第21話 所詮は若造じゃ、恐るるに足りぬ

リューネブルク市・司教府・司祭長付き応接間――――


「口に合うと良いのだが……」

「大丈夫です。本当に結構なものをいただいて……」


 牢から出されたヴァンは一晩休んだ後、服を着替えて朝食に呼ばれていた。

 献立はパンにジャガイモ、鳥とエンドウ豆のポタージュ、野イチゴ、そら豆、氷砂糖。

 豆類が多く、逆に肉類が少ないのは、老司祭長の年齢のせいか。

 死術の副作用で舌がマヒしているヴァンにとって味は問題にならない。

 しかし体を動かす職に就く以上、脂分が少ないのがやや不満であった。

 無論、口には出さないが。


「うむ……よく食べる。うらやましい限りじゃな」

「少し、不作法ですか?」

「いや、すまない。そういうことを言っているのではないのだ。わしの故郷では高貴なるものは大食であるという風習があってな。それに倣ってわしもたくさん食べるよう心掛けてきたのじゃが、このところ食が細くなってな、どうやら高貴なる血は汚れたらしい」


 司祭長は栓のないことを話しながら、給仕の一人に代わりを持ってくるように手で指図した。

 その給仕は誰であろうか、教会で見たあの幼女たちであった。

 その目に光はなく、顔には生気がない、表情は完全な無であった。

 どのような扱いを受けているか知れたものである。


「……」


 ヴァンは彼女らの服装をさりげなく観察する。

 薄布一枚、胸と腰をわずかに隠したそれは下着といっても差支えのないほど、露出が多い。

 だがそれにより、武器を隠し持つことが不可能であった。

 ヴァンは教会(正確にはエルベ河のほとり)で襲撃されたことを思い出していた。


「何を見ているのです。好みの娘がいたのですか?」


 隣に侍るアマーリアがなぜか棘のある口調でヴァンを詰問した。

 ヴァンはその意図がわからなかった、自分だけ違う服装にされて事が不満なのだろうか?

 彼女の服装はヴァンの要望により、修道士(下級神官)の着るような簡素な貫頭衣である。

 白地に蒼い十字の入ったそれは神官の服装に近く、司教府内では目立たない。 ちなみに彼女には給仕などはさせていない。

 まかり間違って、ナイフなど持たせて背後から襲われては大変だからである。 ヴァンは自身を拷問した彼女を信用していない。


「教会であった時と比べて幼いものが多いのが気になりまして……人手不足なのですか?」


 結局、ヴァンは辺りさわりのないことを言って、お茶を濁すことにした。だが、それによって思わぬことを聞くこととなる。


「半数が解放されたスヴァルト兵に着いていきましてな。つまり逃げられてしまったということです」

「スヴァルト兵の解放……それは本当ですか?」

「ええ、総勢、500人。このリューネブルク市の人口の一割にも及ぶ人数を食わしていくのは大変ですからのう。いたしかたがないでしょう」

(せっかくの人質を解放するとは……愚かなことを)


 上級貴族であるミハエル伯こそ死んだものの、捕えたスヴァルト軍には騎士階級の人間もいた。

 高貴なるものは最前に立つスヴァルトの風習が裏目になった格好だが、バルムンクにとっては交渉の材料になる。

 例えば、身代金を取るだけでも利がある。

 金銭の類だけでなく、態勢を整える貴重な時間を稼ぐことができるのだ。


「お主が何を考えているのかは分からぬが、まあ、済んでしまったことを悔やんでも仕方がないじゃろうて。それよりも、そろそろ、本題に入るかのう、本当はこんな不躾な切り出し方は好きではないのだが、お主はとんと、せっかちじゃからのう」


 まるで心を見透かしたような言い草にヴァンが臨戦態勢に入る。

 この大食堂にいるのは老司祭長、アマーリア、幼女奴隷。

 いずれも戦闘力に乏しい。

 しかし部屋の外に誰かが待機している可能性もある……ヴァンはテレーゼと違ってそこまで気配を探れないのだ。


「……私に何をさせたいのですか」

「何、そう身構えるな。そんな殺気混じりの視線をぶつけられては臆病なわしは何もしゃべれなくなってしまうぞ、あは、はははは」


 言葉とは裏腹に、怖けるそぶりを微塵も見せない司祭長。

 しかし殺気をぶつけたのは本当である。

 その証拠にふと見たアマーリアは体を震わせていた。


「礼を逸失したことをお許しください」

「いや、謝るには及ばんよ」


 双方とも慇懃無礼な態度で場に臨む、それを両者とも咎めることはしなかった……二人とも、脛に傷を持つ身だからである。

 笑顔は愉しいからではなく、険しい顔は怒っているからではない。

 全て相手を騙すための欺瞞であった。


「此度のスヴァルトに対する勝利はバルムンクと官軍が一致協力して得られたもの。であるならば、さらなる結びつきの強化をわしは提案したいのだが、その件で副頭領リヒテルを説得していただけないかとお願いしたい」

「具体的な内容をお話しください。そうでなければ判断できません」

「つまり、婚姻じゃ。竜司祭ブリギッテ・バウムガルトを娶り、さらに軍事の長、竜司祭長に着任して欲しい」

「今いる、竜司祭長は如何なさるおつもりで?」

「それは問題ではない。前任の竜司祭長は蜂起に賛同せず亡命……いや、言葉を飾っても仕方がないな。逃げてしまったのじゃ」

「それはそれは、実に神官らしい……」


 つい、ヴァンは皮肉を言ってしまった、彼も基本的には神官連中が嫌いである。

 それはともかく、内容に問題はない……あくまで表向きは、であるが。

 穿った見方をすれば婚姻とは間者を組織に招き入れることになるし、リヒテルの竜司祭着任は彼が神官の配下になるということだ。

 簡単に賛同していいものではない。


「今はブリギッテが竜司祭長代行の地位にいるが、正直、荷が重い。彼女は頭が固く、柔軟な思考ができないのだ。基本的に相手あっての軍事には向いていない」

「確かに、それでは難しいでしょう。話は通します、しかし最終的な判断は副頭領が行うことをお忘れなく」

「それで結構じゃよう。なにせわしはどうやら副頭領に嫌われたみたいでのう。どう、話を切り出そうか迷っておったのだ」

「副頭領は好き嫌いで物事を判断する方ではありません」

「いや、もちろん知っておる。全てはわしが悪いのじゃ。わしがテレーゼ殿の婚姻を提案したせいでのう……」

「……!!」


 ヴァンは……平静を保てたか自信がなかった。


「確かに、気持ちは分かる。汝らの姫君を奪うような真似はしたくない。じゃが此度の戦さ、彼女も戦死の危険があったそうではないか。わしにはそれが耐えられないのじゃ。というのもテレーゼの父、ベルンハルト枢機卿とは親友でのう……」


 司祭長の言葉がどこか遠くに聞こえる。

 胸の奥の痛みをヴァンは無理やり抑えつけた.

 婚姻ということは、彼女は今後、戦場に出ることも、もしかするとバルムンクと関わることもなくなるかもしれない。

 もとよりそのための婚姻。

 司祭長は名前を挙げなかったが、裏に母であるアーデルハイドの影が見える。 戦争反対の穏健派であり、娘を溺愛する彼女が考えそうなことだ。


「おっと、昔の話をしてしまった。老人の悪い癖じゃ」

「気にしては居りません。その話も本人に伝えましょう」

「テレーゼ殿にか、お主の口から……?」

「他にどのような方法がありましょう」


 司祭長は油断したのだろう。

 その顔の薄皮がはがれ、醜悪な本性が垣間見える。

 彼がバルムンク内での影響を強めたいのは明白だ。

 だがそれで操られる副頭領リヒテルではなく、何より、テレーゼが安全なところにいるというのは従者たるヴァンの意見とも一致していた。

 例え、住む世界が違くなり、二度と会えなくなっても、主の生命を守るのが従者の務め。

 反対などできようはずがない。


「司祭長……侵入者です。警邏の兵が斬られました」

「何じゃと……」


 ヴァンが静かに決断した時、大食堂に兵士が駆けこんできた。途端に静謐な空間が慌ただしいものとなる。


「賊はどんな奴じゃ……」

「蒼い髪の女です。木を伝って、二階から入られました」

「蒼い髪の女、まさか……」

「斬った……テレーゼお嬢様ですか」


 ヴァンが溜息をついた。

 何を目的としてテレーゼが潜入に刃傷沙汰と暴挙を行ったのか知らないが、今、神官との仲が悪くなるのはまずい。

 下っ端のファーブニルならばいざ知らず、彼女はバルムンク頭領の娘であ、組織の顔でもあるのだ。

 バルムンクと神官が手を結んでスヴァルトと相対しなければならない状況でその仲にヒビを入れるような愚行。

 その事実を理解していないとすればテレーゼはもはや組織の障害である。最悪の場合、リヒテル副頭領に謀殺される危険すらある。

 ヴァンはそんな状況を考えて思わず体を震わせた。


「恐らく、下手人はテレーゼお嬢様でしょう、諌めてきます」

「ほう……主人の一族を斬るというのかね?」

「諌めると言いました。斬るわけではありません」


 そう言うとヴァンは伝令の官兵に近づき、詳しい情報を聞き出し始めた。


「賊はどちらへ?」

「地下の、ワイン蔵に逃げました」

「随分と詳しいですね……」

「え、ええ……」

「本当は潜入したことを黙っているようにお嬢様に口止めされたのでしょう?」


 ヴァンは自然な動作で官兵の首に手をかける。

 力を加えれば、気道を圧迫できる姿勢である。


「いくらでお嬢様に口止めされました?」

「な……」

「それから金銭を受け取ったにも関わらず、嘘の場所を教えた。何を聞かれたかは知りませんが、逃げ場のない地下に行く理由なんてそんなに多くはない」


 官兵は震えながら、懐から数枚の銀貨をヴァンに手渡す。

 怯えきった顔はヴァンの言いがかりが真実を言い当てたことを証明していた。


「こ、これで全部だ……嘘じゃねえ!!」


 ヴァンは黙って銀貨を受け取ると興味を失ったかのように官兵を置いて静かに退室していった。


*****


「し、司祭長様……なんなんですか、あの化け物みたいなガキ」

「アーデルハイドが引退した後の、バルムンクNO.2じゃ」

「あ、あんな少女奴隷みたいな……いや、でも確かに……」


 司祭長グレゴールの真っ赤な嘘をどうやら官兵は信じたようだった。


「それはそうと……斬られたというのは大丈夫だったのか」

「え、ええ……本当に大したことはありませんよ。斬られたのは友人なのですが、彼、自分の少女奴隷がスヴァルトに走ったのでムシャクシャしてたんです。相当酔ってましたし……襲い掛かって返り討ちになったんですから自業自得です」

「それをなんでさっき言わなかったのじゃ、潜入だけならまだ弁解の余地があったというのに……」


 そう言われると官兵はばつが悪そうに頬をかいてその理由を話し始めた。


「そんなこと言ったら、友人の立場がなくなるじゃないですか。斬られて、恥をかいたなんて踏んだり蹴ったりですよ。それにあの子供、バルムンクの人間でしょう。あいつらに舐められるのは我慢ならないです」

「うむ……いい答えだ。お主は模範的な官兵だ。出世するぞ、確約してもいいぐらいじゃ」

「あ、ありがとうございます」


 少々、納得いかない様子の官兵だが、上役のお褒めの言葉は素直に受け取ったようだ。


「そうじゃ、ついでと言ってはなんだが、今から書く書簡をバルムンクに届けてはいただけるかな、テレーゼ姫と、リヒテル殿の婚姻の件じゃ」

「分かりました…ですが、受け取ってくれるのでしょうか、その内容では……」

「受け取ってくれなくても、内容を知らせるだけでよい。それで帳尻が合う」


 司祭長はそう言うと奴隷に羊皮紙と羽ペン、それと判子を持ってくるよう命令する。

 ヴァンを惑わしたテレーゼの婚姻、それは全てグレゴールの嘘であった。

 後で書類を送り、既成事実を作って帳尻を合わせるのである。それで嘘は真実となる。


「リヒテルもヴァンも、所詮は若造じゃ……恐るるに足りぬ」


 司祭長はにんまりと笑うと、知古の少女を見やる。

 置いてかれたアマーリアは焦燥した表情のまま、ヴァンを追いかけていった。

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