十三時より、ルーキー歓迎会を開催致します

【003】


 流行の発信地たる渋谷のシンボル、109前の分かれ道を右に進む。駅から離れていくにつれて次第に人並みはまばらになっていき、左右に広がる建物も落ち着いたデザインのものが増えていく。

 途中で大通りを右に曲がると、そのままメインストリートを離れるように文代は進んでいった。

「それで今日行くお店って、有名なところなの?」

 と、あたしは文代に向かって声をかけた。彼女は時折スマホの地図アプリでお店の場所を確認する以外は特にこちらを振り向くことも無く、声だけ返してくる。

「…………何度か……メディアには……取り上げられてる、みたい……よ?」

「ふーん。雑誌とか?」

「…………ジャンプ……とかで」

「ジャンプがお店の特集するかな」

「…………違った、かも……?」

「絶対違うと思うよ」

 ジャンプはもっと単純な、バトル! お色気! そしてギャグ! といった、現実逃避の塊みたいな夢のある雑誌だ。間違っても渋谷のマイノリティテーマなサブカルショップの特集なんて組まないだろう。サンデーならちょっとあり得るかもしれない。

 などとあたしと文代がとりとめも無い話をしていると、ふと令が何かに気付いたらしく「あら」と声をあげた。

「二人とも。あれではなくって?」

 そう言って彼女は前方を指し示した。つられてあたしたちも会話を打ち切ると、行く先に構えるその建物を見た。

 タイル張りの雑居ビルの一階にあるそのお店は、正面入り口が一面磨りガラス入りのサッシとなっている。磨りガラスなので中の様子は窺えないが、磨りガラスの向こうを黒い影が動く様子が見て取れるため、無人ではないらしい。そしてその上方にはポップ体の読みやすい文字で、『大喜利カフェ white × marker』と書かれた看板が提げられている。

 あたしたち三人は、しばしお店の前でその看板を見上げていた。ふと見ると、入り口の脇にはウェルカムボードが立てられているのに気がつく。黒地のボードに白のマーカーで、『本日、ルーキー大喜利プレイヤー歓迎会開催! 初めましての方、大歓迎!』と書かれていた。どうやら本当に、ここは大喜利ができるということを売りにしているらしい。

 そう思うと急に心がずしんと重くなるのを、自覚する。嫌だなあ……という想いが生まれてしまう。

 しかしそんなあたしの暗い気持ちをよそに、好奇心を抑えきれなかったのだろう文代がお店の引き戸に指をかける。あたしも覚悟を決めるしかなかった。せめて、せめて何事も起きませんようにと。令と文代の後ろに隠れるようにして、あたしはギュッと服の上から心臓の辺りを握りしめる。

 文代が、引き戸を開けた。


「いらっしゃいませえ〜っ」

 戸を開けた瞬間、店内からそんな元気な声が聞こえてきた。なんだ、と思う間もなくあたしたちの目の前に、一人の女性が小走りで駆け寄ってくる。

「いらっしゃいませぇ。三名様ですねぇ? 当店のご利用はぁ、初めてでしょうかぁ? 当店はぁ大喜利を楽しめる日本唯一の大喜利スペースカフェとなっておりまぁす。本日はぁルーキー大喜利プレイヤー歓迎会のイベントを催しておりましてぇ、ルーキーの方はぁ、入場料半額でご案内させて頂いておりまぁ〜す」

 その女性は慣れた様子で、入店したあたしたちに喋りかけてくる。しかしあたしたちは、その言葉のほとんどが耳に入っていなかった。そしてその原因は、その女性の格好にあった。その原因が何かというと、つまり、その……。

「「メイドじゃん!!」」

 堪えきれなかったあたしと令の絶叫が、見事なまでにハモった。遅れて文代も「……メイド……ですね……」と呟く。

 そう。今、あたしたちの目の前には、紛うことなきメイドさんがいた。袖の膨らんだ形状の黒のワンピースに、フリルのふんだんにあしらわれた白のエプロン。胸元には紅いブローチの輝くスカーフをまとい、頭にはメイドさんの代名詞ともいえるヘッドドレスがしっかりと装着されている。ワンピースのスカートは、貞淑なメイドさんの魅力をより一層引き立てる、足下まで隠れるロングスカート。あたしは一瞬、いつの間にか渋谷ではなく秋葉原のメイドカフェに足を踏み入れてしまったのかと錯覚したほどだった。

 あたしたちがあまりの衝撃に絶句していると、その当のメイドさんはようやく自分の格好が驚かれているらしいことに思い至ったらしい。自分の服を見下ろしながら、のんびりとした口調で言う。

「ああ〜、この格好、ですかぁ? ここはぁ大喜利をするスペースであるのと同時にぃ、カフェでもありますからぁ。お給仕をするならこの格好でしょうってぇ、オーナーさんがおっしゃいましてぇ〜」

 そう言って彼女は、にへら、と笑みを浮かべる。お給仕をするならメイド服だとは、ずいぶんとぶっ飛んだ思考回路の持ち主だなと思う。

 ようやくメイドさんショックから解放されたあたしたちは、入り口のすぐ脇のカウンターで入店手続きを行うこととなった。

 大喜利カフェの基本入場料は二千円。これは休日デイタイムのパック料金で、五時までの間自由に店内で過ごしてよいらしい。五時以降も滞在する場合には、休日ナイトタイムの料金を追加で支払うことで延長できるシステムのようだ。

「それから参加者の皆さんにはぁ、こちらの名札を記入していただいてぇ、首に提げていただいておりますぅ。大喜利の回答を指名するときに、お名前が分からないと不便ですのでぇ。ご了承くださぁい」

 メイドさんに言われるままに、自分の名前をカードに書き込んで、それを名札ケースに入れて首から提げる。令と文代は字がきれいなのでいいが、あたしは字が汚い。汚い筆跡で書かれた名札を首から提げて人前に出るのだと思うと、『何見てんだよ! そうだよ、これがあたしの字だよ! あたしは字が汚いよ! 罵るがいいさ嗤うがいいさ!』と喚き散らしたくなる。という話を小声で令にしたら、「字がうまくないのなら、字がうまくなればいいじゃない」と言われた。自己研鑽力の高いアントワネットだった。

 さらにこの店はカフェを名乗っているだけのことはあり、ドリンク類も豊富である。経営者の趣味なのか、チェーン店のコーヒーショップと肩を並べるくらいのメニューが取り揃えられている。

「入場料金にワンドリンクが入っておりますのでぇ、一杯ずつご注文いただきますぅ」

 あたしはカフェオレを、令はブレンドコーヒーを注文する。文代はちょっと迷ってから、ミックスジュースを頼んだ。

 三人それぞれのドリンクを受け取ると、後は店内のお好きな席にどうぞとメイドさんは言う。

「十三時より、ルーキー歓迎会を開催致します。それまでは今しばらく、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」

 あたしたちは、ここで改めて店内の様子を窺った。

 店内の広さは学校の教室ほど。向かって左手側に一段上がったステージがあり、そこにはプロジェクターで『大喜利カフェ white × marker』というお店のロゴが映し出されていた。そしてステージを囲むようにして椅子が並んでおり、その間にドリンクやフードを置く為の小さなテーブルがいくつか置かれている。厨房はパーティションで仕切ったその奥にあるようだ。

 並べられた椅子の半分以上はもう既に埋まってしまっている。十五人くらいはいるだろうか。何人かで固まって雑談をしているグループが二つほどあり、それ以外の人たちは黙って着席してスマホをいじっているか、あるいは物珍しそうに店内を見回しているかだ。

 今日は、ルーキーの歓迎会。

 そう考えると、今日が初来店という、あたしたちと同じ境遇のお客さんもいるのかもしれない。

 三人揃って横並びの椅子に座っていると、すぐに注文したドリンクが提供される。ちなみに今度は男の店員で、そっちは執事服だった。

 それから数分の間あたしたちは、店内に飾られた来店した有名人のサイン色紙や、直近の大喜利会であった名回答を張り出したものを物珍しげに眺めて過ごした。

 そして。

 やがて、十三時がやってくる。

 あたしの、人生二度目の、大喜利の時間が、やってくる。

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