第二十七話 この人って凄く有能じゃね?

 オークの味を知った俺達は、幸か不幸かやたらと現れるオークを仕留めながら、日も暮れて暫くしてからようやく帰宅した。

 当然、こっぴどく母に怒られた。



 魔物の肉は他の素材と違い、魔石を取る前に切り取っても伏魔殿から出すと消えてしまう。では、『消えないようするにはどうするのか?』と問われれば、『調理するしかない』と答えざるを得ない。

 というわけで、仕留めたオークを調理していた所為でかなり時間がかかってしまったのだが、調理が終わったときにボソッと呟かれたエドワルダの言葉に衝撃を受けた。


『魔道具袋に入れておけば、伏魔殿の外で肉を出さなければ消えない。なら、伏魔殿の外では肉を出さず、次に伏魔殿にきたときに肉を調理すればいいのに』


 この言葉は、まさに目から鱗だった。

 アホなエルフィも、エドワルダのその言葉にハッとした表情をしていたので、『アホだな~』と思ってしまった俺だが、我に返ると自分もアホだったと気が付いた。


 アルミラージの肉を気に入ったエルフィが、伏魔殿の外でもアルミラージを食べたいと言い出したとき、加工前の肉と加工後の肉を魔道具袋もどきから取り出し、どうなるか実験したことがあった。そのときに、魔道具袋もどきから取り出した後に加工前の肉が消えたことから、『加工前の魔物の肉は、伏魔殿の外に出て、魔道具袋から出すと消えてしまう』と知った。

 それは、伏魔殿の外でも魔道具袋もどきの中に魔物であるアルミラージの肉が存在していたことを意味する。しかし、わざわざ魔道具袋もどきから取り出して消えるかどうかの実験を行い、出すと消えるという結果から、『伏魔殿の外では魔物の生肉が消える』と単純に思い込んでしまっていた。


 魔道具もどきに入れた加工前の魔物の肉は、魔道具袋もどきから出さなければ存在したままなんだよな。もし、伏魔殿の外に出た時点で生肉が消えるなら、魔道具袋もどきから魔物の肉を取り出す行為自体ができなかったはず。ちょっと考えればわかることなのに……。


 アホな俺とエルフィは、毎回魔物の肉を調理してから魔道具袋もどきにしまい、調理しきれなかった肉は、泣く泣く放棄していたのだ。


 だがしかーし、これからはそんな悲しみを背負わなくて良いのだ。むしろ、溜め込んだ肉を調理するためだけに伏魔殿に入るのもありだし、その方が効率が良い気がする。

 まぁ、これもエドワルダのお陰だな。


「あんたも水浴びしてきなさい」


 そんな間抜けな遣り取りを思い出していると、エドワルダと一緒に水浴びで身体を清めたエルフィが部屋にやってきた。


 今日も、いつもの如く『水浴びするわよ』とエルフィに言われていたのだが、異性で他所様の娘であるエドワルダと一緒なのは拙い、と一生懸命力説し、別々に水浴びをすることをエルフィに納得させたのだ。

 いつもなら、何だかんだエルフィに押し切られてなし崩し的に一緒に水浴びをしていたのだろうが、今回のことはかなり反省しているので、今日の俺は一歩も引かなかった。


 何の反省か? それは、伏魔殿で野営した際にエルフィの柔らかさを知り、頭の中がお花畑になってしまい、色ボケして集中力を欠いたことに対してである。

 女体とは、一種の危険な薬物のような存在だと思う。あの柔らかさはまた触れたくなる中毒性を帯びており、集中すべきことに集中ができなくなり、あの感触を思い出してはまた求めてしまう。

 そこにきて、自分からは触れたことはないが何度も当てられたエドワルダの二つの柔らかマシュマロを目の当たりにしてしまうと、理性が抑えきれなくなる可能性があった。それこそ反省など忘れてだ。

 俺は、『それだけは絶対に避けなければならない』と、断腸の思いで否を突き付けたのだ。


 今の俺は色ボケしているわけにはいかないんだ! 成人して何時かは結婚もしたいけど、それまでに俺はもっともっと成長して、戦闘力も去ることながら誘惑に負けない強靭な精神力を手に入れる! そうなって初めて、俺は大人の階段を登る権利を得る! 焦るな俺! 今はまだその時ではないが、何れその日は必ずやってくる!!


 俺は邪念を振り払い、一心不乱に身体を清めたのであった。


 ちなみに、女性の身体に触れるのが大人の階段の何段目かは知らない。だが、俺的にはかなり上段に思える。



「随分と時間がかかったのね」

「昨日は洗浄魔法も使えなかったからね。少しだけ念入りに身体を洗ってたんだ」

「そう」

「それより、何で当たり前のように俺の部屋にいるの?」


 もう、一緒に寝るのも勘弁して欲しいんだよな。……いや、別に姉ちゃんが嫌いなわけじゃないんだ。むしろ、以前より好きなくらいだ。なにせ、引き締まりつつも柔らかい桃もいいし、まな板にぽつんと置かれた二つの野イチゴも、それはそれで可愛らしくてありだと思えてきた。だがしかし、今の俺にはその果実は毒でしかないんだ。ごめんよ姉ちゃん。


「あんた、随分と後悔と言うか無念そうな顔をしているけれど、何か懺悔したいことでもあるの?」

「い、いや、別に……」

「あたしは仮神官だけれど、神殿本部行きが決まっているのよ。懺悔なら聞いてあげるわよ」

「大丈夫、これは俺の成長に必要なことだから」

「何のことだかサッパリだわ」

「うん、気にしないで。それに、懺悔するとしても姉ちゃんにだけは言わないから」

「何よそれ!? あたしが役立たず神官だとでも言うの?!」


 あぅ、そうじゃないんだ姉ちゃん。本人に『不埒なことを考えてごめんなさい』と言うのは、神に懺悔するより数段ハードルが高いミッションなんだ。俺はそんな茨の道を進めるほど強い心は持っていないんだよ。


「まぁ今はそんなことはいいわ。それより、あんたに相談があるのよ」

「……そんなことって」

「なによ?」

「何でもないよ。それより相談ってなに?」


相談内容は何となくわかっているし、話題が移るのは好都合だ。


「エドワルダに魔法を教えましょ」


 やはりな。


「どうして?」

「そんなの決まっているでしょ。オークをあたしの魔道具袋もどきに沢山確保するためよ」

「…………」

「そ、それに、洗浄魔法も今は使えないでしょ。それって不便だと思わない?」

「……そうだね」


 アホな姉ちゃんらしい、予想どおり過ぎる百点満点の回答だよ。


「ま、まぁ、冗談はこの辺にして」

「冗談だったの?」

「と、当然よ!」

「へー」


 面倒臭いからこれ以上突っ込むのは止めとこ。


「そもそも、エドワルダに魔法を教えたいと言い出したのはブリッツェン、あんたよ」

「そうだね……」

「あたしはエドワルダがどんな子かまだわからないから、暫く様子を見ると答えたわよね?」

「そうだね……」

「だから、あたしがエドワルダを観察した結果、魔法を教えても大丈夫だと思ったのよ」

「…………」


 エドワルダがメルケルムルデにきたばかりの頃、俺は少々浮かれていたのだろうか、深く考えずエルフィにそんなことを言っていた。


「なに黙ってるのよ」

「…………」

「まぁ、いいわ。あたしの話を聞きなさい」


 コホン、とわざとらしい咳払いをしたエルフィが姿勢を正した。


「エドワルダは本当にいい子なの」

「ああ、姉ちゃんはそう思い込みたいんだよね。でも、本当にいい子だよ」


 エルフィがギロリと睨んできた。


「ごめんなさい」

「それは……まぁいいとして、冗談とかではなくあたしは本気で言ってるの」


 ここで、エルフィの表情が怒っているのではなく真剣であるとわかったので、俺は口を噤むことにした。


 そんなエルフィの言い分を纏めると――


 エドワルダは伏魔殿での狩りなどで、あれこれ文句も言わずに指示どおりにしっかり動き、突発的な指示にも即応する。

 食事作りに関しても、自分だけが作らされていることに文句の一つも言わない。

 だからといって、何でも言われたことだけをするのではなく、危険があると思えば気付いた時点ですぐに報告をする。

 何かを教わると、その言葉をしっかり聞いてものにしようと練習を繰り返す。

 これだけでも真面目なことがわかるが、それでは主体性のない子に思えなくもない。

 しかし、オークを一度食べてみてくれと言ってきたとき、エドワルダは簡単に引かなかった。そして、結果的に自分達にオークを食べさせることに成功したように、他人に対して己の意見に信念を持って伝えることもできる。

 これもまた素晴らしい。だが、素晴らしいのはそれだけではなく、なんといっても余計なことを口にしない。


 エドワルダは元々が口数が少ないのだが、それでも会話はするし疑問があれば質問はしてくる。


 そして何より素晴らしいのは、『約束』と『分かった』と口にした時だ。

 俺とエドワルダの遣り取りや、エルフィがエドワルダと会話した際、エドワルダが『約束』と口にしたことは、必ず守ろうとしていた。

 そして、『分かった』については、エドワルダの使い方は特殊だ。

 通常、「できるかどうか分からないけど、アンタの言ってることは分かったよ」と軽く『分かった』と口にする人は多いのに、エドワルダは「言ってることは理解できるが自分には不可能」と思われる場合は『分かった』と言わない。

 その結果、エドワルダは『約束』を絶対に守ろうとし、『分かった』と口にしたのであれば、それはエドワルダが可能と認めた時だ。


 一通りエドワルダについて熱く語ったエルフィは、結論付けるようにこう言った。


「エドワルダに、『これから話す内容は、何時何処で誰に何を言われても内緒よ、分かった?』と聞いた時に、『分かった』と言われたなら、あの子は口を割らないわ。その上で魔法の話をし、『誰にも魔法のことは言わないと約束して』と聞いて『約束』と答えたなら、エドワルダはその約束を絶対に守ろうとするでしょうね」


 いやはや驚いた。エルフィはエドワルダと出会ってそんなに時間が経っていないのに、よくもここまでエドワルダを観察したものだ。

 エルフィに言われて気付いた。思い返してみれば、エドワルダは王都で初めて会ったときからエルフィの言うとおりの反応であった、と。

 俺に美味いものを食べさせる、強くなる、一緒に狩りをする、などなど、エドワルダが『約束』と口にしたことは守っている。『分かった』に関してもそうだ。


 エドワルダも凄いけど、それを短時間で見抜いた姉ちゃんも本当に凄いな。普段はアホでポンコツだけど、たまに『あれ? この人って凄く有能じゃね?』と思える発言をするから、幻惑魔法にでもかかったのかと思っちゃうんだよな。


「それで、あたしの見立てはどうかしら?」

「いや、大したものだと思うよ」

「そう、なら良かったわ。で、どうなの?」

「う~ん、俺としては、身内であるアンゲラ姉さんに教えるのも迷ったし、姉ちゃんには悪いけど、姉さんから姉ちゃんにも教えてくれって頼まれたときは、教えようかどうしようか随分迷ったんだよね」

「失礼しちゃうわね」

「ごめんよ。でも、身内でさえそうだったから、信用できると思っても他人であるエドワルダに教えるのは戸惑っちゃうんだよ」


 俺の本心としては、誰にでも魔法を教えて、誰もが魔法を使えるようになって欲しい。だが、魔法が使えない人が少なからずいるはず。それは、魔法が廃れた現状が物語っている。

 そうなると、使えなかった人が腹いせに言いふらす可能性だって考慮しなければいけない。

 もしくは、『便利だから』と親しい人に教えたらその人も誰かに『便利だから』と教えて……となり、制御できなくなる状況も考える必要がある。


 俺は師匠に言われたこの言葉を忘れていない。


『自分が魔法使いであると知られることは、自分の身に危険が迫り易くなることじゃ。今回は家族に教える。大丈夫そうだから次は知人に教える。そして次は……。そうやって教えることに危機感を感じなくなるかもしれん。そして秘密を持つ者が増えれば、その秘密が漏れる危険性が増える』


 これを言われたとき、俺は自分の立場でしか考えていなかった。

 しかし、魔法を知った人もまた、今の俺と同じ立場だ。家族なら、親友なら、と自分の親しい人だけに教えるなら大丈夫と思い、誰かに教える。

 これは凄く危険だ。


 良く知らないが、なんちゃら商法とか言う、ねずみ算式に会員が増えるところが形式として似ている気がする。

 なんちゃら商法は、仮に、自分が儲けるためではなく、良かれと思ってやっていたとしても陰口を叩かれるらしい。

 そんななんちゃら商法が、『誰々がなんちゃら商法とか言う怪しいのやってるぜ』みたいに陰口を叩かれるように、魔法も『メルケル騎士爵家は魔法とか言う”劣った者”が使う廃れた技術を使ってるぜ』と言われるのだろう。同じようなものだ。


「話を蒸し返すようで悪いのだけれど、最初にエドワルダに魔法を教えたいと言ったのはあんたよね?」

「あれは……、何か勢いで言っちゃったんだ。今思えば、姉ちゃんが冷静で助かったよ」

「あんたのためではなく、あたし自身がエドワルダを見極めたかっただけよ」

「それでも、冷静ではなかった俺を止めてくれたことには感謝してるよ」


 今思うと、本当に何であんなことを言ったのか自分でも不思議だし怖くもある。


「話を戻すけれど、あんたが悩んでるのって自分が……と言うより、メルケル家に迷惑をかけたくないのでしょ? それなら、お姉様とわたしがメルケル家の者として恥ずかしくないくらい大物になってあげるわよ。それこそ『メルケルの聖女』なんてちっぽけのものじゃなく、『シュタルクシルトの聖女姉妹』と言われるくらいにね」


 姉ちゃんがアホなことを言い出すのはよくあるけど、今の言葉は相当な覚悟があったはずだ。


 前代未聞の早さで『聖なる癒やし』を使えるようになったアンゲラ。そして、そのアンゲラを目標にして少し遅れたが九歳で『聖なる癒やし』を覚えたエルフィ。

 いつしか『メルケルの聖女』と呼ばれたアンゲラに追い付こうと頑張り、『銀の聖女』と呼ばれたエルフィ。

 弟の面倒を見るのは姉の務めといい、弟である俺のことをおもんばかって冒険者学校に通って冒険者となったエルフィ。

 神官の勤めがあるというのに、剣も魔法も毎日欠かさずしっかり鍛錬しているエルフィ。

 努力でなんでもどうにかしてきたそんなエルフィが、『シュタルクシルトの聖女姉妹』になると言い切ったのだ。

 エルフィが『シュタルクシルトの聖女姉妹』になるために、どんな努力をするのか俺にはわからない。わからないが、途轍もない苦難の道を歩むであろうことだけは容易に想像が付く。


 だから俺は決心した。


「姉ちゃん――」

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