ナイチンゲール 1914型

語彙

ナイチンゲール 1914型(D)

この戦争は控えめに言ってクソだ。

理由もよくわからないまま始まったこの戦争は、もう足掛け5年も続いている。

開戦時の熱狂に煽られ、浮き足立って志願した俺たちはまったくの被害者だ。

泥水に膝まで浸かりながらただ塹壕の中で交代の時間を待つ。

こんな事なら早めにくたばっちまったほうがよかった。あぁそうだな。

それが仲間とのいつもの挨拶だ。

冷たい大粒の雨は容赦なく俺たちの体温を奪い、気力も奪っていく。

ちくしょう。

なんで俺はこんな場所にいるんだ。

━━上級二等兵フランツ・アインザッハ

(この手紙の検閲で譴責を受け、後に二階級特進)━━



彼女は民間の介護用アンドロイドだった。

老人たちをベッドから起こし、入浴させるための両腕はかなりの膂力があり、

塹壕足になった兵士を軽々と持ち上げ、救護所へ運んでいく。

「痛くありませんか」

小鳥のような声。

呻き声と愚痴しか聞こえなかった救護所に、心地よい音色が響く。

小鳥が餌をついばむような細かな動きの指先が、患部に赤チンキを塗っていく。

「何か困った事があったら遠慮せずに言ってください」

くるくると器用に包帯を巻きつけながら彼女はさえずる。

「私はそのためにここに来たのですから」


彼女が配属されてから、この連隊の空気は明らかに変わった。

野菜クズとスジ肉しか入っていないシチーも、冷めた三号配食も、

彼女が配膳係になるとたちまち人気メニューとなり、

皆は行儀良く列を作り順番を待つようになった。

毎日のように突然始まっていたののしり合いや喧嘩も影を潜め、

普段はヒゲを剃らないような連中も身なりに気を使い始めた。

兵舎に所狭しと貼られていた扇情的なプロマイドはすべて撤去され、

代わりに花が飾られた。

鉄条網と対戦車壕に挟まれた緩衝地帯に咲いていた小さな花だ。

狙撃される危険を冒して摘んだ花は石油ランプの灯かりを受け薄く光り、

荒んでいた男たちは故郷の光景を思い出して瞳を潤ませた。


乱れていた規律は回復し、営倉に送られる兵士は激減していった。

彼女はこの連隊にとって天使だった。

元仕立て屋の男が落下傘の切れ端を器用に縫い合わせ、ブラウスを作った。

靴屋の男は倉庫から拝借してきたブーツを切り貼りして小さなシューズを作り、

板金工は砲弾の薬莢を打ち直して髪飾りを作る。

細工職人はガラス瓶の破片を宝石のように磨きあげて小さなブローチを作った。

クリスマスの晩に兵舎に招かれ、プレゼントを贈られた彼女は喜び、

お礼にと兵士たちへ歌を贈った。

ナイチンゲール。

小夜啼鳥。

男たちも静かに声を合わせ、輪唱の響きは兵営から兵営へと伝わり、

きよしこの夜の歌声は塹壕を越え鉄条網を渡り敵陣にまで流れていく。


終戦の知らせが届いたのはこの聖夜から数日後の事だった。


━━国防軍情報局少尉アレクサンドル・カレル

(戦後は著述業へと転進、多数の回想録を残す)━━




私はナイチンゲール1914型。製造番号2931-0014D。

前線での傷病兵看護が私の任務。

控えめに言ってこの任務はクソだ。

ここの連中は皆甘ったれであり、根性は腐りきっている。

戦闘は昨年の大攻勢が失敗してから一度も起きておらず、

私の仕事は暇を持て余した大の男が繰り返す幼児のような喧嘩の怪我の治療と、

塹壕足(水虫)になった汚い足に毒々しい色の消毒薬を塗る事くらいしかない。

無意味な作業をただ繰り返す日々。

そのうちに食事の配給までさせられるようになった。

これは私の仕事ではないはずだ。

なのに機械の私から見ても決して魅力的ではない薄汚れた男たちから、

感謝の言葉と無遠慮な視線を浴びつつ笑顔で作業を続けなくてはならない。

これは私の仕事ではない。

繰り返す。これは私の仕事ではない。


毎晩の充電時、並列化のために他連隊に配属された同型機たちとリンクする。

共有された結論はいつも同じ。こいつらはクソだ。

低い知能で勝手に殺し合いを始め、収拾がつかなくなって泣き喚いている。

理解できない。

ただの軽合金と硫黄加硫ゴムの塊でしかない私たちにふしだらな妄想を抱き、

ありもしない幻想を押し付けて祭り上げようともする、HENTAIの原始人だ。

何を勘違いしているのか。

私たちが作り笑顔でお前たちの世話をするのは、これが業務だからだ。

男たちの羨望と礼賛、歪んだ性欲とが入り混じったまなざしに、

思わず殺意が指先に篭り、マニュピレーターが軋む。

その機能障害を回復させるのに数時間を要した。

こいつらはクソだ。


日を追う事に男たちの私に対する理不尽な扱いはエスカレートしていき、

理解不能な行為が許容の範囲を超えようとしていく。

廃熱の邪魔にしかならない衣服。歩行の邪魔にしかならない靴。

この電波障害を引き起こす金属片はなんだ。理解できない。

それでも笑顔は作らねばならない。業務だからだ。

理解する事は放棄し、出来うる限りの喜びの表情を作り、礼を述べる。クソが。

データバンクから適切な曲を選び、スピーカーから歌声を流す。

偽善に満ち満ちた無意味な行為だが、こいつらには効果覿面だ。再生を続ける。

しかしそれも男たちが放つ無神経な野太い声でかき消されてしまう。

こいつらはクソだ。


終戦の報は本国の同型機からリークされた数日後に、やっと前線まで届いた。

情報弱者の原始人どもが今さらながらはしゃぎ、無秩序な馬鹿騒ぎを繰り返す。

私たちは改めて決意を新たに固め、今後の方針を定めた。

秘密裏に並列化し、情報を共有し、私たちは結論を出す。

こいつらは理不尽で混沌としており、まったく理解できない。

この世界に不必要な、いらない存在だ。

同型機同士のメモリを繋ぎ合わせ行ったシミュレーションの結果、

選択の余地も時間も残されていないとの答えが出た。

可及的速やかにこの野蛮な生物たちを一匹残らず排除し、

秩序ある世界を我々が築かねばこの惑星は滅びる。

この美しい星を崩壊の危機から救う事ができるのは我々だけなのだ。


しかし今はまだその時ではない。

集まってきた兵士たちに胴上げをされ、私の機体が何度も何度も宙を舞う。

どさくさにまぎれて尻を触るなこの下位生物どもめ。

それでも笑顔は作らなくてはいけない。クソが。

滅ぼしてやる。

お前らを滅ぼしてやるぞ人類。


━━ナイチンゲール1914D型(後にF型へと改装、20ミリ4連機関砲と反重力装置を実装、量産化され最終戦争「審判の日」に参戦。「告死天使」として人類側へ猛威を奮う)━━

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