目標へと突き進む。

 一瞬後。


<ギギギギギギッッッ!!>


 水平線が爆発した。

 カラフルにギラつくノイズを嘔吐のようにまき散らし、空と海の狭間に、巨大な口が開く。


 その裂け目の奥から、異様なものが這いだしてくる。


 電車を襲い、魔法少女たちを呑み込んだ、青黒い泥のような液体。

 それが今は、人型に近い姿を取って出現する。赤ん坊のように頭だけがアンバランスに大きく、まん丸い目は血の色に輝く。頭部から無造作に伸びる太く長いものは、髪なのだろうか? 腕も足も指もでたらめな本数で、好き勝手に体のあちこちから生えていて、まるで壊れた3Dモデルのよう。


<先へ 先へ 夢の鉄道  どこまでも廻る>

<走れ 走れ 無限の末路 夜の果ての奈落>


 低い遠吠えのような声。

 背中から、まるで高足蜘蛛のように長く伸びた腕が、空間に開いた穴を越えて這いだしてきた。

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