王国㉛
一人の男が西の遥か彼方、地平線の先を目を凝らすように見つめていた。
緑に覆われた広大な草原が視界を覆い尽くす。それは、この土地が豊かであることの現れだ。
帝国にないものをこの国は持っている。そう思うとやるせない思いが込み上げてくる。
じっと地平の彼方を見つめる男に、背後から一人の兵士が近づいた。
「アレン将軍、これから如何いたしますか?」
名前を呼ばれた男は振り返る。
アレン・ハリーそれが彼の名であった。歳は二十五と若いにも関わらず、将軍と呼ばれているのにはそれなりの理由がある。
それは士官学校での優秀な成績も然ることながら、半年前の皇帝暗殺による国内の動乱を、いち早く鎮めたことを高く評価されてのことだ。
もともと現皇帝の下で使えていたこともあり、その一件が継承争いに影響を及ぼしたことも大きいだろう。
だがアレンの風貌には些か問題があった。
眉尻の下がった頼りない顔に線の細い体。常にやる気のない態度は将軍の器とは言い難い。
やる気を見せろ! 堂々としろ! とは他の将軍たちの口癖だ。
「じゃあ野営の準備をしてくれ」
「もうですか? まだ陽は登ったばかりです。もう少し先に進まれてもよいのでは?」
「いや駄目だ。私の預かる軍は五万しかいない。しかも、ここから先は広大な草原で軍を広く展開できる。敵の兵力は十万以上と聞いている。一気に十万もの大軍で囲まれたらひとたまりもない。数の優位を敵に与えるだけだ。後続の将軍たちの到着をここで待つ」
「なるほど、分かりました。直ぐに野営の準備に取り掛かります」
兵士が遠ざかるのを一瞥してアレンは草原に視線を移した。
軍を進めない理由は他にもある。それはシリウス公爵の存在だ。
奇襲は警戒された中では成功しにくい。にも関わらず、シリウスは手を変え品を変え、幾度となく奇襲を成功させ続けた。
そして最も目を見張るのが、追撃を許さない引き際の早さだ。
それによりアレンの軍は少なくない被害を被っていた。更には怪我人を多数抱えたことによる行軍の遅れ。
どれを取っても頭の痛くなる話だ。
「シリウス公爵か――厄介な人物がいたものだ。何も私の軍だけで頑張ることはない。痛みはみんなで分かち合うべきだ――」
呟いた言葉は風に流され草原に消えた。
だが、その願いも虚しくアレンは直ぐに軍を動かすことになる。後から追いついたヴァジム将軍の言葉によって――
「アレンいるか!」
怒声に近い声が天幕に響き、アレンは思わず顔をしかめた。
声の主に視線を向けると、頭の禿げ上がった初老の男が、怖い顔で睨みを利かせている。
アレンはその人物を目にして肩を落とす。やはりヴァジム将軍なのかと――
だが直ぐに精一杯の愛想笑いを浮かべて体裁を取り繕う。
「これはヴァジム将軍。もう追いつかれるとは流石の一言に尽きます」
「そんな世辞はどうでもいい! なぜ進軍を止めている! 貴様は自分の役目を忘れたのか!」
ヴァジムの後退した額に薄らと青筋が浮かび上がっている。それがヴァジムの怒りの度合いを表していた。
こうなった時のヴァジムは人の言うことなど聞きはしないのだ。特に若造と蔑むアレンの言葉は尚更であった。
それでも、無駄とは知りつつ説得だけはしなくてはならない。問題が起きた際、槍玉に挙げる布石は必要だからだ。
「もちろん忘れてなどいませんよ。私は敵を追い払い、味方の後続の軍が安全に通れるように尽力しています」
「尽力しているだと! まだ交易都市メチルに着いておらんではないか! お前の役目はそこまでの露払いだろうが!」
それは少し違うだろ? とアレンの瞳が少し揺らいだ。
アレンの役目を正確に言えば、交易都市メチルまでの露払いではない。後続の軍を無傷で主戦場に送り届けることだ。
交易都市メチルはここから半日で行ける距離に有り、目の前の広大な草原は主戦場になり得る。
ここからは全軍での行動が最善かつ安全なのだ。そんなことも分からないのかと、アレンの胃がキリキリと悲鳴を上げていた。
「そう言われましても、私の主たる役目はあくまで主戦場までの露払いです。ここから先は広大な平原が広がり、本格的な戦いの場となります。敵が十万以上の兵を有する以上、こちらも全軍が集結するのを待ち、数を揃えてから――」
「黙れ! 街には国王のヨーゼフがいると言うではないか! 街から逃げ出す前に包囲すべきだ! いま直ぐに進軍を再開するぞ! 儂の軍も一緒なら問題はあるまい」
「落ち着いてくださいヴァジム将軍。国王は兵の士気を高めるため街に滞在しているのです。逃げたりなどしません。それに相手にも戦いに長けた者がいます。全軍で行動した方が安全に――」
「もうよい! らちがあかん。儂の軍だけでも動くからな!」
怒りの表情で天幕を出るヴァジムを見て、アレンは天を仰いだ。
ヴァジムの指揮する軍は五万。王国軍が十万の軍勢を動かしたら敗走はま逃れないだろう。
アレンは痛む胃を手で押さえ、近くの兵士に指示を出す。
「野営は中止だ。ヴァジム将軍だけを行かせるわけにはいかない。直ぐに進軍の準備をしてくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます