第二十一話 覚悟

「あの娘はエルフィと言うたか?」

「そうですね」

「初めて魔力錬成の指導を受けてから、魔法が放出できるようになるまでの期間が随分と短かったの。なかなか良い感覚をしているようじゃ」


 エルフィを家に連れて一度帰宅し、その後俺は師匠との訓練場に来ていたのだが、初魔法の様子を見ていた師匠がエルフィを褒めてくれた。


「儂はブリッツェンの指導方法に口を出すつもりはないが、あの娘がどう成長するか楽しみじゃ」

「師匠が姉ちゃんの指導をしてくれてもいいんですよ?」

「あの娘の成長自体も楽しみじゃが、ブリッツェンがどう指導していくのかも楽しみでな、両者の成長を楽しませてもらうつもりじゃ」

「……そうですか」


 師匠が初心者にどんな指導をするか興味があったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。


「さて、そろそろブリッツェンの方の鍛錬を始めようかの」

「今日もよろしくお願いします」


 こうしていつも通り鍛錬を始める俺は、先生の立場から生徒へと立場をガラリと変えるのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ブリッツェン、何だか身体の中に温かい感じがするのだけれど、もしかしてこれが魔力なのかしら?」


 エルフィが初めての魔法を体験してから更に日は進み、三日後には俺が初等学園のあるキーファシュタットへ戻るという日の夜、実家での俺の居場所であり、書庫と呼ぶには雑多な荷物が置かれた納屋で本を読んでいると、アンゲラが笑顔の奥に驚きを篭もらせた瞳で詰め寄ってきた。


「そうだね、それが魔力だよ姉さん」

「やはりそうなのね。この温かい感覚、心地よくて私は好きだわ。教えてくれてありがとうねブリッツェン」


 喜びの余り興奮したのだろうか、アンゲラは俺を抱き寄せると、ご褒美と言わんばかりに二つのたわわに実った果実の間に俺の顔を挟み、両腕でガッチリと俺の頭を固定した。


 おっ、柔らかくて幸せぇ~……って、ヤバい! い、息ができない!


「ね、ねえ……さん、……く……くる、じぃ……」


 俺の異変に気付いたアンゲラがやっと俺の頭から腕を解いてくれたのだが、珍しく慌てた表情になり「だ、大丈夫ブリッツェン」と心配していた。


 呼吸困難になる程キツく抱き締められたのでなければ、もう少し柔らかな果実の感触を楽しみたかったのだが、流石に命を賭してまで堪能する訳にもいかないからな。残念だけど今回は早々にギブアップするしかなかったよ。


「姉さんでもこんなに興奮することがあるんだね」

「あら? 私にも喜怒哀楽の感情はあるのよ? 嬉しければ興奮もするわよ」


 すっかりいつもの落ち着きを取り戻したアンゲラは、ふわふわした柔らかい笑顔でそう答えた。


「でも、ブリッツェンがキーファシュタットへ戻る前に魔力の錬成ができて良かったわ」

「姉さん、実は焦ってた?」

「う~ん、ブリッツェンがいなくなってもエルフィに聞きながら練習すれば良いと思っていたのだけれど、心の何処かではブリッツェンのいる間に……と思っていたかもしれないわね」


 頬に指先を当て小首を傾げて逡巡したアンゲラは、自分の気持ちを探るようにそう答えると、満面の笑みを浮かべた。


 いちいち可愛いな、おい。


「じゃあ、明日は外で姉ちゃんと一緒に魔法の練習をしようか?」

「そうね、よろしくお願いするわ」

「任せてよ姉さん」


 大して厚くもない胸板を叩きながら、俺はドヤ顔気味に微笑んだ。



 翌日、自然と秘密訓練の場となったいつもの森に、初めてアンゲラを連れてきていた。


「魔力素がなくならないように気を付けるのよね?」

「いや、最初からそれを気にしていたら難しいから、今はとにかく魔力を放出することだけを考えて気楽にやってみて」

「分かったわ」


 初めて魔力を放出する練習をした日のエルフィは興奮して先走っていたが、そのエルフィの失敗をしっているアンゲラはとても慎重だった。しかし、初心者が下手に考慮していては上手く魔法を放出するなど厳しいので、アンゲラには肩の力を抜き、とにかく魔力を放出することだけを意識してもらう。


「い、いくわよ。――えい」


 緊張の面持ちで右手の人差し指を地面に突き刺した枝に向けたアンゲラが、気の抜けた可愛らしい掛け声を出すと、地面に刺した枝に付いた葉が僅かに揺れた。


「お姉様凄いですわ。初めてなのにいきなり葉を揺らしましたよ」

「……凄い……脱力感、ね」


 興奮するエルフィを他所に、アンゲラはいきなり疲れた表情を浮かべている。


「姉ちゃんの時とは違って、姉さんには最初から指先に集中してもらったからね。でも、いきなり一点に集中して魔力を放出したから、一気に魔力を失って疲労感が押し寄せてるかも」

「あの葉を揺らすだけでこんなに疲れては、魔法など使えないのではないのかしら?」


 一度の放出でその脱力感を感じてしまっては、魔法など使えないと思ってしまうのも仕方ないだろう。目に見えた現象は果てしなく小さいかったのだから尚更だ。


「だから魔力制御の練習をするんだよ。思い通りに魔力を扱えれば、消費する魔力の量も減らせられるからね。あの葉を揺らすなんて息を吹き掛ける程度でできるようになるさ」

「ブリッツェンがそう言うのであればそうなのでしょうね」

「わたくしも少しずつですけど、あの葉を揺らすのに必要な魔力量を調整できるようになりましたわよ、お姉様」


 素直に俺の言葉を受け入れるアンゲラと、アンゲラと張り合うでもなく純粋にアンゲラを励ますエルフィ。どちらも良い姉である。


 ちなみに現状のエルフィは、地面から生えている直径三十センチくらいの木に魔力弾を当てる練習をしており、その木に生えた枝の葉を揺らせられるようになっている。だが、少し距離が離れると、途端に威力がなくなってしまうのだ。


「一度魔力を放出して、少しでも感覚は掴めた?」

「細かいことはわからないのだけれども、魔力が指先からごっそり抜けていくような感覚はあったわね」

「それが感じられたなら大丈夫だね。じゃあ、もう一度魔力を放出してみようか」

「もう一度やったら、エルフィのように気絶しそうなのだけれど……」


 僅かに表情が強張るアンゲラだが、その気絶を体験するのが大事なのだから、ここはしっかり気絶していただきたい。


「大丈夫、ちゃんと回復薬は用意してあるから、そんな心配は不要だよ。さぁ、覚悟を決めて」

「う~、ブリッツェンがそういうのなら……」


 明らかに表情を曇らせたアンゲラだが、俺が回復薬を片手にニコニコ笑顔を向けると、渋々ながら了承した。


 それにしても、こんな不安気な姉さんの表情は滅多に拝めないからな。役得役得。


「い、いくわよ――えいっ!」


 アンゲラは、恐る恐るといった感じでギュッと目を閉じて魔力を放出した。


「あっ……」


 案の定、アンゲラはヘロヘロとしゃがみ込み、そのまま意識を失ってしまった。


「あんた、結構容赦ないのね。仕方のないことだとはわかっているのだけれけど……」

「魔力素切れは体験しておいた方が良いからね」

「……その笑顔、ちょっと怖いから止めてくれないかしら」


 俺の笑顔に眉を顰めてエルフィが言ってくるが、笑顔を怖いと言われるのは遺憾である。


「――んっ……」


 アンゲラに回復薬を飲ませて暫くすると、なんとも艶っぽい声を零しながらアンゲラが目覚めた。


「気が付いたようだね」

「わ、私……気を失っていたのかしら?」

「そうだね」

「この感覚はあまり味わいたくないわね」


 両頬に手を添えたアンゲラは、軽く背を震わせ魔力素切れの感想を呟いた。


「それが嫌なら自分で調整できるようになってね」

「……ブリッツェンの笑顔が怖いと思う日がくるなんて思ってもいなかったわ」


 エルフィに続き、アンゲラまで俺の笑顔が怖いと言い出した。解せん。


「とはいっても、これから毎晩寝る前には魔力素を使い切ってもらうから、その感覚には嫌でも慣れるよ」

「私も最近は少しだけ慣れてきましたわよ。お姉様も早々に慣れますわ」

「…………」


 俺とエルフィの励ましに、引き攣った笑顔のアンゲラは観念した様に頷いた。



 姉達との訓練を終えた俺は一度帰宅し、その後に師匠との修行場へ来ていた。


「明後日にはここを発つのであったな」

「そうですね……」


 俺は明後日には家を出てキーファシュタットの寮に戻らなければいけない。

 師匠にはまだまだ教わりたいことがある。だが、名残惜しくとも別れなければならないのだ。


「儂もキーファー、メルケルと少々長く居座ってしまったからの、旅立つには丁度良い」

「元々キーファーでお別れの筈だったので、これ以上師匠に留まっていただく訳にもいきませんからね」

「まぁ、アンゲラと言ったか? あの娘もなかなか面白そうじゃからの、もう少しだけ儂は様子を見てからここを発つ予定じゃ」

「二人のこと、よろしくお願いします」


 師匠があの二人と接触することはないだろうけど、それでも師匠が見守ってくれるのは心強いな。


「それで、明日はキーファーでできなかったブリッツェンの試験を行おうと思う」

「何処か良い場所がありましたか?」

「ふむ、今のブリッツェンでは少し物足りないかもしれんが、試験にはなるであろう相手がいる地があったぞ」

「……そうですか」


 これは素直に喜んで良いのだろうか? いや、師匠が簡単な試験などしないだろう。ということは、物足りないと言いつつも厄介な相手なのだろうな……。


 俺は軽く気持ちが沈んでいた。


「そう気負わんで大丈夫じゃ。あくまでブリッツェンの成長度合いを確認するための試験じゃからの」

「そ、そうですね」


 師匠の言葉を真に受ける気はないが、変に萎縮するのも良くないだろう。


「さて、今日は試験前の最後の鍛錬じゃ。始めるぞ」

「よろしくお願いします」


 こうして俺は、御復習いおさらいとばかりに師匠から細かい指導を受けた。



 翌日――


「さてブリッツェン、準備は良いか」

「……も、もう少々お待ちを」


 俺はアレと戦うのか?!


 今まで足を踏み入れたことのない場所に連れてこられ、その森で俺がこれから受ける試験、それは四つ足を着いた状態で体高が二メートルもありそうなクマを、俺一人で狩ることだった。


「師匠、アレを槍で倒さないといけないのですか?」

「ブリッツェンは剣より槍の方が扱いが上手いからの。アレくらいならば倒せる」

「倒せるとか以前に、アレに近付くのも恐ろしいのですが」

「その恐怖心を消し去るのも試験じゃ」


 多分、俺が何を言ってもアレとの戦闘は避けられないのだろうな。


「放出系の攻撃魔法は、槍で一撃入れるまでは使ってはいけないのですよね?」

「何度もそうじゃと言うたじゃろが」

「わかりました……」


 せめて遠距離から一撃入れ、後ろ脚の一本でも傷付けてから接近させて欲しかったけど、師匠はそれを認めてくれなかったのだ。


「グダグダ言うとらんで、そろそろ覚悟を決めんか」

「…………」

「ブリッツェン、魔法は集中力が大切だと理解しているはずじゃ。ならば、あのクマを前にしても平常心でいられる心の強さが必要となる。お前さんの実力であれば問題ないのは儂が保証する。後はお前さんの覚悟だけじゃ」


 俺は武器を手にして戦う必要のない、安全な国である日本で三十五年生活していたのだ。それに、俺はこの世界で覚醒してまだ一年程度で、しかも今の身体は八歳にしては小さな身体だ。そんな俺があのクマと戦うのは精神的にかなりキツい。

 シカも確かに怖かったが、それでも正面に立たないようにして策を練って戦ったからどうにかなった。それなのに、今回はシカより格段に強いクマと接近戦をしろ言われて、はいそうですかとすぐに臨戦態勢がとれる程、俺は脳筋な戦闘民族ではない。


「何も正面から挑めと言っているわけではないぞ。背後から一撃入れてもかまわんのじゃ。それが槍であるという条件しか儂は出しておらんじゃろ?」

「まぁ、そうなんですけど……」

「お前さん、……思いのほか度胸がないんじゃの」


 ぐぬぬ……。


 普段はあまり表情を変えない師匠だが、俺を煽っているのだろうか、少々呆れたような表情を向けてきた。

 俺がここで煽りに乗って「やってやりますよ!」と言えるような肝の座った男であれば、現状のグダグダ展開にはならない。だが俺は、平和ボケした日本人気質がまだ抜けきっていいない。更にいえば、俺は元来意気地なしの根性なしだ。


 でも、この世界で楽しく生きて行くと決め、そのために冒険者になることを選択したんだ。遅かれ早かれ強い獣、更には魔物とも戦わなければならない。だったら、師匠の目がある今回、格上であるクマと戦う経験をしておいた方がいいよな?!


「ブリッツェン、クマだっていつまでも呑気ではいてくれんぞ。そろそろ覚悟を決めんか」


 そうだ、後は俺の覚悟次第だ。

 思い出せ。気絶するのがわかっている状況で、俺は姉さんに『さぁ、覚悟を決めて』と迫り、魔力を放出させたじゃないか。人にそんなことを言っておいて、自分が覚悟を決められないとか……、恥ずかしいよな。


「――わかりました。やります」

「やるのであればもっとシャキっとせんか」


 ん? 俺の不安が表情に出てたかな? これからクマと戦うんだ。師匠の言うとおりシャキっとしないとな。


「が、頑張ります」


 恐怖心が消え去ったわけではない。だが、覚悟だけは決めた。ならば後はやるだけだ。


「やっとやる気になったようじゃの」


 覚悟を決めるのに時間を要した俺だが、いよいよクマとの戦いが始まる。

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