第110話 剣に生き……・二

リューネブルク市・司教府―――


「つまり……グスタフ公爵?……が前線に出たことにより、法王軍は法王シュタイナーの指揮下に戻ったということですか」


 司教府に潜入した謎の男は法王シュタイナーの間諜であった。

 グスタフが派遣した暗殺者の類でなかったことをアマーリアは安堵する。

 彼はバルムンクに講和を申し込んできたのだ。


「グスタフの支配は力で抑えつける物……将兵は皆、彼を憎んでおり、面従腹背で望んでいる彼らはグスタフがいなくなれば猊下の命に従うのが道理。後は彼がいない内に講和を結んでしまえば合法的に奸賊・グスタフを排除できるでしょう」


 自信に溢れたその語り口は、彼が自らの職務に矜持を持っていることの証。

 嘘を言っているようには思えない……それにここまで追いつめた相手に対して搦め手を交える必要もあるまい。

 この男の言うことが真実だとすれば、法王シュタイナー、もとい彼に靡いた法王軍は壊滅状態のバルムンクよりも、内側の敵……グスタフ公爵の方が脅威であるらしい。


「既にこちらに総攻撃を掛けようとしていた、セルゲイ竜司教に停戦命令が出ています。我らの敵はグスタフ公のみ……私達は解りあえるのです」


 願ってもいない提案。

 特にアマーリアはヴァンには義理立てしても、バルムンクに対しては献身する気などないのだから、これで戦いが終わると言うのであれば是非もない。


「……」


 だが、いくつもの修羅場をくぐる羽目になり、一応なく磨かれた彼女の直感が……一抹の不安を訴えかけていた。


 *****


リューネブルク市・市街地・廃墟―――


 愛する幼馴染の生存は絶望的……

 育ててくれた親は負傷によって正気を失い、破滅への道を転がっている。

 周囲は敵だらけで挽回の望みはない。


 もはや希望はなく、死神が隣で逝くべき道を導いている。

 ならば最期に剣を取る。

 この命が燃え尽きるその時まで……。


「目標は竜……その存在を補足!!」


 負傷など足枷にすらならない。

 目前の地獄を前に痛みや苦しみなど取るに足らない些事でしかないのだ。

 全身を包む、よどみのような痛みと疲労。

 それを無視してヴァンは疾駆する。

 敵が急速に近づきその威容が現実のものとなる、小山のようなその巨体はまさに神代の怪物にふさわしい。


「取りつくのならば右から回り込め。竜は必ず一動作遅れる」


 ヴァンに帯同するのは養父であり、ヴァンが仕える主人であるリヒテル・ヴォルテール。

 負傷の苦痛を癒すために薬に溺れた指導者だ。

 しかし薬にその精神が侵されつつも、身体の衰えはしばしの猶予があるようだった。

 両脚を失い、義足に代えたにも関わらず、ヴァンの疾走についてきている。

 まさに神がかり、信じられない程のバランス感覚だ、義足となってから一週間足らずだと言うのに。


「■■■」


 一本の矢と化した二人、竜は無言で蟷螂の敵対者を目視する。

 神となりつつある自身に敵対、否……まるで肩に舞い落ちた粉雪を払うように、ただ腕をわずかに動かしたのだ。


「■■■!!」


 竜がその御手を動かすのと城壁……貴族連合軍とファーヴニル軍が何万もの犠牲を払って攻略した城壁の残骸を弾き飛ばした。

 何ダクトの重量がツブテのごとく飛ばされたが……リヒテルの言うようにわずかに反応が鈍い。

 とっさの判断で右側(竜から見て左側)に移動したヴァンは辛うじてそのトドメの一撃を回避する。


「なぜ……?」


 思わぬ幸運、その幸運に疑問符を浮かべるヴァン、それにリヒテルが応えた。


「私には分かる、あれはグスタフだ。グスタフは戦いで左目を失っている、だから視界の左側に若干の穴がある」


 訳知り顔で解説するリヒテル、しかしその時、ヴァンは髪の毛が根こそぎ後方に引っ張られるような不快を感じた。

 頭のすぐ横を大質量が高速で通り過ぎる。

 城壁の残骸を竜が再度飛ばしたのだ。

 先ほどよりも〈狙い〉が大分正確になっていた。


「……」


 恐らく……リヒテルの言うことは正しい、あれがグスタフだ。そしてそれが真実ならば左目が利かない。

 だがそれを過信することなどヴァンには出来なかった。

 相手がグスタフだとするならば……油断など自殺と代わらない。

 果たして、ヴァンはグスタフに……ヴァンはその関係を知らないのだが、〈血を分けた実の兄〉に勝利したことなど一度もなかった。


「左、いや右に回り続ける限り、竜の攻撃は当たらない……」


 現実とのつながりを断ち切ったリヒテルが正しいが、机上の空論でしかない楽観を語る。

 どこか老人に似ていた。

 子や孫に自己顕示欲を満足させんがために、無駄で、無益な労力を嬉々として見せつける末期の醜態が垣間見える。

 命を託すにはあまりにも危険な男である。


「もはや敗北と死は等価な存在へとなりました……リヒテル様、傲慢は物言いをお許しください……私は私の決断で最期を生きようと思います」

「……そうか?」


 そしてヴァンはリヒテルの進言の、半分を切り捨てた。

 ヴァンにとっては、事実上の命令無視……しかしリヒテルはその意味を理解する思考力を残してはいない。


「この身はもはや捨てる……ならば、どのようなことでも臆することはない!!」

「■■■!!」


 進む道は暗黒の中、一筋の光で繋がっている、半歩でも外れればそこは断崖絶壁なのだ。

 踏み外せば命はない。

 そこをヴァンは駆ける、あまりにも、あまりにも小さい抵抗者。

 その煩わしい矮小な存在に、苛立つように竜が咆哮した。


「ヴァン……下だ!!」


 竜の視線がわずかに下がる。

 テレーゼと同様、いやそれ以上に鋭くとぎすまれた感覚を持つリヒテルが即座に気付いた。

 地面から来る敵の攻撃……範囲は竜が見た、視界の範囲内。


「くっ……!!」


 リヒテルの直感の数秒の後……地面から極太の幹のようなものが生え、二人を絡めとろうと……そんな生易しいものではない。

 あの幹はその一本一本があの竜の〈根〉なのだ。

 大地から生命を貪り尽くす触手たち、それは生ある者を見つけ次第、バラバラに引き裂き、飲み込んでしまう。


「あ、あ……あああ」


 周囲で悲鳴すらあげることも出来ずに呻き声を挙げているのは貴族連合軍のわずかな生き残りだろうか。

 逃げる体力もない彼らは触手に補足され、集団で襲い掛かられていた。

 ハゲタカよりもひどい……ハゲタカは死ぬまで待ってくれる。

 しかし、あれらにその程度の慈悲すら期待できないのだ。


「■■■!!」


 再度、竜が咆哮する……先ほどに倍する程の幹が地面から立ち上り、ヴァンとリヒテルに立ちふさがる。

 先頭を走るヴァンは剣を抜き、幹を斬り払いながら前へと進んだ。

 まるで壁のように立ち並ぶ触手らは、死術による産物。

 リヒテルは元より、死術に胸までつかっているヴァンは触手にとっていわば同胞なのだ、同胞は喰らうことができない、餌にならないのだ。

 だから積極的に攻撃することはなく、ランダムに地面を、天をかけるばかり。

 ただそれとて、斬り倒していけば反応も変わるのだろうが……事実、同胞と思しきヴァンの凶行に、怒ったように触手が活性化し始める。


「後五十ゼントル!!」


 なぜ、同胞である我らを斬るのか……そう言わんばかりに動きを先鋭化させた触手らを掻い潜り、ヴァンが叫ぶ。

 竜までの距離は凡そ二十五ゼントル(約百メートル)……その半分を超えれば竜の死角に入りこめる。

 竜は巨大だ、頭の位置が高く、目の位置も高いため 内側に入り込まれると仰角の関係でヴァンらを補足できない。

 目に見えぬ敵と戦うならば、その攻撃手段は大幅に限られてしまう。


(後、三十ゼントル……)


 死への短距離走……早鐘を打つ心臓を叱咤し、ここで砕けよとばかりに手と足を動かして触手の森を突破する。

 内側に入り込めば……竜は巨体故に俊敏性と機動力に劣る、そして空が飛べない。

 その理由にようやくヴァンは思い至った。

 竜の小さい右腕と、巨大な右の翼……まるで石化したかのように硬直して微動だにしない。

 グスタフは先のブライテンフェルト会戦でリヒテルに右腕を斬りおとされている。

 だから竜となった後も右腕、そして右の羽がうまく動かせないのだろう。

 積み上げてきたのは無駄ではなかった。

 蓄積されたダメージが、竜の自由を奪い、ヴァンに決定的なトドメを刺せずにいる。

 なんとかなるかもしれない。

 いつも悲観的な予測を立てるヴァンとて楽観することはある。

 戦局は未だ絶望的だが、わずかな希望が垣間見えた。


「■■■」


 そしてヴァンは目前の、ゴール地点だったその場所に竜の顔を見る。

 城壁すら打ち砕きそうな頑強な咢、その牙は重装騎兵すら紙のように噛み砕くだろう。


「……」


 倒れこむように上体を倒し、頭を地面に叩き付けた竜、その咢が開く。

 その口から数多の命を奪い取って濁り切った混沌が漏れ出ていた。

 黒い炎が……吐き出される。


 *****


リューネブルク市上等区・セルゲイ率いる法王軍分隊・野戦陣地―――


「停戦命令だと……」

「はい、法王猊下は此度の戦争を無益な流血であるとし、バルムンクとの講和を選択なさいました、このうえは軍を撤退させ、本陣へ戻るようにと」


 アマーリアがバルムンクの本陣にて法王シュタイナーの間者から講和を打診されていた頃、バルムンク本陣に総攻撃を掛けようとしていたセルゲイ竜司教に停戦の命令が出ていた。

 それ自体は問題ではない、騎士と神官、どちらにせよ武人である彼は上からの命令には従う。

 しかし命令を出した人間が問題だったのである、彼はグスタフ総司令官の命でバルムンク攻略作戦を行っている。

 作戦の誰何はグスタフが行うべきなのだ、シュタイナーという国家元首と言えども、別な人間から来ると言うのが解せない、しかも撤退命令とあっては疑問を抱くと言うのは当然であった。


「グスタフ公はどう言っておられるのだ……あ、いやあの状態では命令はくだせないのだろうが」


 言いよどむセルゲイ、それは彼があの〈竜の儀式〉を知っている証だった。

 彼は死術士ではなく、シャルロッテのように儀式について一割も理解していない、だから満足な回答を、竜を見て動揺する部下に示すことは出来なかった。

 だが彼の場合、それで十分だったのだ。

 人望が厚いセルゲイが、あの竜は味方だと言いさえすればそれで一応は部下は納得した。

 バルムンクの幹部が聞けばうらやましがる関係であった。


「これが正式な命令書です」


 セルゲイの逡巡を察したのか、使者が一枚の紙を渡す。

 セルゲイは気づいた、これは周りにいる他の兵士に聞かれたくないことが書かれていると……そして彼は内容を把握する、他者には見られないように。


―――軍を撤退させれば、汝を竜司教筆頭、法王軍総司令官の地位に就ける。

 また、汝の友たるゴルドゥノーフ家の所領の安堵も約束しよう―――


「……」

「いかがでしょう……我らは解りあえる」


 つまりはグスタフを裏切れとの誘いであった。

 権力闘争を繰り返していた神官はおおむね味方に利益を代価に協力させる。

 それが誠意であり、そこに悪いことをしたという自覚はない。

 ただ問題なのは、その考えが極々狭い範囲内で通じる家内法でしかないことを神官らは正しく理解してはいなかった。


「なるほど……そういうことか」

「分かっていただけましたか」


 ほっと安堵した使者はその顔の下、首に刃が刺しこまれる。

 彼は恐らく、任務の成功を確信していたのだろう。

 しかしその確信は幻想でしかなかった……それを最後の最期で理解したようであった。


「……セルゲイ竜司教、何を!!」

「慌てるな、これは偽の使者である、恐らくはバルムンクの手の者」


 上官の突然の凶行、しかしもっともらしい理由が提示されたことで彼らは納得した。

 血の泡を吐く使者が何事か抗弁しようとするが首を割かれては言葉が出せない、むなしく、もがくだけだった。

 セルゲイは官僚たる神官、しかし同時に主君への忠誠を美徳と感じるスヴァルト人の騎士であった。

 彼の中で渦巻く名誉と忠誠を守る美しいが非合理な心が、神官として、軍人として守るべき規範を上回った。


「軍はいつ動かせる」

「すぐです」


 セルゲイの誰何に即座に部下が応える、その声には上官への敬意があふれていた。


「バルムンクは窮している……火を灯せ、月明かりを前に進軍しろ、今よりバルムンク本陣に総攻撃を掛ける!!」

「おぉぉぉぉぉぉ!!」


 停戦命令を無視、軍法会議にかけられれば処刑されかねないその蛮行を彼は行う。

 彼はいつの間にか神官ではなく、スヴァルトの騎士に戻っていた。

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