第8話 副隊長は噂の人物を知る
オーレルが侵入者対策に夜明け近くまで時間を費やすことになった、翌日。
――何事も起きていないな。
あれから街のどこかで破壊活動が行われたという報告はない。そしておかしな訛りのモコモコした娘が門を出たという報告もないので、まだこの街にいるのだろうが、夜の間に一通り探させたが見つかっていない。杞憂かもしれないが、心配事はできるだけ早めに解決しておきたい。
そんな心境でオーレルが昼の巡回をしている最中、大通りにある宿屋のあたりから口論が聞こえてきた。
「教えてくれてもいいじゃないか!」
「だから、そんな客はいないんだよ!」
女が宿屋の男と言い合っているらしく、周りには数人の野次馬がいた。
サリアが砦の街ある性質上、気の荒い人間が多い。自然揉め事が多くなるので、巡回していると口論は良く見られる光景ではある。
だが女の方はこの街で少々顔が売れていた。彼女はミレーヌという名で、裏街の娼館通りで最も大きな娼館の看板娼婦だ。
彼女らは大抵昼に起き出して夕刻から活動を始める、昼夜逆転の生活をしており、真昼間にこんな場所で口論しているのは稀なことである。
「一体どうした、なにを揉めている?」
オーレルは仲裁しようと、二人に近寄り割って入る。
「あ、副隊長の旦那、聞いてくだせぇ!」
「ちょっと聞いとくれよ、旦那!」
こちらに気付いた宿屋の男と女が同時に話しかけてきた。
「二人で喋られても、こっちはわからん」
オーレルが眉をひそめて返すと、まず宿屋の男から話し出した。
「俺はずっと知らねぇって言っているのに、難癖付けて来られるんだよ!」
男の言葉に、ミレーヌがムッとして反論する。
「アタシは親切に薬を売ってくれた娘を探してるのに、意地悪をして教えてくれないのはそっちじゃないか!」
そう言って相手を睨みつけるミレーヌに、男もムキになって言い返す。
「だから、そんな娘は知らないんだ!」
「旅人みたいだったから宿に泊まっているはずだよ! 裏街で見ていないのは確認済みで、ちゃんとした宿はここだけなんだから!」
国境を守る砦であるサリアの街だが、すぐ側にある魔の山から下りて来る魔獣が恐れられ、隣国へ向かう旅人はたいてい違う道を通る。
なので訪れる観光客は珍しく、宿泊施設は騎士団の宿舎かこの宿、あとは裏街の娼館くらいだ。
ミレーヌが裏街を探していなかったなら、この宿だろうと思うのも無理はない。
「そんなの宿無しよろしく、そこいらの道で転がっていたんだろうよ!」
喧嘩腰のミレーヌに、男がそう言い捨てる。
宿無しとは家を持たず路上で過ごす者を揶揄する言葉だ。
男の嫌な言い方で、ミレーヌは更に感情的になった。
「アタシの恩人になんて言い草だい!? 態度も行いもちゃんとした娘で、そんな風には見えなかったよ!」
「はっ、どうだかね!」
「待て待て、二人とも一旦黙れ!」
口論がヒートアップして収集がつかなくなりそうで、オーレルは慌てて二人を止めると、ミレーヌに向き直る。
「つまり、ミレーヌはその娘を探しているだけで、この宿に用事があるわけではないんだな?」
「まあ、そういうことだね」
オーレルの指摘に、ミレーヌは喧嘩腰を抑えて頷いた。
「どうして娘を探している?」
続く質問に、ミレーヌは語り出した。
「アタシは昨日から胸の具合を悪くして臥せっていてね、今朝方薬屋が開く頃に行ってみたけど、薬がないと言われたんだ」
薬がない事実については、砦でも問題になっている。
原因はわからないが薬の材料である薬草が不足しているとかで、薬が作れないでいるらしいのだ。ミレーヌはその影響を受けた形になる。
「ほとほと困っていた帰り道に、あの娘に会ったんだよ。苦しんでいたアタシに、自分の荷物から薬を出して飲ませてくれてねぇ」
ミレーヌの話に、オーレルは眉をひそめる。
「……薬を売りつけたんじゃなく?」
「いいや? 最初は金の話なんてしないまま飲まされたよ」
オーレルの確認に、ミレーヌは首を横に振る。
話を信じるなら、娘は持っていた薬をミレーヌに飲ませたということだ。
薬が不足しているこの街であれば、薬屋に持ち込めば高額で買い取ってもらえただろうに。
これが本当だとすると、娘はとんでもないお人好しか、はたまた裏があって人気の娼婦であるミレーヌに近寄ったのか、オーレルは後者である可能性を考える。
「それで娘を探しているとなると、なにか問題でも起きたのか?」
探りを入れるオーレルに、ミレーヌは笑って「そうじゃない」と手をヒラヒラと振った。
「それが凄くよく効く薬で、持たされた薬瓶から一口飲んだだけで良くなったんだよ。その薬がどうしても欲しくて、瓶に残った薬を頼んで買い取ったんだけれど、アタシとしたことがどこで手に入れたのかをうっかり聞き損ねていてねぇ。ぜひとも取り寄せたくて、入手先を教えて貰うために探しているのさ」
現在のミレーヌに昨日から臥せっていた様子は見られない。そんなに良い薬なら、オーレルとて興味がある。もしかして特殊な販売ルートを持っている、流れの薬売りかもしれない。
「どんな娘だった?」
オーレルの質問にミレーヌが答えた内容は、驚くものだった。
「やたらモコモコした格好の、黒髪の娘だよ」
この特徴は昨夜も聞いた。昨日道具屋に出没した娘について、そう言われていた。
「……そのモコモコした娘というのは、もしかして妙な訛りで喋っていたか?」
「こっちは胸が苦しくて構ってられなかったけれど、そういえばおかしな喋り方だったかもしれないねぇ」
質問を重ねるオーレルに、ミレーヌは思い出すように話す。
「副隊長さん、もしかして知っている娘かい?」
「いや、そうじゃないが……」
ミレーヌに尋ねられ、オーレルは答えを濁す。その娘が何者かも、どこにいるのかも掴んでいない今、迂闊なことを言えない。
「実はこちらも訳あって、その娘を探している所だ」
「えぇ? 悪いことをするような娘に見えなかったけれどねぇ」
騎士が捜索しているとなり、ミレーヌが不安そうな顔をする。後ろで黙って話を聞いていた宿屋の男が、「ほれみろ、宿無しに決まってる」と呟く。
そんな二人に、オーレルは表情を和らげる。
「いや、詳しくは言えんが、手配犯というわけではない。本当にちょっと探しているだけだ」
サリアの街への無断侵入の罪は問えるだろうが、これは裏門を開けっぱなしで無人にしていたこちらにも非がある。
「こちらが娘を見つけたら知らせる。だからミレーヌも今日のところは店に戻れ、まだ病み上がりなんだろう?」
「そうかい? 頼んだからね、副隊長さん!」
オーレルの気遣いに、ミレーヌは華やかな笑顔を見せる。
――さて、その娘というのは何者だろうか。
彼女を早急に探し出さねばならなくなった。問題が大きくなっている気がして、頭を抱えるオーレルだった。
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