第45話 安息の休日? 来たのは誰だ!

 週5日の出勤のあと、週末はダンジョンを攻略し、翌日の日曜日はオフ。それが、ここ最近の榊ひいなのライフサイクルだ。

 それ以前、週末に何をしていたか、ひいなはまったく覚えていない。たぶん、寝て起きて、記憶に残らないようなものごとを摂取して、誰にも会わずに過ごしていたに違いない。

 最近のひいなは、それに比べればずっと充実しているのだと思う。ダンジョンを探索し、魔法を駆使し、クリーチャーを倒し、ときに花乃華とじゃれ合う。


 でも、充実なんて疲れる。

 ベッドに寝転がって、退屈そうに欠伸をするへーちゃんの顔を眺めてまどろんでいると、ひいなの頭にそんな怠惰な思いが浮かぶ。

 情熱も興奮も冒険も、いっときだけのことだ。過ぎ去ってしまえば、コーヒーが冷めてただの黒い水になるのと同じように、温度のない記憶に変わる。

 醒めて酸っぱいコーヒーなんて口に入れたくもないし、だから、冒険の記憶なんて思い出したくもない。

 新しい冒険に次々挑んで中毒になるのがいやなら、頭を空っぽにして全部忘れるだけ。


 へーちゃんがうらやましい。力も、記憶も、何もなくなって、ただそこにいるだけの彼が。


「私も犬になりたいなぁ」


 ひいなのぼやきに、チャイムの音が重なった。

 誰だろう。休みの日に遊びに来る相手に心当たりはない。宅配便だろうか。すっぴんでスウェットを着たままのだらけた格好で起きあがり、ふと考える。ひいなの家を知っている人は、他にもいる。


(花乃華ちゃんにこんな顔見せるの、恥ずかしいかな)


 チャイムがふたたび鳴る。面倒になって、ひいなはそのまま出ることにした。いつもあわただしい配達員は、どうせ顔なんて見てないだろう。

 もしも花乃華でもかまわない。どうせ彼女にはみっともないところしか見せていない。

 のろのろとインターホンを取ると、受話器から、聞き覚えのある声がした。独特な節回しの、けれど、変に耳に残る声。


『いたいた~♪ こんちは~♪』



「うわー、殺風景♪」


 ひいなの部屋を一目見るなり、魔法少女ファニー・フロウは率直な感想を吐いた。開けるんじゃなかった、と、ひいなはさっそく後悔する。


「失礼だよ、フロウ。きっと断捨離とか好きなタイプなの。ものをあんまり持たない暮らしが好きな人、日本でも増えてるんだから。ミニマリストとかいう」


 ファニー・フロウの斜め後ろから顔を出し、アール・コラージュがフォローする。フォローになってはいないが。


「単に無趣味なだけ。文句言うなら帰ってくれる?」


 あえて不機嫌そうな顔をして、ひいなはファニー・フロウとアール・コラージュに言った。まだ玄関先だ、その気になれば追い返せる。

 ファニー・フロウはニヒヒとふざけた表情で笑い返す。


「ごめんなさい、大先輩♪ 魔法少女でダンジョン攻略してるなら、もっと金遣い荒いと思ってた♪」

「その大先輩って言うのもやめてくれる?」

「じゃあひいなさんでいい? アタシのこともみなみって呼んで♪ 今は魔法少女じゃないから♪」


 ファニー・フロウもアール・コラージュも、ダンジョンにいるときとは打って変わってごくふつうの少女の格好をしていた。背が高くて体格のいいファニー・フロウは、ゆったりしたアーシーな色合いのコーディネイトだが、ちょっと野暮ったく見える。地味目な顔立ちのアール・コラージュのほうが、メイクやアクセでメリハリをつけていて、スマートな印象だった。


「すみません、ひいなさん。あの子、どうにも遠慮とか配慮とか、そういうのが欠けてて」


 アール・コラージュは神妙な顔で頭を下げる。


「で、その魔法少女じゃないみなみさんは何の用なの? ていうか何でうちの住所知ってるの」

「バレバレだよ♪ あんなどでかい魔法使ったら、魔力のクセは分かるもの♪ いくらでもトレースできるよ♪」


 そう言いながら、ファニー・フロウことみなみは、靴を脱いですたすたと部屋に踏み入ってくる。呆然としていたひいなは、言葉にも、行動にも、対応が一瞬遅れた。

 リビングに入っていくみなみの背中を見やって、ひいなはつぶやく。


「……ストーカーじゃない。やめてよね、怖いこと」

「怖いのはどっち? バカみたいに巨大な魔法ブン回して♪ ダンジョンでなきゃ大騒ぎだよ♪」

「みなみの言うとおりです。一般人や、並の魔法少女なら、私たちでも追跡できかねます。あなたの力はそれほど強大だということ」


 静かな声で、アール・コラージュが補足する。彼女が玄関先にとどまっているせいで、ひいなはみなみを追いかけられない。どっちを見ていいのか、ちょっと戸惑う。


「……そうなのかな?」

「無自覚ですね。あなたは本当に危険視されてるんです。魔法を使わなかったからこそ、その存在を許されていたのに」

「そうだよ~♪ この子だってそう♪ 何でほっとかれてたのか、不思議なくらい♪」


 ちょこん、と、みなみは部屋の真ん中に座り込んでいた。

 みなみの目と鼻の先には、へーちゃんのケージがある。へーちゃんは威嚇するようにがちゃがちゃとケージの中で暴れて、はぁはぁと鳴き声とも吐息ともつかない荒い声を発している。あれは、へーちゃんのおびえの仕草だ、とひいなは知っている。


 へーちゃんをからかうように、みなみはケージに指を伸ばす。

 その指先に、ぽっ、と、魔法の八分音符が点滅した。


「邪悪の種クルールを操り、地球に混沌をもたらそうとした、煉獄の王ゲヘナ。絶対零度の闇の炎、光なき混沌の太陽。かつて地球に訪れた真なる夜、その根源」


 詩を口ずさむように、みなみは言う。

 その波打つような響き、即興の旋律を宿す声の強弱、呼吸するようでいて不思議に法則を持つようなリズム。

 それ自体が、ひとつの魔法みたいにも聞こえた。


「ほんとなら、この子も回収したいんだけどね♪」


「やめて。今のへーちゃんはただのペットだよ」


 ひいなは、みなみをにらんだ。いつでもリビングに飛び込めるように、足に力を入れる。踏みしめると、床のフローリングがやけに冷たく感じた。

 自分の中に、そんな感覚がよみがえってきているのが、不思議だった。

 魔法少女でないときでも、戦いを前にすれば気持ちが高ぶる。それは、10年前に捨て去ってしまったはずの感覚だった。


「うんうん、うまく魔力を隠してるよね~♪ さすがはかつてエティカル・ひいなと戦った怪物♪」

「隠してなんてない。本当に、魔力を全部失って浄化された、ただの生き物だよ」

「その証拠ある? 解剖して調べたっていいんだよ?」


 みなみが指先でケージの金網を軽くひっかけて、揺らす。へーちゃんはケージの隅にうずくまって吠える。

 いい加減にしろ、と、ひいなが切れそうになったとき。


「からかうのはやめなよ、フロウ。ゲヘナの回収は私たちの任務じゃないでしょ」


 そう言って、アール・コラージュもみなみを引き留めた。相変わらず、彼女は玄関先から動かないまま、遠い目つきで室内全体を見渡している。


「え~? 任務とか義務じゃなくても、回収は推奨事項でしょ~?」


 みなみはケージを指先でいじり回しながら、言う。中でへーちゃんがいっそう暴れるが、為す術はない。


「ていうかフロウって呼ぶのやめて♪ ここではみなみだよ♪ ね、千織ちおちゃん」

「どちらでもいいけど。いずれにせよ、ここでゲヘナを強制的に回収すれば、エティカル・ひいなに抵抗される。魔法少女同士の戦闘を回避するのは、それこそ努力義務よ」

「都合いいときだけ義務とか言うよね、千織ちゃん」


 つかのま、みなみはアール・コラージュこと千織を見つめた。千織の方は、じっとその場に突っ立って、指先でドアを支えている。彼女が手袋をしていることに、ひいなは初めて気づいた。


 やがてみなみは苦笑して、ケージから手を離した。


「はいはい♪ 千織ちゃんがそう言うなら、仕方ないね」


 千織は、ちいさく苦笑した。それは、彼女が今日初めて見せた、人間らしい表情だ。

 ひょっとして、彼女はへーちゃんやひいな、あるいはみなみを守ったのだろうか。


「大丈夫ですよ、ひいなさん。ゲヘナが無害であることは確認できました。私たちはゲヘナを回収したりはしません」

「そんなことのために部屋まで押し掛けてきたの?」


 へーちゃんの安全確認なんて、それにしてはずいぶん大仰だ、とひいなは思う。

 が、ゲヘナの存在を魔法世界連合が警戒しているのなら、これでも足りないくらいなのだろう。実際、ひいなもゲヘナと戦ったときはすごく苦労したし。

 そのときのことも、なるべく忘れるようにしているけれど。


「それと、ひいなさんの無害さの確認も、ですね」


 千織は肩をすくめる。


「10年間の沈黙が、本当に魔法を使う気がなかったからなのか、それとも何らかの策謀なのか。その確認です」

「……で、その結論は?」

「私たちの見る限り、ひいなさんはただのくたびれた会社員のお姉さんです」


 千織の淡々とした言葉は、ジョークとも本気ともつかなかった。曖昧な笑みを返すひいなにちらりと視線を向けてから、彼女はみなみに呼びかけた。


「用事も済んだし、帰ろうよ、フロウ」

「え~? アタシもうちょっと先輩とお話ししたいんだけどな~♪」

「じゃあ私だけ先に行く。ひさびさに友達と会いたいし」

「まーた千織ちゃんはそういう……規則違反の常習犯♪ よく会いに来てるの知ってんだからね♪」

「ばれなければいいの」

「こないだも人間界の絵、描いてたし?」


 いいながら、みなみはケージから手を離して立ち上がり、ちょこんと一礼。反射的にお辞儀を返したひいなの脇をすたすたと歩き過ぎて、玄関先で美織と合流。


「おじゃましました♪ せっかくの休日、ゆっくり楽しんでくださいね♪」

「来週、探索につきあってもらいますね。よろしく」

「……あれ、本気なの?」

「もち、本気♪」


 みなみたちの提案に、ひいなは未だに半信半疑だ。知り合ったばかりの魔法少女といっしょにダンジョン探索、しかも人の入ったこともないような超上層なんて、無茶じゃないだろうか。

 ……とはいえ、花乃華と出会ったときも、似たようなものだった。あのときと同じと思えば、意外と何とか……なるのだろうか?


 じゃ♪ と、手を振ってみなみと千織は玄関を出て行く。ばたん、と閉じたドアを、ひいなはしばしあっけにとられたまま見つめていた。

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