第88話 決戦・その結末・そして終焉の場へ

ブライテンフェルト草原・ロスヴァイセ連合軍天幕・深夜・現在―――


「イグナーツ様、本隊と連絡が取れました、わずかですが食糧や防寒具などを送ってくれるそうです」

「そうですか……それでライプツィヒ市の方がどうです」

「……」


 深夜のブライテンフェルト草原、そこでイグナーツが代行として率いているロスヴァイセ連合軍の天幕があった。

 生き残った兵士は千名の内、三百名程、それは法王軍ならば壊滅と称される、軍隊組織がまともに機能しない程の状態だ。

 だが無残なことにそれでもバルムンク連合軍の他戦線と比べればまだマシなのだ。中央戦線のリヒテル直下の軍は一人も生き残れなかった。

 だがそのことをまだイグナーツは知りえない、彼はまだ淡い希望を胸に、敗戦という名の絶望に抗いながら、目の前の職務を懸命にこなしていた。

 天幕に集まる人員は拡大の一途を辿っている。集まるのは兵士ではない、 決闘の敗北を逆恨みしたレオニード伯爵はロスヴァイセ連合軍の母体であったライプツィヒ市を文字通り焼き打ちにした。

 突如巻き起こった虐殺は、計画的なものでなかったが故に徹底的なものとならなかったが、それでも街は貴族が住む上等区以外のほとんどが焼失、その分だけ人が死んでいる。

 そして虐殺を免れた運の良かった何人かがロスヴァイセ連合軍の負傷兵について行ってこの天幕に逃げ込んでいる。

 負傷兵は市内に撤退しようとした所をとんぼ返りして戦場に戻る羽目になったのだ、ちなみにその時の負傷兵・難民の引率者は戦闘職でないアマーリア侍祭である。


「レオニード伯……あいつ、許せねえ!!」

「今は怒りを鎮めなさい、それよりも食糧が届いたらすぐにでも炊き出しを、このままでは凍死者が出ます」


 冷静に部下を諭すイグナーツだが、実の所、彼の腸は煮えくり返っていた。十年続いた弾圧の再演、それも十年前の戦争時の虐殺を上回る非道である。


(甘かった……スヴァルトは獣心の徒、あいつらは人間ではありません、正義はおろか、人道すら理解できない畜生……)


 イグナーツはどうやら心内を表情に晒していたようだ。対面する部下がどことなく嬉しそうな顔をする。

 だがその部下の顔は危険でもあった。何か残虐なことをしなければこの怒りは治まらないとでも書いてあるかのようだ。

 その方法とは復讐である、だが強大なスヴァルトには適わない、ならばどうするか、自分より弱く、少しでもスヴァルトに近しい存在に八つ当たりするのである。

 例えば、スヴァルトとの混血であるヴァンやアマーリアなどを代わりに殺す、など……。


(なるほど、私が街に火をつけて駐留軍を皆殺しにしようとした時はこんな顔をしていたということですか……)


 市民諸共スヴァルトを皆殺しにする、ヴァンが説得しなければイグナーツはそれを実行していた。

 そのなんとも手前勝手なことか、それは八つ当たり以外の何もでもない。

 今ならばそれが分かる。犠牲になる人間も生きているのだ、十年前、妻子を失うまでは理解していたことを彼は済んでの所で思い出した。


「もう一度言います、その怒りを鎮めなさい、滅多なことをしてはいけませんよ」

「さすがはイグナーツ様……私の心内など承知ですか、でもね」


 男は復讐したいという本心を見抜かれても悪びれた様子はない、むしろ、挑戦的な視線でイグナーツに向ける。


「私の家族は市内にいましてね、もう助からない、もう失うものはないのですよ、ええ分かっています、これが八つ当たりだということがね、だけどもう自分を抑えきれない。ヴァンとかいうスヴァルトとの混血、あいつをなぶり殺しにして憂さを晴らす」

「それをすれば償いをしてもらいます」

「ははは、何の罰を与えるというのですか、殺すのですか、失うものがない人間は怖い物なんてないですよ、それとも今殺すのですか、何もまだしていない、何の罪もない人間を!!」


 男はもう聞く耳を持たない様子だった。自分だけが不幸であるのは耐えられない、他者に、誰でもいいからそれ以上の不幸を味あわせたい。

 だがその激情がイグナーツの一言で冷や水を浴びせられる。


「ヴァンは我々の統率者です。彼を殺すと言うのならば貴方にその代わりをしてもらいます。千名近い難民、兵士の進退を私と共に背負ってもらいます」

「……な、何を言っているんだ」


 男が狼狽える、千名近い難民の統率、その責任は図りしえない。一歩間違えば大勢の人生が狂ってしまう。

 彼には失うものがなかった、だがその復讐に千人の人間を道ずれにできる程、外道にはなれなかった。あのグスタフと違って……。


「あの意志薄弱なアマーリアでさえも一時やっていたのです、できなくはないでしょう」

「わ、私が、千名の運命を背負う……冗談でしょう、じゃあ、私が間違えば奴らは死ぬ……?」

「ええ、そうです」


 蒼白な顔で男が押し黙る。そしてそのあげく逃げようとする。だがイグナーツは逃がしたりしない。


「謝罪を……不適切なことをしゃべったことの謝罪をしてください」

「……」

「どうしたのですか?」


 イグナーツの断固たる態度が言い逃れなどできないことを男に知らせていた。沈黙が続く、そして男が黙って頭を垂れた。


「……すまなかった、どうかしていた」

「気にしたりはしていません、私も妻子を失った身、あの時の復讐の誓い……忘れたことはない」

「それはあんたの顔を見れば分かる」


 どこか嬉しそうな顔をして退室していく、それは先ほどの復讐を肯定してくれる存在を見つけたときのようないやらしいものではなかった。


「これは長くは持ちそうもありませんね」


 男が去った時、イグナーツは一人溜息をついた。

 会戦、否、敗戦後の混乱は予想以上に集団に恐慌を与えていたのである。自暴自棄になった人間が仲間割れを起こすのはもう間もなくだ。

 もうイグナーツの力だけでは止めようもない、彼自身が希望を信じてはいなかったからである。


「早く目覚めてくださいヴァン、もう私だけでは……あの女がいるか、いやダメです、あの意志薄弱な女はもう倒れましたよ、まったく、錯乱したり怯えたり、狂ったりと忙しい女だ」


 先立つこと難民を引率したアマーリアとイグナーツは再会していた。初めは廃人かと思った。

 別に市内から逃げ出す彼らをアマーリアが指揮したわけではない。彼女にそんな力はない、ただ侍祭という公職に就き、少しばかり人より上に見られただけの事。

 何百という難民らが彼女に縋り付いた。しかし縋り付かれた方はその責務に潰されて、運よくイグナーツと合流していなければどうなっていたか分からない。

 アマーリアという一般民衆の枠を出ない彼女はイグナーツのように責務に耐えることも、逆に死術士ツェツィーリエのように平然と他者を見捨てることもできなかった。

 どこまでも平凡の域を超えられない存在なのだ。


「誰です……!!」


 その懊悩を中断するように天幕にノックの音が響く。それだけならばいい、だが同時に血の匂いがする。

 この天幕は草原の真ん中にあり、周囲から丸見えだ。疲れ切った兵士に難民とあっては抗戦もできない。

 スヴァルトが奇襲をかけてくれば一網打尽にされる。


「答えろ!!」


 反応がないことに苛立ち、イグナーツが剣を抜く、その音に気付いたのか、ゆっくりと恐る恐るといった感じで入り口の布がどけられる。そこにいたのは……。


「貴方は……それにそれはまさか!!」


 天幕の中、イグナーツの驚愕が周囲に伝播した。


*****


ブライテンフェルト草原・法王軍天幕・深夜・現在―――


「誠に申し訳ありません、どのような罰でもお受けいたします。まさか、陛下のおわす本陣が陥ちていたとは……」

「セルゲイ、謝罪は必要ない、お前は良くやった」

「ですが……」

「何、本陣を襲った部隊の半数を全滅させたのだろう、誰からも非難されない、その頬の傷、勲章ものだ」

「はい……手強い相手でした」


 恐らくは一生、残るであろう頬の槍傷を手で押さえ、騎士セルゲイが押し黙る。

 それを苦笑しつつグスタフが弁護した。


「お前は元々管轄が違う法王軍、援軍に駆け付けただけでも十分だ、それにお前を罰すると本陣を陥とされたリューリク公家軍の兵士の立場がない、既に自害した者がいる。分かれよ、罰を受けるのはこの場合、逃げだ」


 イグナーツが懊悩するのと同じころ、勝利したグラオヴァルト法国軍三軍の一、法王軍の司令部にて総司令官グスタフとその部下セルゲイが今後の方針を模索していた。

 本来ならばその戦勝に歓喜しているはずであった。憎むべきバルムンクの連合軍を殲滅したのだ、だがその総統リヒテルを取り逃がし、さらにそれ以上の大失態が特にスヴァルト人に重くのしかかっていた。


「ウラジミール公の本陣を奇襲したのはテレーゼか」

「それとヴァシーリーと名乗る死術士でございます」

「何、ヴァシーリー……そいつはどうなった」

「取り逃がしました。テレーゼも、ヴァシーリーも……」

(そうか……俺の弟と妹は生きていると言うのだな、さすがは俺の血縁、という訳か)


 自害しかねない程、意気消沈したセルゲイと比して、右腕を斬りおとされたグスタフはだが、楽しそうであった。

 遊戯の時間が終わったにもかかわらず、親の制止を振り切り、未だ遊び続ける自儘な童子のようなそんな顔をしていた。


「我らが法王軍はともかく、貴族連合軍、リューリク公家軍は損害が大きく、動揺しております、今後の方針ですが……ひとまずはバルムンクと講和すると言う意見も出ておりますが、いかがいたしましょうか」

「馬鹿を言うな、ここまでやった連中だ、ここで講和して時間を与えては再起されるぞ、誰だ、講和しようとしている臆病者は……」

「法王猊下と、リューリク公家軍です。法王猊下は元々、戦争自体に反対、リューリク公家軍は半数が死傷と最も大きな損害を受け、さらには例の件が……」

「法王はともかく、リューリク公家が……怒り狂っているとばかり」


 グスタフが悔しげに舌打ちする。

 ウラジミール公のおわす本陣を襲撃されたのだ。本来、主君を守りきれなかったリューリク公家の兵は激怒しているとばかり思っていた。

 それがこの消極性、しおらしく喪に服しているのがグスタフには意外でならない。


「あの臆病者共が、まあいい、その件は何とかしよう、それよりも本日、最後の仕事だ、シャルロッテ、いいぞ」

「はい……」


 今回のブライテンフェルト会戦、ウラジミール公国側も少なからず損害を受けていた。参加した家によっては自領の統治すら不可能となるほど兵士が失われ、それはこれ以上の戦闘が難しいことでもあった。

 継戦と講和で意見が分かれ、その統率に乱れが生じて来る。その流れを戦争継続にまとめ上げるためにグスタフは策を使う、正確にはその一つを……。

 無論、グスタフは戦争を継続させるつもりだ、元より他者の命など路傍の石程にしか思っていない傲慢な男、何よりもこのままで済ませるつもりはなかった。

 もはや待つ時間は終わったのだ。


「連れてきました、グスタフ様……」

「久しぶりだね、グスタフ、僕を覚えていてくれたかい」


 どこか不機嫌そうなシャルロッテ、そして彼女に連れられたのはバルムンク連合軍魔道長補佐(名目上の魔道長はヴァン)、死術士ツェツィーリエであった。

 グスタフに負けず劣らずに他者に冷淡な彼女は、しかし配下の影術士部隊を見殺しにし、敵前逃亡したとあってはさすがにバルムンクには戻れない。

 もっとも、本当は戦線を離脱しようとしていたのだが、不死の体を持ってはいても彼女の身体能力は人並みだ、残念ながら逃げきれなかった。


「ああ、久しぶりだなツェツィーリエ、どうもリヒテルに付き合わされて災難だったな」

「本当だよ、僕は医者だ、なのに無理に戦場に出すとはリヒテルもひどい男だよ、だから見限ってやった」


 ヘラヘラと笑うツェツィーリエ、グスタフの策の一つ、それは死術士を軍に組み込むこと、死体を屍兵に変えて軍に組み込めば人命を損なうことなく戦争を遂行できる。

 そのためには彼女が必要だった。正確には彼女の知識が必要だった。


「お前の知識を教えてくれ、俺の覇道のためにな」

「分かったよ、他ならぬ君のため、僕は助力を惜しまない、だけどその前にお願いがあるんだ、聞いてくれるかい?」


 互いに腹に一物ある身、だがこの場においてはグスタフ、ツェツィーリエの両者は仲睦まじい。

 利害が一致している間だけは彼らは手を取り合える。


「なんだ、資金も生贄もリヒテル以上に用意してやるぞ、何せ俺はリヒテルと違い常識に囚われない、死刑囚だとか、腐敗神官だとか関係なく好きな素材を提供しよう」


 グスタフは自信満々に答えた。確かに彼の言っていることは本当だ、倫理だとか正義だとかに囚われない彼は自らの独善にのみ従う。

 傷つけたい相手を傷つけ、殺したい相手を殺す。


「僕の首輪を外してくれないか、このままだと居心地が悪くてね、ははは」


 ぎこちない笑みを浮かべ、ツェツィーリエが指で自らの首に枷られた鉄の輪を指す。その首輪は鎖で繋がれ、その先端は今、グスタフの手の中にある。

 不死の体を持ってはいても人並みの身体能力しかない彼女はこれを自力で外せない。

 もしかすると、ツェツィーリエとは違って人並み外れた身体能力を持つグスタフは首輪ぐらいなんだと軽く考えていたのかもしれない。

 だとするならば、少々、配慮に欠けている。


「あっははは、そんなことか、不死の術者がそんなことを気にするのかよ」

「そんなこととはひどいな、僕はこれでも臆病でね、いいだろう。これではいつ首が閉まるかと夜も眠れない」


 人を食った態度が多いツェツィーリエは珍しく、必要にその願いを懇願した。対してグスタフは笑う、彼はとても気分がいいようだ。


「ダメに決まっているだろう、それを外したらお前、逃げるじゃないか、そうだろう、ツェツィーリエ?」

「……」


 いつの間にか、グスタフの目に熾火のような物が宿る。その意味をグスタフと知古であるが故に彼女は正確に見抜いていた。

 古い知り合いである彼女は知っていた。


「全部の知識を吐き出し、今度はお前が生贄となってくれ」

「はは、何の冗談だい……僕とは協力した方が得だよ、殺す意味がない」

「俺のやり方は知っているはずだ、ツェツィーリエ。俺はリヒテルとは違う、悪人だから罪人だからと余計な理由をつけない、つまりお前は俺にとって不必要な人間になったから殺す、後腐れなく死んでくれ、もっとも死ぬのかな、お前?」


 知らず後ずさるツェツィーリエ、その両肩を抑えられる。


「あなたが捕まったすぐそこで影術士部隊の子供達が見つかったよ、誰も助からなかった。確かにあいつら敵だけどさ、私もグスタフ様に拾ってもらわなければあの中にいたかもしれないんだよね、許せない、お前に報いを与えなければ気が済まない!!」


 死術士シャルロッテが怒り心頭といった表情で右肩を抑える。


「安心しろツェツィーリエ殿、私は意に沿わぬ相手から情報を引き出すのは得意でな、我慢しても無駄だ、何もかも引き出してやろう」

「……!!」


 無骨な表情で、遠慮呵責なくその剛腕で左肩を抑える騎士セルゲイ。二人、否、三人は傍目には仲睦まじい様子で刑場へと向かっていった。


「ははは、冗談を……おい、止めろぉぉぉぉ、止めろぉぉぉぉ!!」


 聞く者の憐憫を誘うほどの憐れな悲鳴はいつもでも木霊する。だがその声に応えてくれる者も、まして助けてくれる者はいない、彼女の正体は皆が既に知っていた。


「まあ、アーデルハイドを裏切ったあの女らしい最期かな……ちっ、だがやはり憂さ晴らしにもならないか、俺が本当に報いを与えてやりたかった奴はもういないからな」


 実の所、ツェツィーリエに協力を要請する必要はあったが、彼女を処刑する必要はない、ただグスタフはムシャクシャしていたのだ、その鬱憤晴らししようとして目の前にいた。

 ツェツィーリエの不幸はそれだけである。そしてこの時点でグスタフは処刑台へと送ったツェツィーリエに対する興味は失せていた。


「罰を受けることなく逝ったか、ウラジミール公エドゥアルドめ」


 犯した罪悪にふさわしい仕打ちをグスタフが用意していたかの老人は既にこの世にない、スヴァルトの王、ウラジミール公は崩御していた。


*****


ブライテンフェルト草原・リューリク公家軍本陣・テレーゼ率いるロスヴァイセ連合軍分隊250名対リューリク公家軍守備隊87名・会戦終結直前―――


 本陣を奇襲し、千載一遇の機会に全てをかけたテレーゼ率いるロスヴァイセ連合軍分隊、その奇襲に死に物狂いで対抗するウラジミール公傘下のリューリクの精鋭兵達。

 だが頼みの親衛騎士団はリヒテルらに抑えられ、援軍としてやってきたセルゲイはヴァンに食い止められる。

 そしてその拮抗する天秤が崩れる。ついに本陣を守る最後の壁が崩れる。奇しくも、ヴァンが率いていたファーヴニルらがセルゲイ率いる騎兵らの突撃で全滅したのと時を同じくしていた。


「これで、最後!!」


 全身に苦痛が走る、酷使した肉体の至る所から出血し、その四肢はどす黒く染まっている。

 だが彼女はやり遂げた、拮抗した天秤、その士気は変わらない、だがある事柄が守勢に回ったリューリクの兵に限りない蛮勇と狂気を与え、しかしそれは同時に秩序だった戦闘を不可能とした。

 いかに個人の武勇が優れたものであっても、否、戦法としては間違いではない。しかしそれを成すには彼らは主力を欠き、何よりも人数があまりにも少なかった。

 バラバラに戦い始めた彼らはついに本陣を守り切れなかった。

 相手がテレーゼ、本人は信じていなくても、事、目に見える範囲ならば、指揮官としてはリヒテルに匹敵するほどその力量を高めた彼女が相手では個人の狂気では抗えない。


「ウラジミール公が亡くなったんですの?」

「はい、突然、敵の勢いが増したと訝しんでおりましたが、どうもそのようで……」


 服を割き、頭に包帯を巻きながら一人の民兵がテレーゼの疑問に答える。彼は本陣の中心、横たわるその姿を指さした。


「それではその死体を運んでしまえば……って無理ですわね」

「ええ、そのような余力はありません、すぐにでもセルゲイとかいう騎兵らが駆けつけて来るでしょう。ですから首を刈ってください。そうすれば死因をごまかせます。目撃者はいない、我らが殺害したことにすれば我らの勝利です」

「……分かりました、ではそれは私がやります。ですから皆はすぐにでも撤収を……夜の闇にまぎれて生きのびてください」

「はい、ご下命受けたまわりました!!」


 民兵が急ぎ足でその場を離れる。

 本当はこの後、ヴァンの救出を手伝って欲しかったのだが、民兵を中心とした彼らにそこまで我儘を聞かせる訳にはいかなかった。

 テレーゼの認識では昨日までの民衆であった民兵は堅気である、堅気に犠牲を強いるのは本意ではない、母親であるアーデルハイドの教えを彼女は忠実に守った。

 そしてテレーゼはかの王のそばに立つ、傍らで大型の黒馬が嘶くが、テレーゼに食って掛かる様子はない。


「これが、戦争を起こしたスヴァルトの王……」


 堂々たる体躯、その髪は残らず白く染まり、その顔には深い皺が刻まれている。服に華美なところはなく無骨そのもの、ただ年齢によるものか、金属鎧や兜といった重量の嵩む装備はない。

 なるほど、武を尊ぶスヴァルトの統率者らしき姿だ、いささか没個性、スヴァルト人が思う王の姿そのものであることが気にかかる。

 彼は王という偶像、そこにその人間の主張は必要ない。個人の感情を切り捨て、そしてその生き方を貫いた最期がそこにあった。


「貴方に恨みはありませんが、戦争に勝つために、私の大切な人がもう傷つかないためにその首を……」


 その時、はたとテレーゼは気づいた。彼女はアールヴ人を虐げた王に恨みなどなかった。


「首を……跳ねてどうしますの?」


 そう、彼女の目は近くのものしか見えない。リヒテルと違い、全アールヴ人の解放と言った大義のために彼女は剣を振るわない。

 彼女の剣は、彼女の大切な人を守るため、あるいは傷つけた人間を倒すためにある。

 目に見える物しか憎めない。

 堅気を傷つけたあの兵士、リューネブルク市を支配したミハエル伯、あるいは母を殺したそう、味方であり、義兄でもあるリヒテル……。

 それに気づいた瞬間、彼女は思う、疑問を感じてしまう。


「ヴァンは言いましたわ、これはただの権力闘争だと……」


 ヴァンは、愛すべき幼馴染は言った、これは、アールヴとスヴァルトの戦争は単なる権力闘争だと、そしてこうも言った。

 自分はどちらが勝っても死ぬと、敵であるスヴァルトに殺されるか、あるいは味方であるアールヴに殺されるか、アールヴとスヴァルトの合いの子である彼は言った。


「……」


 剣を持つ手が震える、この老人は死んでいる、それで良いのではないか、ここで首を刈ってしまえばその家族の恨みを買う。

 しかしこの戦いでどれほどの人間が死んだか、その犠牲を無駄にするわけにもいかない。

 テレーゼは頭があまり良くない、リヒテルやヴァンのような戦略眼、あるいはブリギッテやアマーリアのような狡猾さも持たない。

 剣を振り、指揮するだけが能の少女だ。戦場の、それも目が届く狭い範囲でしかその力は発揮できない。

 戦争全体のことなど考えても答えなど出るはずがない。


「……っ!!」


 だから彼女は愚かな選択をした。リヒテルやヴァンなど、賢く、大局が見える人間では決して選ばない選択を選んだ。

 その剣を降ろさない。ただ全てを無駄にはできない。ただここに自分が来たことを証明するためにウラジミール公の死体から身に付けられていた、その家紋が入った剣を盗む。

 華美な装飾もなく、特殊な鉱物で作られたわけでもない鉄の剣。

 ついでに地面に自分の名前を書く。そして駆けだした。


「……っ!!」


 王の首を刈る千載一遇の機会を不意にして、だがテレーゼは愚かであったかもしれないが、盲目ではなかった。

 次期ウラジミール公継承の儀に使われる〈選定の剣〉を、彼女はそれがどのような意味をもたらすかを知らぬがまま、盗み出した。 

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