第39話 目的のためなら毒でも食らう?
茸のクリーチャーから生じた茸の群は、一定の方向に這いずり続けている。美鈴の張った魔力の膜に阻まれて、破裂してはまた再生。
まるで、カップの底にたまったココアの粉みたいに、褐色の淀みを形成していた。
「どこに行こうとしてるのかな。美鈴ちゃん、わかる?」
クリーチャーの動きは、何らかの誘導ではないか。そう考えたひいなの問いに、しかし、美鈴は首を横に振った。
「はい。でも、無駄だと思いますよ」
美鈴が片手を振り、魔力の膜を消した。茸の群は、妨げがなくなってもやはり同じ速度で移動し続けるだけ。
床を這い、繁茂する木々の根っこを乗り越えて、茸の群は通路の端に到達する。壁を呑み込んで高々と育った大木の幹に、茸が接触する。
茸は、その樹皮に吸い込まれて消えた。
「いつも、あんな感じです」
「なるほどね」
ダンジョンの壁と同化している太い樹幹は、茸の存在など一顧だにせず、ただそこにあるばかり。
ひいなはすたすたと歩み寄り、そのごつごつした幹に触れてみる。指先で触れ、幹の皮を少し剥がし、ついでに2,3度ノックするように指の関節で叩く。
何の反応もない。
「ひいな、何してんの?」
呆気にとられた声で、花乃華が呼びかけてくる。
「いや、この先に何かあるなら、反応するかも、って」
「だからって素手で触ることないじゃない。危ないよ」
花乃華は頭を振りつつ、ひいなのそばに歩み寄ってくる。その右手には、緑色の魔力が宿っている。
「はっ!」
がん、と、花乃華の魔力のこもった拳が樹皮を撃つ。
大木は微動だにしなかった。樹皮がかすかに焦げて、細い煙を発するだけ。花乃華は自分の右手を見つめる。
「力じゃどうにもならなそう、かな」
「そこにこだわっててもしょうがないと思うよ、花乃華。先に進もう?」
「うん……」
美鈴はすでに、通路の先へと歩き出している。花乃華は納得できない様子ではあるものの、うなずいて美鈴について行こうとしていた。
しかし、ひいなはまだ何となく、気がすまない。
ふつうにダンジョンを攻略していても、ボスには到達できない。彼女たちよりはるかに先行していた美鈴でもそうだ。
だとしたら、何か、別の手段が必要になる。
腐りクサビラと、消えていった茸と、この大樹。
手がかりになりそうな気がした。
「ひいな?」
花乃華の呼び声を遠くに聞きながら、ひいなは、その場にしゃがみ込んだ。
大樹の根が、床と壁の継ぎ目を隠すように広がっている。微妙な湿気をはらみ、いくぶん柔らかくて、これが本当に山に生えている木だったら、それこそ茸がたくさん採集できそうだった。
魔力も使わない、エモーショナルスターロッドにも頼らない。
素手で、ひいなはその太い根の端に触れた。
ぼろり、と、樹皮はかんたんにめくれる。
その下から、さっきのクリーチャーと同じ形状をした、小振りな茸が顔を出す。褐色の丸いカサがひしめき、外気に触れてぷるぷると揺れる。ここを繁殖地にしているのかもしれなかった。
ひいなは、その茸の一株を手づかみでむしり取った。
「ちょっとひいな……ひいな!?」
花乃華の悲鳴と、駆け寄る足音。
ひいなが顔を上げると、花乃華がすぐそばにいた。焦りを含んだ荒い息で、まじまじとひいなの手の中の茸を凝視している。「信じられない」と小声のつぶやき。
「ひいな、何するつもりだったの?」
その問いに、ひいなは当たり前の答えを返した。
「茸の胞子、吸ってみたらどうなるかな、って」
「毒だっつったじゃん! 何考えてんの!?」
叫んだ花乃華が、ひいなの手から茸をむしり取って投げ捨てる。床を埋め尽くす根っこの上に落ちた茸は、もそもそと蠢きながら、樹皮の中へと潜り込むように消えていく。
「でもさぁ」
花乃華にしては、少し勘が鈍いな、と思いながら、ひいなは答えた。
「茸の力があれば、道が見えるかもしれないじゃない」
茸が樹皮の中に呑み込まれていく姿を見たとき、ひいなはぴんときたのだ。
ひょっとしたら、自分たちには見えていない通路が、このダンジョンにはあるのかもしれない。木々と蔓草に覆われて、目には見えず、手で触れてもわからないような、秘密のルート。
それを知るために、あえて毒を呑む必要があるのかもしれない。
「そんなのただの幻覚だってば……」
花乃華はひいなの判断をまったく信じていないようで、首を振るばかり。
「そうとは限らないよ? 幻の中に真実があるかも」
「……ひいな、時々、突拍子もないこと言うよね。わたしたちと違う常識で生きてる感じする」
「大人だからね」
笑ってそう言うひいなを、花乃華は半眼で睨んだ。
「ごまかさないで。大人でも何でも、自分で毒を呑むみたいな自己犠牲、許さないんだから」
ひいなはまっすぐ、花乃華の不安げな目を見据える。彼女の瞳の中の揺らぐ感情を、つなぎ止めようとするように。
「……本気なんですか、先輩」
その横から、美鈴が問いかけてくる。ひいなは肩をすくめた。
「大丈夫、花乃華ちゃんや美鈴ちゃんにはこんなことやらせないよ。実験するのは、私ひとりでいい」
「そういうこと言ってるんじゃないの! ひいなのことが心配だって」
「まぁまぁ、ここは大人に任せときなさい」
そう言って、ひいなはふたたび樹皮を掘り起こし、茸を探り出す。採っても採ってもなくならない茸を、また一掴みもぎ取った。ひんやり湿った感触が、ひいなの手のひらにじっとりと染み渡る。
花乃華を見上げて、ひいなは微笑む。花乃華は、急に胸を突かれたような、驚きにも似た戸惑いの表情を浮かべる。
ひいなとしては、彼女を安心させたかったのだけれど。
花乃華は、それを、全然違う意味に取ったのかもしれない。狂気とか、自棄とか。
しばし、視線どうしがぶつかり合う。
それから花乃華は、深々と吐息をついた。ひいなの左手首をきつく握って、言う。
「もしおかしなことになったら、力ずくでもゲートまで連れ戻すからね」
「うん、そのときは任せる。頼りにしてるよ」
「……変なときばっかり、そういうこと言う」
花乃華の不器用なつぶやきが、妙にいとおしくて、ひいなは微笑みを返す。
「……あの、ひいなさん」
横で話を聞いていた美鈴が、ためらいがちに口を開いた。
話を聞くまでもない。彼女は自分が犠牲になろうとするだろう。美鈴の目的、クリプティの素材の探索のために、3人はここにいるのだ。真っ先にリスクを犯すべきは美鈴だと、そういうつもりに違いなかった。
でも、違う。目的を果たしても、美鈴がいなければ意味がない。
だから、リスクを負うべきは、この場でもっとも無関係なひいなだ。
ひいなは、じっと茸を見つめる。胞子をばらまいてくれるのを待つか、最悪、食べるという手もある。
でも、その前に、褐色のカサが真ん中からぱっくりと開く。
<語れ 幻>
幼さすら感じさせる声とともに、褐色の胞子がひいなを包み込んだ。
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