運が悪かった
運が悪かったとしか、いいようがない。ミラ=エストハイムは、総じて運が悪かった。ライーザ王が進軍を開始した当日、たまたま首都ウェイバールで買い物をしていたこと。そこで、彼女の母親と出会い、目いっぱい抱きしめられたこと。未だ、その村に住んでいた家族の家に呼ばれたこと。他ならぬ、ミラ自身が、本当に家族を愛していたこと。
家族で晩餐を楽しんでいる最中、よからぬ兵隊が、村の蹂躙を始めたこと。誰もが自分の命を守るため必死になる中、泣きながら逃げている子どもが目に入ったこと。彼女がそれを放っておくことができない性格であったこと。
運が悪かった。
アシュは、彼女の死を、そう結論付けた。
*
首都ウェイバールに戻り、繁華街を離れた路地裏通りにある建物。少年と共に、アシュは扉を開けて中に入る。
パリン。
グラスを持ったバーテンダーは、手を滑らして割ることで驚嘆を表現した。
「やぁ、リック」
いつも通り、紳士的にお辞儀をしてカウンターに座る闇魔法使い。
「そ、その子どもは?」
「……温かいホットミルクをご馳走してやってくれ」
少年はすでに泣き止んでおり、端の席にチョコンと座る。放心状態で、その表情からは感情がまったく読み取れない。
「そんなことより、リック。君の情報は完璧だった。ライーザ王の進軍タイミングも、進路も。さすがの仕事だね。これからも、期待しているよ」
「……」
世の中に、こんなに褒められて嬉しくないことがあるのかと、有能情報屋はため息をつく。
「さて、そろそろだが……」
アシュが置時計の時間を見ながらつぶやくと、
「もういますよ」
と武器商人であるシシュンが、リックの横に現れる。
「……っ」
気配もなく現れる男に、死ぬほど動揺するバーテンダー。心の中で曰く、『もういますよ』じゃ、ねーよ。
「まあ……知ってたけどね」
かたや、シレっと嘘をつく見栄っ張り魔法使いは、カクテルを飲み干す。
「準備はおおむね完了しました。後は、あなたのご随意のままに」
シシュンは闇魔法使いに跪く。
「ふむ……よくやってくれたね。今回のことが成功すれば、君にはいろいろとお礼をしなくてはいけないな」
「いえ。私たちにも大いに利益のある話ですから」
「同時にリスクもある話だ。まあ、もらっておきたまえ。報酬はもらい過ぎても、迷惑なものではないだろう?」
「……」
一瞬の躊躇。
この闇魔法使いに、これ以上深入りしていいのだろうかという疑念がシシュンを襲った。それは、武器商人としての勘定ではなく、人間としての本能。彼の根源的な直感は、目の前にいる不吉そのものが、破滅しかもたらさぬことを如実に感じ取っていた。
「ククッ……君のそう言うところを、僕は買っているんだよ。でもね、君はもう少し正直になった方がいい」
闇魔法使いは立ち上がって、首を傾げ大きく目を見開く。
まるで、全てを見透かすように。
「許せないのだろう?」
「……私の感情など」
同胞を生かすことのみを誓った。復讐に生きるのではなく、過去に生きるのではなく。先の未来を見据えて。
でも。
「ククク……君は親、兄弟、友人。全てを奪って行った者たちを許せるか? 復讐はなにも生み出さない? 綺麗ごとだ」
「……」
「なら、殺してやろう。そう高らかに謡いあげ、全てを奪って行った奴らに。親を兄弟を、友人を。そして愛する人を殺されてもなお。奴らが同じことを言えるのか、試してやろう。復讐されてもなお、お前たちに同じことが言えるのならば。僕は未だかつて、そんな者を見たことがないがね」
「……」
「シシュン。僕は君のことをよくわかっているよ。だから、僕と共に歩もう。君が心から望む結末を、きっと僕は用意できるから」
「……はい」
闇魔法使いの誘いに、青年は深く頷いた。
「ありがとう……さて、行くとするかな」
カクテルを一気に飲み干し、アシュは立ち上がった。
「お、おい! この子は?」
「しばらく、頼む。まあ、僕が戻ってこなかったら好きにしていい」
「す、好きにって。執事がいただろう? そいつに世話を任せればいいんじゃないのか?」
「……頼んだよ」
闇魔法使いはそう言って立ち上がり、バーを後にした。
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