第二十一話 懐かしいな

 フェリクス商会に到着した俺は、いつものように番頭のヘニングの誘導で執務室に通され、いつものように慌てて現れるクラーマーとも挨拶を交わし、いつものようにソファーへちょこんと腰を降ろす。

 そんな”いつもの”遣り取りが一段落すると、『今回はどんなお話かな?』といった、ワクワク感溢れる表情のクラーマーに、俺は至って真面目な表情で語り出した。


「――といった感じなのですが」


 俺が伏魔殿を平定し、そこの地で領主になることをクラーマーに告げ、開拓を開始する際にはエドワルダに休学してもらい、シェーンハイトを護衛してもらいたいなどの旨を伝えた。


「……わかりました。そもそも、エドワルダを上流学院に通わせているは、ブリッツェン様もご存知のとおり、女性らしさを身に付けてもらうのが目的です。しかし、あの子はそんなことよりも、ブリッツェン様と行動する方が良いのでしょう」


 俺と行動する方が良いってのは、『エドワルダお淑やか計画』を諦めたってことなのかな? やっぱり申し訳ないなぁ。


「それと、極秘裏に移動するシェーンハイト様を護衛するのです。口には出せませんが、その役は最早もはや我が商会の専売特許のようなもの。非常に誇らしく思っております」


 当初は感心しきりだったクラーマーだが、エドワルダの休学の件には暫しの逡巡が見られた。それでも考えを口に出し、シェーンハイトの護衛の話の頃には、彼の表情が満面の笑みへと変わっていたのだ。それは、本当に誇らしく思っていなければできない表情であろう。

 この話を打ち明ける前の俺は、申し訳ない気持ち一杯であったが、クラーマーの心からの笑みを見て、少し救われた気持ちになれた。


「ところブリッツェン様」

「なんです?」


 肩の荷が若干降りた俺がひと安心していると、いつもの商人らしい笑顔に戻ったクラーマーに声をかけられた。


「その地には、アインスドルフのような特産品はあるのですか?」

「う~ん、全体の調査がまだなので断定できませんが、特殊気候ではない伏魔殿でしたので、物珍しい品はないでしょうね」

「それは残念ですね」


 流石は商人だ。娘の話が一段落したと思ったら、すぐに頭が切り替わる。この辺は尊敬に価するし、見習いたいね。


「ですが、レーツェル王国と交易ができるようであれば、トリンドル侯爵領のように交易都市となり得ます。そうなれば、外国の商品が取り扱えると思いますよ」

「現状ですと、王国内で王国の品の取引のみをしてきましたが、ブリッツェン様の領地がそのようになるのでしたら、交易関係に手を出してみるのも悪くないかもしれませんね。フェリクス商会も、ブリッツェン様のお陰で規模が拡大し、従業員も増えました。良い機会かもしれません」


 現在のシュタルクシルト王国は、同盟国であるレーツェル王国とのみ国交がある。

 しかし、地理的な問題で、レーツェル王国と行き来が可能なのはトリンドル侯爵領しかない。

 クラーマー程の商人であれば、既に国を跨いだ商売をしていると思っていたが、よくよく考えてみると、フェリクス商会は彼が創業した歴史の浅い商会だ。そこまで手が伸ばせていなかったのだろう。


 その後も少し会話をし、暫くして俺はフェリクス商会を後にした。


 ライツェントシルト公爵邸に帰宅した俺は、広々とした密室であるリビングで、アーデルハイトと二人きり・・・・でソファーに腰掛け、今後の予定を伝える。

 当然、横並び……ではなく、向かい合わせだ。


「――大雑把ですが、そのような予定になります。なので、申し訳ございませんが、アーデルハイト様に護身術・・・をお教えする時間が確保できません。ですが、アルトゥール様から許可は得られましたので、時間ができましたら必ずお教えいたします」


 以前、アルトゥールからの許可が得られたら、名目上は護身術・・・となっている魔法・・を、アーデルハイトにも教えることになっていたのだ。それからかなり間が空いてしまったが、今回の話し合いのついで・・・にアルトゥールからの許可を得ておいた。だが、俺自身に時間がないので、今は教えられない旨を伝えた。――非常に、ひじょ~に心苦しい。


「すぐに教えていただけないのは残念ですが、何れは私にも教えてくださるのね?」

「それはもう、手取り足取り」


 アーデルハイトの笑顔を見て軽く逆上のぼせていた俺は、思わず下衆な本心を漏らしてしまった。


「あら、手取り足取り教えてくださるのですね」

「あ、いや、……は、はい、しっかりお教えいたします」

「うふふふ、嬉しいわ」


 きっとからかわれているのであろう。アーデルハイトは淑女然としているが、茶目っ気もある人なので、こうして揚げ足を取るようなこともある。だがそれは、恥ずかしくもあるが嬉しくもあるので、俺にとってはちょっとしたご褒美なのだ。


「ですが、ブリッツェンさんは調査の後もそのまま現地に残られるのでしょ?」

「その予定です」

「そうなると、私が護身術・・・を教えていただくのは、見当もつかないくらい先になってしまいますね」


 悲しいわ、と言いながら何処からともなく取り出したハンカチで、そっと目元を拭うアーデルハイト。その仕草は、かつてキーファーシュタットでの初対面時に、彼女がしれっと行なっていたパフォーマンスだ。

 あの当時と変わらぬ美貌の”アイドル”と、あの頃より親密な関係となった今、再びそのパフォーマンスを目にすることができ、俺は得も言えぬ幸福感に包まれた。そして――


「懐かしいな」


 ポロッとそんな言葉を漏らしてしまった。


「あら、覚えていたのですか?」

「え? いや、はい」

「ブリッツェンさんと初めてお会いしたときに、私はこの技をお見せしたのよね」


 それって、技だったのか。


「しっかり覚えています。むしろ、私と初めて会った頃の記憶が、アーデルハイト様に残っていたことに驚いています」


 田舎の子どもとの出会いなど、仮に会ったことは覚えていても、遣り取りなど覚えていないと思っていたので、驚きと共に嬉しさもあった。


「シェーンハイトはブリッツェンさんの信者・・ですからね。折を見ては私に貴方のお話をしてくるものだから、いつまでも初めてお会いした際の記憶が思い起こされていたのよ」


 成る程。俺の熱狂的信者であるヘルマンを生み出したシェーンハイトだ、母であるアーデルハイトに俺のことを熱く語っていても不思議ではない、と即座に納得してしまった。


「私もアーデルハイト様にいただいたペンダントを取り出しては、お二人にお会いした時の記憶を思い出していました」


 俺はそう言うと、魔道具袋もどきからペンダントを取り出し、アーデルハイトに見せた。


「大事にしてくださっていたのですね」

「私の宝物です」

「嬉しいわ」


 ただでさえ見惚れてしまう満開の花畑の如き笑顔を、それを上回る極上の笑みに昇華させたアーデルハイト。そんな彼女に俺の心は鷲掴みにされ、呼吸をするのも忘れてしまい、危うく笑顔だけで窒息死させられてしまうところだった。

 慌てて呼吸を開始し、些か呼気を荒げた俺をアーデルハイトが心配してくれ、それすらも嬉しく、心拍数も高揚感も上昇の一途を辿る。


「ただいまかえりました」


 そんなとき、シェーンハイトが帰宅した。


 そういえば、先日アーデルハイト様と初めて二人きりで会話したときも、思考がおかしくなったよな。ってことは、あのときが”初めて”二人きりだったとかじゃなく、俺はアーデルハイト様と二人っきりだと、きっと思考が暴走しちゃうんだ。――いや、きっとアーデルハイト様が魔性の女だからだ! その魅力で以て、俺は洗脳されていたに違いない。


 アーデルハイト様……あんた恐ろしい人だよ。


 それにしても、実に良いタイミングでシェーンハイト様が帰宅してくれたな。

 いやぁ~、本当に助かったよ。


 ちなみに、前回と同様に今回も、二人きりといっても部屋の隅にはメイド達が控えているので、実際には二人きりではないのである。


「ブリッツェン様はもう戻られていたのですね」

「おかえりなさいませシェーンハイト様。私も先程戻ったところです」

「あら? ブリッツェン様のお顔が赤いですが、体調がよろしくないのですか?」

「先程まではそのようなことはなかったのよ。それが、ブリッツェンさんと初めてお会いした頃のお話しをしていたら、なぜか急に」


 俺を心配してくれたシェーンハイトに、アーデルハイトが小悪魔的な笑顔で応えつつ『うふふふ』と口元を手で覆っていた。


 アーデルハイト様、わかってて言ってるよな。くぅ~、でも何か幸せ。


 そんな魔性の女であるアーデルハイトにガッツリ魅了されつつ、シェーンハイトも交えての会談を開始する。

 先程、アーデルハイトにざっと伝えていた今後の予定を、改めて四人・・に語った。

 なぜ四人なのかと言えば、シェーンハイトの帰宅後、メイド達には全員部屋から出てもらい、給仕はルイーザとルイーゼだけだ。とかく隠し事の多い俺の話なので、シェーンハイトとアーデルハイトの組み合わせで深い話し合いをする際は、自然とこうなる。


「――予定はそんな感じです」

「今回は、わたくしも参加してよろしいのですね?」

「アルトゥール様から許可を頂いておりますので、ご安心ください」

「ありがとう存じます、ブリッツェン様」


 調査後の開拓作業とはいえ、自分も参加できると知ったシェーンハイトは、それはそれは大層な喜びようだった。

 俺としても、シェーンハイトなら喜んでくれると思っていが、可愛らしい顔を朱に染め、興奮気味に喜ぶ様を実際に目の前で見せられると、やはり嬉しく思う。


 そんな、ほっこりした日から数日間、相変わらず大まかな予定だったものを少しだけ細部を詰め、食料などの準備も行なった。


 そして、いよいよ調査へと出発する日。


「では、いってまいります」

「無理はしないでくださいね、ブリッツェン様」

「大丈夫ですよ、シェーンハイト様」

「わたくしも必ず合流いたします。必ずですよ」

「承知いたしました」


 俺を心配してくれているのか、自分が合流できなくなる事態を心配しているのか、なんとも不安気な表情のシェーンハイトに、俺は満面の笑みで以て応えた。

 そんな俺達を、アーデルハイトが優しく包み込むような微笑みを湛えて見守っている。

 その空間と今というじかんは、俺にとって掛け替えのない大切ものであった。


 いやぁ~、不安気な美少女と聖母の如き美女。そんな二人に見送られると、俄然やる気が出てくるな。それに、どっちの表情もそそるものがあるよね。なんかこう、たぎるというかみなぎるというか……あっ。

 いかんいかん、腰をくの字にして出発とか、カッコワルイにも程がある。

 落ち着け俺! そして静まれ俺の分身!


 何れ義妹と義母になる存在をよこしまな気持ちで見ている俺は、その気持ちを強引にやる気に変え、足取りも軽やかに、背筋を伸ばして・・・・・・・公爵邸を後にした。

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