仁菜

キヅキノ希月

第1話

 神崎仁菜は24歳だった。

 その日も彼女は恐るべきスピードでキーボードを叩き続け、定時きっかりに一日の仕事を終えた。それは平日の彼女のごく当たり前の生活だった。彼女はデータ入力のアルバイトをしていた。

 高校は行ったものの、進学をせず、これまでずっとアルバイトで生活をしてきた。ユニットバス付きのアパートで独り暮らしをしていた。勿論ワンルームである。


 仁菜はパソコンをシャットダウンさせ、帰り支度を終えると「おつかれさまでしたー」と言い、会社の外に出た。秋の風が心地よく、仁菜は大きく息を吸って、吐いた。

 わたしは一番秋が好き。

 心の中で改めてそう思った。

「仁菜ちゃん、おつかれ!」

 表に煙草を吸いに来た上司の大塚が声をかけた。60代手前の初老男性である。

「おつかれさまでーす」

 仁菜は停めてあった原付から半キャップのヘルメットを出し、被りつつ首だけ傾けて、愛想笑いもせずそう言った。

「仁菜ちゃんは笑うと可愛いのになあー」

 そう大塚が高い声で言ったのを殆ど聞かずに、仁菜は原付でその場を後にした。肩まである髪が靡いていた。


 原付を飛ばし部屋に着くと、仁菜はある写真に向かって「ただいま」と呟いた。そこには仁菜のかつての恋人であった男性が映っていた。仁菜よりも若干若く見えた。

 仁菜は台所から水の入ったコップを持ってくると、その写真の横にそっと置いた。

 仁菜がかつて付き合っていたその男性は、仁菜と付き合っているときに、交通事故で死んだのだった。

 仁菜の前から突然彼は消えた。仁菜は気持ちの整理がつけられずに居た。それは今も続いている。仁菜の悲しいという気持ちは仁菜の体全体に行き渡っていて、仁菜の体のどこを切っても悲しみがあふれ出す、そんな風になっていた。仁菜の悲しみは当時と全く変わっておらず、全く癒えてはいなかった。

 仁菜は笑えない女性だった。

 面白いと思うこともないし、楽しいと思うことも無い。そんな毎日を仁菜は過ごしていて、そして全くと言っていいほど笑わない生活をしていた。

 仁菜は悲しみの淵で生きていた。いつも思い出すことは死んだ彼のこと。死んだ彼との楽しかったこと。そんなきらきらした思い出ばかりが蘇り、仁菜は悲しい気持ちをなくすことはできなかったのだった。

 生きる気力も感じていなかった。ただなんとなく、悲しみをまといながら生きているだけだったのだ。

 こんな人生早く終わらせたい。

 そう考えていた矢先のことだった。


 新幹線に男性がはねられて死亡するという事故が起きた。男性の遺体の損傷は激しく、身元すら判らない状態だったという。仁菜はそのニュースを知り、羨ましく思った。

 わたしも肉片になりたい。

 ただの肉片になりたい。

 身元さえ判らないほど粉々になりたい。

 そうすればわたしの中の悲しみなんて粉々になってもう二度と形作らなくなるだろう。

 わたし自身も、もう二度とわたしには戻れない。

 そんなの素敵過ぎる。

 わたしも粉々になりたい。

 「粉々」。それが仁菜のなりたいものになってしまった。


 粉々になりたいと思い始めてからも、仁菜は仕事を黙々と今までどおり続けた。相変わらず高速でキーを打ち、次々に正確にデータを入力してゆく。たいしたものだった。仁菜がこの仕事についてからもう5年は経っていた。ベテランである。

 そんな仁菜は会社の大塚をはじめとする年上の連中から可愛がられていた。仁菜の顔の造形は可愛らしい。でも笑わない。笑わなくても可愛らしい仁菜のことが年上連中にはよく見えたのだろう。

「仁菜ちゃん、呑み行こうよー」

「仁菜ちゃん、カラオケ行かない?」

「たまにはおじさんたちと遊んでよ仁菜ちゃん」

 仁菜の帰り際はそんな台詞に仁菜は挟まれた。そして無愛想にそれらをすべて断ると、さっと原付に移動して髪をなびかせか帰ってしまうのだった。

 仁菜はそのころ考えていた。

 粉々になれないのであれば、せめてバラバラになりたい。殺されてバラバラになって、そして別々のところに棄ててもらいたい。

 人を殺してバラバラにしてみたい人なんて、一定数居るだろう。そういう人と取引を組めないかと考えるようになっていた。

 でも重要なのは棄て方だ。折角バラバラにしたのに同じところに全部まとめて棄てられたら最悪だ。必ず、棄てる場所はバラバラで、それぞれ遠い場所がいい。それにはリスクが伴う。持ち運んで棄てるのである。棄てる瞬間も見られてはならないし、荷物検査にも気をつけなければならないのだ。仁菜の望みは一筋縄ではいかなかった。

 仁菜は考えあぐねていた。どうするのがベストか。協力者が必要だと思った。


 ・殺してくれる人

 ・バラバラにしてくれる人

 ・バラバラになった遺体を運んでくれる人

 ・それを各地で棄ててくれる人


 こんなに条件が必要だった。これではひとつのチームを作らなければならない。現実味が無かった。

 人をバラバラにしてみたい人というだけでは、このプロジェクトは成功しないという、厳しい現実だった。


 しかし仁菜は諦めなかった。日に日にバラバラに棄てられたい欲求は高まって、仕事中もそのことで頭が一杯になってしまっていた。もう充分悲しんだ。わたしの中に生まれたこの欲求を叶えたい。仁菜は心からそう思っていた。

 ・・・協力者が必要。このことは重要だった。それこそ先の事故みたいに新幹線に飛び込めばいいのだろうが、それだと何人の人に迷惑が掛かるか判らない。ここはギブ&テイクの考えて生きたいとそう考えた。

 仁菜はついにある日、巨大掲示板でのある板で、スレッドを立てることにした。

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