第28話 俺に膝をつかせて見せろ
ハノーヴァー砦前面・バルムンク連合軍・本陣――――
「攻撃開始!!」
エルベ河で水軍が戦闘を開始した頃、陸の戦闘も厳かに始まり、バルムンクの兵士達は砦を包囲しての正面突破を敢行していた。
総勢八百人近い兵士が城壁に食らいつく様は壮観であったが、しかし、それを指揮するリヒテルの顔は苦い。
彼は早くも苦戦の予感がしていたのだ。
「ヒルデスハイムのファーヴニル組織からの連絡はまだか」
「いえ、数日前に早馬で砦を挟み撃ちにする約定は交わしたのですが、それ以降さっぱり」
「未確認ですが、砦の兵力の一部がヒルデスハイムに向かったとの報告もあります。もしかすると合流が大分遅れるかもしれません」
バルムンクの数少ない文官としての能力を持つファーヴニルを集めて作った〈軍師衆〉は錯綜していた。
本来ならば、砦攻略にはバルムンク連合軍だけではなく、南部のヒルデスハイム、エルンスト老の故郷にあるファーヴニル組織と連携して南北から挟撃するはずだったのである。
しかし、約束の日が来ても彼らはやって来ず、仕方なくバルムンク連合軍だけで砦攻略を行った。
ちなみに合流の件は一般兵には話してはいない。
まかり間違って……というよりも現実にそうなったわけだが、合流が不可能となれば士気の低下が甚だしい。
「合流が遅れるのは想定の内だ。もしかすると敵将、ボリスは砦が挟撃されるのを避けるためにヒルデスハイムの防備を高めたかもしれない」
「そ、そんな……」
「案ずるな。だとすれば砦の兵力はその分だけ減っている……我らの勝利が容易くなっただけのこと」
リヒテルが怯える軍師衆を慰めていると、本陣に栗毛色の少女が報告に現れた。
神官の服を着た彼女の肌は小麦色をしており、それは宿敵スヴァルトとの混血を意味している。
ヴァンの側近(半ば自称)であるアマーリアであった。
「ええと……水軍が戦闘を開始しました。一直線に敵軍に向かっています。私の見立てでは破れかぶれにも見えますね」
「そうか……ようやくあの女狐も自分の足を動かしたか」
リヒテルは名目上の婚約者である酒浸りの竜司祭長を思い浮かべていた。
つまるところ、ブリギッテ竜司祭長の内通はアマーリアに聞かれており、リヒテルに密告されていた。
リヒテルの取った方法は一つ。
彼ら内通部隊の背後に弓兵を配置して督戦したのである。
戦わねば死。彼は裏切り者に対して情けをかける気がなかった。
「ごくろう……お前の英断で軍全体が助かった。お礼を言う。どうだろう、私の直属で働ないか? 悪いようにはしない」
「あ、ありがとうございます、感激です。是非とも配下に加えてください……と言いたいのですが、その前に質問に答えていただいても構いませんか?」
「私に応えられることだといいのだが……」
アマーリアは満面の笑顔でリヒテルに質問した。
しかしその笑顔……口元は緩んでいたが目は笑っていなかった、どこか怒っているようなその顔を見て、リヒテルはなぜか九年離れた姉、アーデルハイドを思い出す。
「ヴァンさんも乗っているんですけど、あの船団に……本当に良かったんですか、あらかじめ船から降ろさないで」
「ブリギッテは馬鹿ではない。ヴァンだけを船団から降ろせば彼女は私が内通に勘付いたことに気付くかもしれない」
「でも死んじゃうかもしれませんよ。前方に敵軍、後方は督戦隊ですから」
「ヴァンとてファーヴニル、覚悟はあろう……」
リヒテルはアマーリアに見られないように拳を硬く握りしめる。
自分が育てた少年を死地に送って平気なわけがない。
本当ならば彼だけはあの船団に乗せたくはなかった……逃がしたかった。
だがそれは許されない。
今、リヒテルは千人以上の兵を預かる司令官なのだ。
いやそれだけではない、姉である頭領アーデルハイドの衰えが決定的になった今、バルムンクの舵取りは自分がしなくてはならない。
強大なスヴァルトから皆を守らなくてはいけない使命。
今や司教区そのものを傘下に置くバルムンクの責務、それを全うするためには不公平があってはいけない、私情は捨てるべきなのだ。
「ごめんなさい、せっかくですけどその申し出、やっぱり辞退いたします」
「そうか、私は能力がある者は公正に評価したいのだが……」
「いえいえ、私はそんな凄い人じゃないですよ、あ、そうそう、今回の竜司祭長の裏切りも、私が報告したんじゃなくて司令官の部下が聞いていたことにしていただけませんか?」
「功績を他人に譲るのか?」
「はい、喜んで譲ります。私も誰にも言いませんから、どうか内密にお願いします」
あくまで笑顔を崩さず、アマーリアは去って行った。
腑に落ちない風のリヒテルだったが結局は棚上げにすることにする。
彼にはやるべきことがたくさんある、こんなことで止まっていてはいけない、彼の静止は全軍の停止に繋がるのだ。
視線の向こうでは勇者である彼の命令を受け、連合軍の兵士が勇戦していた。リヒテルの予想では、彼らの半数が生きて勝利の美酒を味わうことはない。
*****
ハノーヴァー砦正門前・バルムンク連合軍・テレーゼ率いる攻略部隊本隊――――
砦の北門、玄関に当たるそこは最も防備が厚く、兵士も多く配置できる。
その危険な要所にリヒテルは難民崩れの飢狼軍ではなく、虎の子であるバルムンクのファーヴニル部隊、ミハエル伯を倒した精鋭を配置した。
彼は飢狼軍を半分は守るべき民衆と認識しており、できる範囲ではあるが、生き残らせたかった。死地に送りたくなかったのだ。
「だって悔しいんですもの、負けたのが……」
「姫、何か?」
「……なんでもありませんわ」
その精鋭部隊を指揮するのは頭領の娘、テレーゼである。
この人選にはいろいろと不安な意見はあったが、リヒテルはあえてこの人選を押し通した。
彼女は確かに経験が少なく、危なかっしい部分も多々あったが、兎にも角にも部隊を指揮する能力は有しており、頭領の娘という皆が納得しやすい立場でもあった。
そして何よりもバルムンクの人材は見かけ以上に層が薄く、結局のところ、代替えの人材候補がいなかったのだ。
(結局、ヴァンを説得できませんでしたわ。それでも斬り姫の娘ですか……なにより、こんな大事な時にまでヴァンのことばかり考えてるなんてなんて情けない!!)
ただ、テレーゼは司教府での葛藤が未だ尾を引いていた。
結局、説得に失敗して物別れになった幼馴染であるヴァンのことが頭から離れない。
どうしてもあの漆黒の髪を、漆黒の瞳を、儚げな表情を忘れられない。
(これ以上、私を傷つけたくない……なんて恥ずかしいことを言うなんて反則ですわ!!)
時折、顔を紅潮しつつ、頭を振り払って目の前に集中しようとする。
周りの皆はそんな自分に失望しているだろう。
もしかすると怒りすら感じているかもしれない。
そう思い込んだテレーゼはそれ故に周囲の視線にいささか鈍くなっていた。
怒りなどとんでもない、注がれる視線は彼女の思惑とは真逆の物だった。
ヴァンの事を想うことが自然と彼のやり方をまねることに繋がり、指揮にヴァンのような慎重さと狡猾さが加わっていく。
それにテレーゼ本来の大胆さが結びつき、敵軍の先手を打っていく。
いつのまにか、北門の戦いは連合軍が優勢になっていたのだ。
「あそこに攻撃を集中して、きっと今、クロスボウのハンドルを回しているのよ。次の矢を番えさせないで」
「了解です!!」
「姫、梯子をかけて昇りますか」
「まだ、早い。敵の攻撃が衰えていませんの。その前にレンガで壁を作って、防御板では火矢を長時間防げないですわ!!」
「はっ!!」
「アンゼルム……あそこに投石器で石を投げ込んで!!」
「姫、城壁の裏側ですか?」
「ええ、そうよ。あそこの通路だけ、敵の兵士が早足で通っていますの。きっと背後に敵の投石器があります。頭上を石が飛ぶかもしれないから怖いのですわね」
「では、虎の子の〈ムスペルの炎〉を投げ込んでやりましょう」
〈ムスペルの炎〉とは十年前の戦争で法国正規軍が使った焼夷兵器である。
松脂、硫黄、硝石などを配合することで作られたそれが生み出す炎は水では消えず、辺りを燃やし尽くす。
ミハエル伯の戦いでも目くらましとして少数が使用されたが、大商人の援助を受けたバルムンク連合軍はその切り札を今度は正式に配備していた。
とまれ、しばしの後、投石器で投げ込まれたムスペルの炎が城壁の裏側に落ちると同時に、その周辺で盛大な火柱が上がる。
テレーゼは知らなかったが、実はそこには投石器と、なにより砦の守備隊が連合軍に打ち込むべく用意したムスペルの炎が山積みになっていたのだ。
刹那の差で先をいったテレーゼにより、彼らの切り札はそのまま彼ら自身を焼く反逆の炎と化した。
炎の勢いが強く、消化が間に合わない、城壁の上に立つスヴァルトの守備隊に動揺が走る。
「なんだかうまくいったみたいですわね。方針転換、梯子をかけて総攻撃に移りなさい。昇る人間一人に対し、弓兵二人、槍兵二人が援護、決して慌てないように……」
「はっ!!」
周囲のファーヴニルははっきりと羨望の視線を向けていた。
戦闘前には彼女を親の七光りと侮る者も少なからずいた。
だが今や、そんな不届きものは皆無だ。
彼らが言う姫とは、守らなければならない弱者ではない……彼らを導く尊敬すべき指揮官であった。
「釣り合わねえ……このままじゃあ、告白なんてできないぜ」
「……何か言いました、アンゼルム?」
「い、いえ、なんでもありません、姫!!」
どこか泣いているようにも見えたアンゼルムに疑問を感じたテレーゼだが、深くは考えなかった。
彼女にとって、アンゼルムは自分の幼馴染であるヴァンが混血であることを晒した(嫌な奴)であり、あまり関わって面白い相手ではなかったのだ。
彼が舎弟らを率いて総攻撃に加わったのを幸いに、忘却の渦へ押し流してしまう。
それに代わる形で思い浮かんだのは戦闘の推移であった。
ハノーヴァー砦は外壁に、内壁、本城と三重の壁がある。
セオリー通りならば外壁を突破した後、防備を固めてから内壁の攻略に向かう。
内壁の通路は港に繋がっており、内壁の陥落は港の陥落に直結する。
つまり、内壁が落ちた場合、敵水軍は河に孤立して各個撃破の的となり、同時にバルムンク連合軍は陸と河の部隊が手を繋ぐこととなる。
このハノーヴァー砦は小さな本城だけが残る形となり、それは事実上の砦陥落と変わらない。
(一気に決着をつけれますわね。ここは勢いのまま、内壁を突破して……)
テレーゼが命令を下すべく、右手を振り上げ、しかし、逡巡の果てにゆっくりと手を元に戻した。
(ヴァンならここは、うまくいき過ぎていると罠を疑いますわね)
テレーゼは、ミハエル伯との戦いで孤立した苦い経験を思い出していた。
今度はヴァンが隣にいない、フォローしてくれる幼馴染はいないのだ。
猪突猛進は厳禁、今度は死ぬことだろう。
「おに、司令官に内壁攻撃の許可を取ってきてくださる?」
ひとまず、司令官であるリヒテルに状況を報告する。
そして部隊全体にこのまま内壁に取りつく準備をさせた。
テレーゼとしてはやはり、敵が混乱している間に本城までの道を切り開きたいのである。
「脆いですわね。やっぱりお兄様が言うようにスヴァルトは腐ったハイオク。蹴破れば簡単に崩れるのですわね」
「それは違う。お前らが強くなったんだ」
「えっ……」
外壁に取りつき、頂上まで登った兵士が突如巻き起こった旋風に吹き飛ばされる。
一、五ディース(約六メートル)の高さから叩き落されたファーヴニルは潰れた肉塊になっていた。
落下の衝撃だけではない、チェインメイルをまるで紙細工のようにひしゃげさせたその一撃は驚くべきことに剣による薙ぎ払いの結果であった。
そこにいたのは銀髪のスヴァルトだった。
戦場だというのに精緻な銀細工がついたベストを着込み、その上から漆黒のコートを纏っている。首にはクラヴァット(布ネクタイ)。
全体的に優美だが、実用的なそれはアールヴが思い浮かべるスヴァルト貴族の姿そのものだった。
「一つの勝利が自信と誇りを与え、ヒトを英雄に変えることがある。同じように一つの敗北が勇気を奪い、英雄をただのヒトに戻すことも……会うのは教会のコロッセウム以来だな、お姫様」
「貴方……あの時のおしゃべりなスヴァルト兵!!」
「俺の名前はグスタフ……グスタフ・ベルナルト・リューリク。スヴァルトの支配者リューリク家の一族。名乗るのは初めてだったか」
「グスタフ……まさか、あの裏切り者!! そう、裏切りを対価にリューリク家に取り入ったのね!!」
グスタフという名はバルムンクにとって決して許されざる名前である。
かつて彼は首都マグデブルクのバルムンク支部にて保護されていた。
スヴァルトである彼がなぜ反スヴァルトを貫くバルムンクに助けられたかは分からない。
だが、それは大きな間違いであったのだ。
十年前、スヴァルトが大反乱を起こした直後、彼はバルムンクを裏切り、恩人たちをスヴァルトに引き渡した。
不意を突かれた支部のファーヴニルはそのほとんどが殺され、その暴虐を生き延びてリューネブルク本部に帰ってきたのはリヒテルと(新たに加わった)ヴァンだけであった。
憎んでも憎み足りない怨敵。
それが今、テレーゼの目の前に立ちはだかっていた。
「俺が憎いか。十年前に裏切った俺が」
「ええ、憎いですわ。裏切りだけじゃない。コロッセウムでのことも……」
「騙して襲ったのは悪かったと思っている。だがあんなのは遊びだろう。結果としてお前とヴァンは無事だった。それでいいじゃないか」
どこか失望したような雰囲気を漂わせグスタフが剣を構える。
彼の徳物は身の丈もあるツヴァイハンダー……朱く輝くその光沢は炎石ティルフィングの証。
大型であればあるほど耐久が増すその金属で作られたその剣は重厚で、まるで破城槌のような凄みがあった。
「覚えてはいませんか? 私に立ち向かった少女達を、私が斬った罪なき彼女らの事を……」
「忘れたな、お前に一太刀も与えられなかった弱者のことなど」
テレーゼからはあらゆる気負いが消えていた。
そこにあるのはただ敵を倒す、否、自らの道をひた走る信念のみ。
「私は貴方に償わせます。彼女らが得るはずだった幸せを踏みにじった貴方にその罪を償わせてやる。さあ、剣を取りなさい。抵抗の真似事くらいは許してあげますわ」
「そんなか細い腕で俺に勝つだと、笑わせるな。貫けなかった正義を偽善と言う。中途半端に終わるから上辺だけしか理解されない。その意味でお前は偽善者だ。大した偽善者だ」
「だけど、貫ければそれは偽善ではなく正義」
「その通りだ。ならば貫いてみろ。この俺に膝を突かせて見ろ、リヒテルの妹よ!!」
テレーゼは疾駆する。
その素早さに降り注ぐ矢はついてこれず無残にも彼女の背後に落下した。
梯子に足をかけ、ほとんど壁を走るように頂上へと向かっていく。
グスタフ率いる予備隊が駆け付けたことにより、外壁での戦闘は完全に拮抗していた。
必死に防戦するスヴァルトに責めあぐねて歯噛みするファーヴニル部隊。
その危うい天秤はテレーゼとグスタフの決闘で崩れ去る。
ハノーヴァー砦北門での戦いは他の戦場に先駆けて早くも最終局面を迎えていた。
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