宇宙の光

 食事を終え、後片付けが済んだら今度は屋上に集合と言われている。 かまどを解体し、写真と洗った皿をボストンバッグにしまうと、子供たちは屋上への階段へ急いだ。

 普段は屋上への扉には鍵がかかっているし、屋上へ続く階段には使っていない机や椅子が山のように積まれてバリケードのようになっていて上ることが出来ない。それが今日は少しだけ片付けられており、人ひとりなら通り抜けられる道が出来ている。小学校に入学してから初めて屋上へ出られる――その事実に胸が躍った。

「月島君危ないって、服が椅子に引っかかってる!」

「まじかよ! 取ってよ!」

「後ろがつかえてるんですけどぉ、ねえ早くしてよ!」

「待てよこっちは取り込み中だっつーの!」

 一列になり机と椅子の間をすり抜ける。階段をゆっくりと上りながら、康介は千夜子が胸の前に星座早見盤を抱えていることに気付いた。そういえば、四年生の時に康介も彼女と同じものを買っている。理科の授業で宇宙の話を聞き、昼間は見えない星を何となくイメージしながらくるくる回したものであった。

 階段を上りきり、戸に手をかける。日頃開くことのない引き戸が、今日は横にスライドする。一歩屋上に踏み出す。そこでは梢葉大学の学生や先生たちが子供たちを待っていた。

 しかしそれ以上に子供たちの目を引いたのは、六台の天体望遠鏡だった。

 形は六台とも異なっていたが大きさはどれも同じくらい、三脚からレンズまでの高さは康介の肩ほどもある。グラウンドからのバックライトの明かりを浴びて、望遠鏡は白く光っているように見えた。

「わっ、すごい」

 その内の一台に駆け寄ってみる。「覗いてみてもいい?」と訊ねたが、泉先生は「まだ駄目。皆が揃って、先生たちの説明を聞いてからですよ」と言う。何だ。康介は少し残念な気持ちで改めて天体望遠鏡を見たが、千夜子はそれでも興奮した様子で学生を捉まえていた。

「これ、先生たちの?」

「俺たちで用意したのが四台、大学から二台借りて、もう一台はこの学校の理科室から持ってきたよ」

「うちの学校にも望遠鏡なんてあったの?」

「しまいこんであったから長いこと使ってなかったんじゃないかな。夜中に理科の授業をする訳じゃないから、実際に皆に星を見てもらうことも出来ないしね」

「そうなんだあ、もったいないなあ」

「そうだよね、もったいないね」

 うんうん、と頷き、千夜子が望遠鏡の周りをぐるりと回る。その目にはたくさんの星が映り込んで、きらきらと輝いていた。

 観察会の参加者と大学生たちが全員屋上に集まったところで路川先生の講義が始まった。まずは望遠鏡を使わずに空を見上げ、東の上空を流れる天の川を見る。曰く、天の川を挟んでこと座とわし座が並び、天の川に橋を渡すようにしてはくちょう座が位置している。康介には星の並びや星座の形なんかはよく分からなかったが、一際明るい星が三つあることだけは分かった。それがそれぞれ七夕の織姫と彦星、そのふたりを結んだ白鳥で、三つを繋いだ三角形が夏の大三角なのだと路川先生は教えてくれた。

 明るくてよく見える星は他にもたくさんある。望遠鏡を使っていろんな星を見てみよう。見ての通り肉眼でも十分に見えるから、望遠鏡の順番を待っている間も空を見てみてね――講義はこう締めくくられ、それを合図に子供たちは天体望遠鏡に飛びついた。一台にひとりずつ学生がつき、具体的な使い方を説明される。康介たち六班は唯一の女子学生から、実際に望遠鏡を操作しながら星の探し方を教わった。

 平等にじゃんけんした結果、最初に望遠鏡を覗く権利は健一に与えられた。説明された通りにねじを動かし、健一はレンズ越しに空を見上げた。

「さっき路川先生も言ってたけど、星って普通に上見てれば見えるでしょ? だったら、望遠鏡使わなきゃ見えないものって何なの?」

 望遠鏡が対象物を求めてさ迷う。

「そうだねえ……」

 女子学生は腕を組んで何か考えているようだったが、すぐに空を指差した。南東の方角である。皆も女子学生の指先を目で追う。千夜子だけは早見盤に目を落として方角を合わせ、盤と空を見比べた。

「いて座?」

「そうだよ。詳しいね」女子学生が千夜子に微笑みかけた。「ちょっと低い位置なんだけど、あの辺りにいて座が見えます」

「あっおれいて座だよ」

「そうなんだ。じゃあ尚更この後の説明をよく聞いてね……泉先生!」

 女子学生に呼び止められた泉先生はスケッチブックを持っていた。一言二言交わし、何か了解したのか泉先生が頷く。スケッチブックを開き、あるページを開くとそれを康介たちにも見えるように広げた。それは青白く光る点――星が無数に集まっている写真だった。

「これは星団。太陽みたいに自分で光を放つ星――恒星っていうんだけど、それが何百も集まっているの。星の集団、だから星団ね」

「へえ、すげー綺麗じゃん!」

「肉眼でも見えるものだけど、望遠鏡で見ると星の粒ひとつひとつが見えてもっと綺麗だよ」

「なるほどね、そういうのを探せばいいんだな!」

 明確な目標物が出来ればあとはそれを目指すだけだ。実際に空を見ながらだいたいの位置にあたりをつけてレンズを向け、低倍率の望遠鏡を覗いて対象を捉えていく。

「あそこに明るいのが見えるからきっとあれだよ」

「えー何も見えないぞ?」

「それはトンチンカンな方を見てるってことよ。あたしが探すわ、代わって!」

「まだおれの番だっつーの……あっ何か見えた」

 康介も望遠鏡と同じ方向を見て目を凝らす。天の川の流れに沿って明るい星が三つ並んでいる。どの星をどうつないだらいて座なのか千夜子に訊ねてみると、彼女は首を傾げた。

「? どうしたの? 花江さん」

「んん、あのね」康介にも早見盤が見えるように持ち直し、「何か違うんだよね」

 星座早見盤に全ての星が書き込まれている訳ではない。だから盤上よりもずっと多くの星が夜空には瞬いている。しかし大きくて明るい星は大抵盤上にも載っているはずだ。

 改めて空と早見盤を見比べる。いて座は二等星を二つ有する星座。対して空には、大きな星がやはり三つ見えるのだ。うち二つがいて座の二等星として、ならもうひとつは何か。早見盤を見ても、しかし それはどこにも載っていなかった。

「この早見盤、間違ってる?」

「まさか、そんなはずないよ」

「じゃああれ何だろう」

 今度は二人して首を傾げていると肩を叩かれた。六班についてくれた女子学生だ。

「いいことに気づいたね」

「えっ、何?」

「あの星が何なのか、それは路川君が教えてくれるよ」

 じゃあその路川先生はどこに。見回すと、彼は子供たちから少し離れたところで、七台目の望遠鏡を覗いている。

 班員たちを見れば、健一と鈴花が「星団見つからないなあ」「そろそろ交代の時間でしょ!」「まだだろちょっとは待てよ!」などと言い合い、それを雅哉が仲介している。朋と修はいて座とは別方向を指差して「人工衛星が……」「軌道は……」と何だか難しそうな話をしている。じゃんけんで負けた康介に順番が回ってくるまで、まだ時間がかかりそうだ。

「聞いておいで」

 女子学生に背中を押され、康介は千夜子を連れて路川先生の元へと向かった。

 真剣な表情の路川先生に声をかけるのは気が引けたが、千夜子の知的好奇心はそれに勝った。小走りで路川先生に近付いていく。

「先生、質問があるんですけど」

 顔を上げた路川先生は千夜子と康介を認めると腰を折って二人と目線を合わせた。

「どうしたの?」

「あれ、あの星が何なのか知りたいんです」

 空のいて座と星座早見盤のいて座を交互に指差す。星の並び方が違うでしょう? もしかしたら新しい星の発見? いくつもの可能性が康介の脳裏をよぎる。もしあれが新星なら、名前をつける権利は発見者にある。そうしたらあの星はチヤコだ――。

「僕も今あの星を見てたんだ」

 路川先生の答えで康介の気持ちは少し縮んだ。しかしそれも一瞬のことで、「見てみる?」という路川先生の言葉に再び膨らみ「見たい!」と返す。だがここはレディーファーストだ。

「花江さん、先にいいよ」

 望遠鏡を覗くよう千夜子を促し、遠慮がちにではあったが千夜子は頷いた。

 レンズを覗き、すぐさまそれが何であるか分かったのだろう。路川先生を振り向いて「すごい、こんなに見えるんだ!」と目を輝かせた。

「松崎くんも見てみなよ!」

 千夜子に腕を引かれ康介も望遠鏡の前に立つ。身を屈め接眼レンズに目を寄せる。そこに映し出されていたのは縞模様が幾重にも重なっている星だった。理科の教科書に載っていたカラー写真が脳裏に蘇る。これは、もしかして。

「木星?」

 康介の疑問を千夜子が肯定した。太陽系の、内側から五番目を周回する惑星、木星だ。

「すごい……!」

 康介でも抱えられるような望遠鏡を介するだけで、その模様まではっきりと観察することが出来る。大がかりなものなんてなくていい。こんな小さなもので地球の外側が見えてしまうのだ。

 望遠鏡を再び千夜子に譲り、康介はふと浮かんだ疑問を口にした。

「ねえ路川先生、あの縞模様って何なの? 地面に線が引いてあるの?」

「そうじゃないよ。あれは……そうだね、地球にあるもので例えるなら雲だよ」

「えっ雲なの?」

「うん、木星はガスが丸く集まっている星なんだ。そして地球と同じように自転している。自転に合わせて雲が流れ続けていて、それが縞模様に見えるんだよ」

「へええ」

 宇宙から見た地球の写真も教科書や図鑑で見たが、ところどころに白く雲がかかっていた。それが木星の場合は線状になっていて、縞模様になっている――そういうことらしい。

 地球では起こらないことが、地球の外では起こっている。宇宙には見たことがないものや知らないものがたくさんある。それをひとつひとつ教えてくれる路川先生が、とても頼もしく見えた。

「何だか、学校の先生みたいだね」

 康介が路川先生を見上げると、先生はにやりとした。

「あと三年もすれば本物の先生だよ」

 このにやり顔は、もしかしたら照れ隠しだったのかもしれない。ただ康介はこの時――泉先生には悪いけれど――路川先生がクラスの担任だったら楽しいだろうなと、そう思ったのであった。

 路川先生曰く、星は動くらしい。正確には、星は動かず地球が動いているから『動いているように見える』のだそうだ。ではどれほど動くのか。それを調べる為に、子供たちは各々気に入った星の方角、高度を記録した。

 次の観察は二時間後。ではそれまで何をして待つのか。それはもちろん、観察会のポスターにもあったアレだ。

「せっかくだから、皆で花火をしましょう」

 わっ、と歓声が上がった。泉先生が持ってきた紙袋から覗くたくさんの花火に、更に期待が高まる。やっぱり勢いよく火が出るやつがかっこいいよな、ええー線香花火の方が可愛くていいよお、班のメンバー同士で囁き合う。「花火はグラウンドで」という路川先生の言葉で、皆が一斉に外へ向かう。その流れに康介たちも乗る。

 一階まで階段を降りたところで、康介は健一に軽く肩から体当たりした。「ね、花火楽しみだね」と言うつもりだった。しかしそれよりも早く健一は「星見るのも案外悪くねーな」と口を開いた。

「二時間も待ってらんねーよ。おれたちだけで特別授業しようぜ」

「え、何言ってんの。花火は?」

「日程変更、今度おれんちでやろうぜ」

「何それ。特別授業って何さ」

「知りたかったらついてこいよ。いい場所思い出したんだ」

 健一が鼻を膨らましている時は、大抵よからぬことを考えている。健一の発言から、具体的な内容までは分からないが、それは褒められたことではないことが容易に想像出来た。そして、よからぬことというものの多くは康介に興奮を与えてくれることも知っていた。

「いい場所って?」

「行けば分かるっつーの」

 尋ねてもいまいち要領を得ない答えが返ってくるばかり。それならば――。

「分かったよ」

 康介は同行を選択した。

 皆がいる中堂々と抜け出せばすぐに先生たちに感づかれてしまうだろう。そうならない為に、わざとゆっくり歩き、わざとゆっくり靴を履く。後から階段を下りてきた児童たちが次々と二人を追い抜いていく。いいぞ、この調子だ。無意味に足首を回したり上体をねじったりながら皆が行き去るのを待つ。

 最後まで屋上で天体望遠鏡を覗いていた六年生たちが玄関に姿を現した。彼らが最後のはずである。

「あの六年生たちが靴をはいたタイミングで行くぞ」

 健一の提案に康介も頷く。六年生の様子を窺う。靴を手に取り土間に放る。足で寄せて履きやすいように並べる。爪先が靴に入る。身を屈めて踵を靴に押し込む。

「今だ!」

 二人で身を翻す。しかし。

「ちょっと二人とも、何してるの?」

 恐ろしく間の悪いこの声で計画は台無しになった。

 声の方を見れば朋と鈴花、その後ろに隠れるようにして千夜子がおり、雅哉と修までいる。六班全員集合だ。

「どうしたんだよ、みんな揃って」

 頭を掻いた健一が肩をすくめると、「それはこっちの台詞だよ」と朋は溜め息を返した。

「二人がちっとも来ないから探しに来たんじゃない」

「別に来なくてよかったのに。おれたち花火欠席」

「それどういうこと?」

「ちょっと行くところが……ね!」

 健一がぱっと身を返し、康介もそれについていく。

「ねえ何考えてんの!」

 鈴花の声が追ってくるが足を止めない、振り返らない。しかし声が遠くならない上に足音まで聞こえてくる。彼女もこちらに向かってきているのだろう。

 結局背後からの足音たちは途切れることがなく、康介たち対朋たちの鬼ごっこは、先頭を走る健一が足を止めるまで続いた。健一の言うところのいい場所――プール裏は静かで、校舎を挟んだ向こう側から誰かの声や火薬がはじける音が聞こえてくる程度だ。

「みんな花火を始めたみたいだね」

「そろそろグラウンドに戻ろうよ」

「こんなとこまで来て、月島君、どうするつもり?」

 口々に言われても健一の決心は揺らがない。まっすぐにあのフェンスに向かい、外れかかった網に手をかけた。

「月島君、まさか!」

 修が目を丸くする。康介は健一の代わりに、唇の前で人差し指を立てた。

「泉先生には内緒だよ」

「駄目だよそんなの、学校抜け出すなんて駄目!」

「ちょっとそこまでだから、すぐ戻るって」

「でも……」

 眉尻を下げ、修が口ごもる。その間にも健一と康介は金網をくぐり、なんと鈴花がフェンス枠に足をかけている。

「ねえ、高島さん何考えてるの!」

「だってちょっとわくわくするじゃない?」

「スズカが行くなら俺も」

「雅哉まで、駄目だってば!」

 修の制止もむなしく雅哉の身体はフェンスを越えてしまった。これで学校の内に三人、外に四人だ。

 朋は特に表情を変えず、健一を見、グラウンドの方向を見、それから改めてフェンス外の四人を順に見た。千夜子はそんな朋の顔を見つめている。

「ねえ、朋ちゃん……」

「こういう時って、基本は班行動なんだよね」

「えっ?」

「班単位での行動が基本だから、あんまりばらばらになるべきじゃないと思うんだよ」

 朋の遠回しな言い方に千夜子が首を傾げる。つまり何が言いたいの? という風に。朋は深く息を吸って、吐き出した。

「私もついていくよ」

 あの鴇田朋が学校を抜け出そうなんて、いったい誰なら想像出来たことだろうか! 彼女のこの発言に驚かない観岳小五年生はいないに違いない。健一を見ればあんぐりと口を開け、千夜子は両手で口を覆い目を見開いた。当の朋はというと、さっそくフェンスの隙間をくぐり抜けている。これで外が五、内が二。

「じゃ、じゃあわたしも!」

 千夜子が外に出て、これで六対一。

 六対の目がフェンスの内側の修に向けられる。修の足元でキリギリスが跳ねたが、修は動かない。

「じゃあポロ、あたしたちの分まで花火楽しんでおいてね」

 鈴花が振り向き様にひらひらと手を振った。あっちあっち、と指差す健一に続いて五人は移動を始める。

「皆本当に行っちゃうの!?」

 うわずった修の声が大気に融ける。それに対する返事はない。どうしたらいいのだろう。振り向いて校舎を見遣り、その向こうの花火に意識を向け、もう一度前を見る。フェンスの向こうで暗がりに消えつつある六班のメンバーの背中を目で追う。このままひとりでグラウンドへは戻れない。自分ひとりだけで花火を楽しむことは出来ない。かといって、このままここで立ち尽くしている訳にもいかない。

 修はぐっと両手を握り締め、そして。

「お、置いてかないでよー!」

 音を立ててフェンスを掴み、外へと飛び出した。

 道と呼べないような獣道を歩くこと数分。グラウンドを照らしていたバックライトの光が木々に遮られ、徐々に足元が見えなくなってきた。張り出した木の根に鈴花がつまづき、健一に手を借りて起き上がる。「こうも暗いと危なくてしょうがないね」と雅哉がこぼす。

 何か明かりがあれば――考えて、康介はズボンのポケットに入れたキーホルダーを思い出した。歪に膨らんだポケットに手を突っ込み、中身を引っ張り出す。弟から持たされたネコのキーホルダーがころんと顔を出した。

 ネコの全身を指の腹で撫で、形を確める。スイッチのしっぽを引っ張ると同時にネコの目が光り、康介の手元が明るくなる。小さな電球の弱い光だったが、この真っ暗な森の中ではとても心強く思えた。

 その光に六人の視線が集中した。

「えっ何? 明るいね」

「マツスケ、ライト持ってたの?」

「うん、こんなのでよければ」

 ポケットから、今度はトラを出して鈴花に差し出す。鈴花の細い指がしっぽを引っ張ると目が光り、もう一度引っ張ると消えた。

「何だよコースケ、気が利くじゃん」

「いやあ、たまたまだよ」

 今朝の弟のわがままで持たされ、食事前に皿と一緒に鞄から転がり出てきただけである。康介が自発的に持ってきたものではない、本当に偶然だ。しかし今必要なものを康介が持っていたことも事実である。肘で小突いてくる健一をかわしながら、康介は口を尖らせて緩む頬を誤魔化した。

「女子で一個、男子で一個持ってればいいよね」

「そうだな」

 鈴花の両脇に千夜子と朋が、康介の周りに健一と雅哉、修が集まった。女三人と男四人。観岳と梢葉でチーム分けした方がよかったかもしれない。男三人に囲まれながら、康介は少しだけ後悔した。

 小さな明かりを頼りに、更に獣道を進む。暗い中を進んでいるせいで、どれほど歩いたか検討もつかない。乗り気でついてきた康介だったが、徐々に不安が大きくなってきた。

「ねえ、ケン」と普通に呼びかけたつもりが静かな森で大きく響き、慌てて声を潜めた。

「まだ歩くの?」健一のタンクトップを引っ張り「ぼくたち、結構遠くまで来ちゃったんじゃない?」

「そんなことねーよ、心配すんなって」

「じゃあどこまで行くつもりなの? あとどれくらい?」

「もう着くよ……ほら」

 健一が示した前方を見る。すぐ目の前で森が開けていた。皆少しずつ早足になり、森を抜ける頃には、それは駆け足に変わっていた。

 大きな木々が途切れたそこは、ちょっとした広場のようになっていた。これといって何かがある訳でもなく、康介の膝ほどまである背丈の草が地面を覆う程度である。水が流れる音がするから、近くに川があるのだろう。

 そしてそこは、明るかった。これまで康介たちの頭上を覆っていた木々の枝はなくなり、学校からの明かりも届かない。余計な光がないここには、柔らかな星の光が満ち溢れていた。

「わあ……」

 千夜子の口から感嘆が漏れる。

「さっきよりも星がよく見える! 素敵!」

 天の川、織姫、彦星、はくちょう座。さそり座にいて座、北極星。そして木星。どれもとても明るくて、とても優しい光だ。それを康介たちは独り占めしている――いや、七人だから七人占めと言うべきか。

「すごいじゃない、ツッキー!」

 鈴花に誉められた健一は満更でもなさそうだった。偉そうに「まあ……おれほどの人間になると、何でも詳しくなっちゃうのさ」などと答えている。お互い初めはあんなにトゲトゲしていたのに、いつの間に仲良くなったのか。その様子がおかしくて、康介は思わず笑ってしまった。

 この場の明かりは空から降る星の光だけではなかった。

 それに最初に気付いたのは千夜子だった。ゆらり、ゆらりと、七人の足元で小さな光が明滅する。

「なあに?」

 屈んだ千夜子の目の前で光が宙に浮いた。思わず後ずさりした彼女の肩を受け止めた康介は、光の正体を見破ろうと目を細めた。

 ざっと風が吹き、無数の光が一斉に舞った。

 ついては消えてを繰り返し、緑色を帯びた光は柔らかな曲線を宙に描いた。時には草の上でとまり翅を休め、次の場所へ移動しながら再び光をともす。ひとつではない、複数が、康介たちの周りで舞い上がる。コオロギやスズムシ、キリギリスたちが合唱する中で、光の渦が康介たちを包み込む。

「これは……ホタルだね」

 修がずれた眼鏡を押し上げた。伸ばした雅哉の指先にホタルがとまり、鈴花が捕まえる前にまた飛んでいった。

「こんなにたくさん、ホタルがいるなんて」

 息をのんだ朋の隣で健一がこくこくと頷いた。あの様子では、ホタルのことを知っていてここまで来た訳ではなさそうだ。

 静かに舞うホタルの光は、熱をもたないはずなのに温かい。決して眩しくない、ごく自然な明かりは、星の放つそれに似ていると康介は思った。

 星のようなホタルたちの中に立ち尽くす。足元が揺れるような波打つような、浮遊感に襲われる。川の流れに身を任せながら泳いでいる時の感覚と似ていると思った。が、違う。これはまるで。

「宇宙にいるみたいだ」

 康介の呟きに千夜子が顔を上げた。

「わたしもそう思ってた」

「そう? ぼくと一緒だね」

 康介がにっこり笑う。千夜子も微笑み返す。星空にホタルが重なり、空に新たな模様を描き出した。

 無数の光を受け、子供たちの笑顔も輝いていた。

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