第十一話 至福のひと時
昨夜は牢から出されて久しぶりにゆっくり眠れたこともあり、今朝の寝起きの気分は非常に爽快なものであった。
広々とした寝台から体を降ろし、軽く体操のようなもので身体を動かしつつ、『さて、どうしたら良いのやら』と少々戸惑ってしまう。
このような高待遇を受けた経験がないので、どう行動したら良いのか全くわからないのだ。
すると、謀ったかのようなタイミングでノックされ、フィリッパが部屋に入ってきた。
どうすれば良いのかと悩んでいた些事はすぐに解決したが、こうまでタイミングが良いと、いくら監視されているとわかっていても少々恐怖を感じる。
寝起きのお茶、朝食、食後のお茶と至れり尽くせりではあるが、気持ちとしてはどうにも窮屈だ。
呼び出しがあるまで部屋で寛いでくれ、といった旨を伝えたフィリッパが部屋を出ていき、取り敢えずの自由時間ができたので、ソファーでだらりとしながら今日のこれからを考える。
――少し時間は遡る。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「シュレーゲルとシュバインシュタイガーはどちらもあの子から何かを聞き出そうとしていたが無理だったようだね。なかなかどうして、あの子は思ったより良い根性をしている」
「事実だけを述べ、自分の意見や感情は出さない。若いのに大したものです」
ブリッツェンと初顔合わせを終えたアルトゥールと近衛騎士団団長のヴィルヘルムが、宮内相の執務室で会談していた。
「こちらとしてはレギーナ王女が無事に助かったのだし、むしろ反乱分子の炙り出しにとあの子の尋問も咎めずやらせておいたけど、あの子はとんだ拾い物だったようだね」
「魔法の件は驚きましたが」
「まぁ……そうだね」
「魔術も使えぬ者が伏魔殿の平定や盗賊退治をしているのですから、腕っ節には期待できると思っていたところ、賊の狙いがシェーンハイト嬢であると推理もしておりました。頭の方も切れるようでございます」
「それもそうだけど、何よりあの子が魔法使いであることこそが大きいね」
「身体強化の方は腕相撲で体感しましたが、あれだけでも十分脅威ですな」
自身の腕力には自信のあったヴィルヘルムだが、年端も行かぬ子どもによもや腕相撲で負けるなどと思ってもいなかった。しかし、赤子を捻るかの如く自分を破った力、あれには背筋が凍る思いだったようだ。
「そうはいっても、力任せに振られた剣に其方が負けるようなことはないだろ?」
「あの力が腕力だけであればそうでしょう。しかし、そうではありますまい。脚力を含め全てが強化されるのでしょうから、私はあの者の姿が追えずに打ち負けるでしょうな」
ヴィルヘルムのその言葉に、アルトゥールは口をあんぐりとして固まってしまった。
暫しの間を置きアルトゥールが口を開く。
「王国最強の剣士である、近衛騎士団ヴィルヘルム団長にそこまで言わせる程かい?」
「それ程の力量はあるでしょうな」
己の力のみで、史上最速の近衛騎士団団長襲名を成したヴィルヘルムが、成人もしていない子どもに負けるとあっさり認め断定する。
「本人は罪人にされること、しかも家族に迷惑をかけることを恐れているようですが、そんなことを言っている輩から彼を守り、むしろ閣下の手駒とするのが最善かと愚考いたします。もし仮に、あの者があちら側に付かれますと、この国の一大事となるやもしれませんぞ」
「それは明日の魔法を見てから考えようと思っていたけど、見るまでもなくそう思うかい?」
「魔法の方はオマケでございます。仮に魔法が大した威力を発揮せずとも、あの身体強化だけで十分かと」
アルトゥールは、自分が一番信用している家臣の発言に、半信半疑の視線を向ける。
「う~ん、其方がそこまで言うのであれば、ブリッツェン君はこちらで抱え込もう。まぁ、明日は余興と思って見学しようかね」
「それで宜しいかと。――ところで、ブリッツェンを抱え込む際の処遇でございますが、あの者はシェーンハイト嬢の警備として上流学院に入れるというのは如何でしょう? シェーンハイト嬢が狙われているのは確かでしょうし、ブリッツェンも指摘しておりました。であれば、ブリッツェンにシェーンハイト嬢の警護を命じ、誘拐事件の報奨として学費と王都での生活の一切を面倒をみるという名目で、報奨を与えつつシェーンハイト嬢の安全も守られますぞ」
ヴィルヘルムの提案に、アルトゥールが逡巡する。
「うむ、それは良いかも知れないね。――よし、その案で行こう」
こうして、ブリッツェンの与り知らぬ所で、彼の進路が決定していた。
「ところで閣下、シュバインシュタイガーの方は尻尾を出しませんでしたが、シュレーゲルはレギーナ王女の誘拐を防げなかったことが大失態でありますし、レギーナ王女を救ったブリッツェンに尋問で怪我を負わせております。ブリッツェンは在地騎士爵家の子とはいえ、貴族扱いであります。王国の王女を救った恩人であり、貴族である者を尋問で怪我をさせたとなれば、それだけでも大きな罪となります。それ故、軍務伯から降ろすのも十分可能ではないでしょうか?」
先ほどのブリッツェンに対する提案と打って変わって、なんとも含みのある提案をヴィルヘルムが口にした。
「確かに、レギーナ王女を誘拐された失態だけでは少々弱かったけど、ブリッツェン君に対する行為は十分追求できるね。これはブリッツェン君が平民でなかったことに感謝しないといけないな」
勝手に進路を決められてしまったブリッツェンだが、勝手にアルトゥールから感謝もされていたのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「先日ぶりでございますね、聖女アンゲラ様、聖女エルフィ様」
「そうでございますね、シェーンハイト様」
「早々に再会できたことを嬉しく存じます、シェーンハイト様」
アルトゥールの指示で登城させられたアンゲラとエルフィは、満面の笑みで待ち構えるシェーンハイトと挨拶を交わしていた。
どうにも、聖女の大ファンであるシェーンハイトのためにアルトゥールはこの時間を用意したようで、お偉いさん方はこの場にいない。
この場所は応接室のようで、豪華な調度品の数々に囲まれているが、美少女三人はそんな背景よりも輝いて見えた。
金髪ゆるふわウェーブが背の中ほどで揺れるアンゲラ。
銀髪ストレートが綺麗に腰下まで伸びているエルフィ。
白金髪が肩の先まであり、両サイドをローズピンクのリボンで結われた可愛らしいハーフツインテールが良く似合っているシェーンハイト。
この三名の美女、美少女だけを視界に捉えているこの時間は、まさに至福のひと時だ。
「それでブリッツェン、なぜこのような事態に?」
「貴方、メルケル領に戻ったはずでは?」
「それは、ですね……」
アンゲラはいつもどおり、シェーンハイトがいるので仮面を被ったエルフィ。その二人の姉からこの状況の説明を求められてしまった。
何処からどう説明しようかと俺が考え込むと、待ってましたとばかりにシェーンハイトが説明を始めた。
「――で、ブリッツェン様がレギーナ姉さまをお助けしたのです。それから――」
英雄譚が大好きなシェーンハイトは、非常に興奮した様で喜々として語ると、一部始終をい聞いた姉達は呆れた眼差しを俺に向けてきた。
「襲われていたのが王女殿下の乗っていた馬車とは思っていなかったから、軽い気持ちで人助けをしたらこうなっちゃったんだよね」
「ブリッツェンらしいわね」
「少しは考えてから行動すべきね」
人助けをしたにも拘わらず、なにやらよくないことをやった風な空気になっているが、大事になってしまった以上、それは仕方のないことだろう。
「約五年前、ブリッツェン様に初めてお会いした際、ブリッツェン様は英雄になられると思ったわたくしの予想は正しかったですね」
「ブリッツェンが英雄ですか?」
「そうですよ聖女アンゲラ様」
ここからまたシェーンハイトは熱心に語り始めた。
大好きな物語の話、黒髪黒瞳で大魔法使いの大英雄、初めて黒髪黒瞳の人物である俺と出会ったときの感動、そんなことを滔々と語ったのだ。
「それで、ブリッツェンも英雄になると?」
「そうです、聖女エルフィ様」
「聖女のお二人も魔法が使えるのですよね?」
「それは……」
「そうですシェーンハイト様。二人とも魔法を使えます。ですが、そのことはご内密に」
「はい。他言はいたしません」
エルフィが『あんた、あたし達のことも喋ったの?!』と言わんばかりの視線をぶつけてくるが、状況的に仕方なかったのだ。許して欲しい。
「お二人に魔法をお教えしたのはブリッツェン様なのですか?」
「そうです」
「でしたら、わたくしにも魔法をご教授して頂きたく存じます」
「魔法は”劣った者”が使うとされ、特に貴族には忌諱されております。それを公爵令嬢であるシェーンハイト様が身に付けるのはよろしくないかと……」
俺の本心としては、誰でも魔法を使える世界が望ましいと思うけど、それを声高に主張することはできない。
「え? そうなのですか?」
「……そう言われてます」
「先日もそのようなお話しをしていたようですが、わたくしは初めて聞きました」
魔法使いが殆どいなくなった今、その噂事態が伝承として細々と伝えられているから、知らない人も多くいるのだろう。
それこそ、シェーンハイトと初めて会った日のキーファーでの模擬戦で、あのときの審判役の兵士が魔術を使えなかった俺に向けた蔑むような視線。むしろ今は、魔術が使えないことの方が”劣った者”と見做されるのではないだろうか?
「わたくしの存じている魔法使いは皆さんだけですが、御三方とも劣っているどころか非常に優れておいでですよ」
「そう仰って頂けるのは大変光栄ではありますが、私の一存でシェーンハイト様に魔法を教えるのは無理ですので……」
「そうですか……」
申し訳ないけど、世間の目とかあるからね、簡単には広められないよ。それに、こんな機会でもなければ、俺がシェーンハイト様と会話することもないし、魔法を教える程顔を合わす機会は訪れないでしょ。
その後、気を取り直したシェーンハイトは姉達との会話を楽しんでいた。
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