愛おしき彼女の愛という守護(4)

「スラム街って聞いてどこが思い浮かぶ? ここ以外で。ムンバイ? キベラ? ヨハネスブルグ? ああそれともやっぱり九龍城? まさしくここはそっくりだもんな。

 この街は「カノン」ってんだ。そう、パッヘルベルのカノンのそれ。キャノン砲をカノンって言ったりもするよな。綴りは違うがそれでもいいさ。

 この街にカノンと名付けた連中は、その音に漢字を当てた。「日」曜日の「音」。日音。これでカノンと読ませた。両方をそれぞれ縦長く書くと、「暗」っつー漢字になる。連中はそれを大真面目に面白がって考案したんだ。言葉遊び好きな連中でね。

 最初に聞いた通り、ここも立派なスラム街だ。だからこそ四方を高層ビルで囲まれて隔絶されてるんだ。一辺が実に五キロメートル。端から端まで五キロメートル。角から角までなら、五√二キロメートルっていったとこか。

 最近じゃスカイツリーよりも人気の観光スポットらしいぜ。みんな貧困層の暮らしだとか、外国人の暮らしが珍しいんだろうさ。ここは日本であって日本じゃない。だから簡単に、足を踏み入れるだけで、海外に来た気分を味わえるってなもんでね。

 だが、暮らしていくとなると話は変わる。どういうことかわかるか?

 アンタがこの街に来て何回殺されたかわからないが、それくらい殺人は日常茶飯事なんだどこでも起きるいつだって起きる。寝てても鍵をかけても、起きるときは起きる。明日の保証なんてものは無い……大抵の奴らはな。

 この街は自由の国よりも自由な街だ。何をしてもいい。人を殺すのも自由。自由には大いなる責任がつきまとうと外の人間は言うんだろうけど、この街で責任を負いたければ自殺するだけでいい。その代わりと言ってはなんだが、殺せば憎しみポイントが貯まる。ポイントが満杯になった時、お前は晴れて立派な殺し屋となるわけだが、同時に同業者がゴマンと現れる。闘技場の観客だったお前は周りの観客を殺しまくったことにより、自らが闘技場のド真ん中に立つ羽目になる。

 まあいいや。ポイントの話は忘れてくれ。

​ 俺たちとアンタとの決定的な違いは「立場」だ。この街にとって必要かどうか。そういう立場にいるかどうかで話が変わる未来が変わる運命が、変わる。だから仕事を持て。必要とされろ。信頼関係を作れ。それだけで生き延びる可能性は跳ね上がる。

 必要とされるだけで、守ってくれる人間ができる。これは重要だぞ。ここで一人で生きたきゃ、相当な実力が必要だ。何度殺されても、そのたびに何度でも生き返るような、そういうのじゃダメだ。それを利用して事を起こさなきゃ話にならん。執念深い奴はアンタが何度生き返ろうと関係ない。そのたびに殺すってだけだ。

 だから身を護るために当然ながら武器が必要になるよな。

 普通のものでもいい、とにかく自分の身を自分で守れるように武器を持つことになる。最初からここに持ち込んできてる奴らは別として、これもまた当然だがそれなりの値段も張る。金のない奴らはそこで詰む。この街に来て野垂れ死ぬ。働くのは簡単だから金自体は手に入る。ただ、金が手に入る前に大抵は死ぬ。金が手に入っても強盗に襲われて死ぬ。用心棒を雇っても化けの皮を剥がせばそいつ自身が強盗だったってこともよくある。本末転倒だよな。

 それくらい理不尽な世界さ、この街は。

 毎日毎日色んな人間がやってきて死んでいくんだ。百人来たらその日のうちに八割は死ぬ。残り一割がその週のうちに死ぬ。あとはわからん。ここに警察が介入してこないのは、そういう協定をこの街の主が結んでいるからだ。ほんと、何でもあり。

 そういう街で、アンタは「死なない」っつーある程度のハンデを持って住める。その上武器まで持ってる。だから少なくとも、死んでいく九割のうちに入ることはない。ひとまず安心しろ。

 街については以上だ。何か質問は?」


 ディグロは何も言わなかった。重苦しい表情で宙を見つめてる。本来、彼がここに来た目的は崇道雅緋を殺すことだけだ。ここに住むだなんて想定すらしていなかっただろう。殺したらすぐにこんな街、くらいの気持ちだったはずだ。それができなくなったんだ。困惑するに決まってる。

 武器を買いに行く道中でした話を詳しく話しただけでこの有様だ。

 零以は黙々とパスタを食べている。かわいい。

「……この……今日のこの「殺してくれ」って依頼も、もし君たちじゃなかったら、」

「逆にアンタが殺されてたかもしれないな。死なないとわかったら死ぬまで殺す。そういう事になってたかもしれん。アンタ、運が良いよ。武器まで手に入っちゃってさ」

「……この街のことはいい。今はこれ以上……いい。石板について話してよ」

 頭を抱えているディグロに対して、俺はこれから無慈悲にも更に複雑な話を吹っ掛けようとしているわけだが、果たしてついていけるんだろうか?


「その大昔、人間は神に近付こうと馬鹿高い塔を建てようとした。そう、バベルの塔だ。わかるな?

 だがそれが神の怒りを買い、塔は破壊され、統一されていた言語はバラバラになり、人々は意思の疎通ができなくなった。だからこうして、日本語があって英語があってスワヒリ語があったりする。

 ……まあそれは創世記の話だからいいとしてもさ。

 石板はいわば「アンチ・バベル」なんだ。

 創世記におけるバベルはあくまでも街の名前。この街こそがアンチ・バベルなんだよ。神は言語を乱した。だが、石板はその乱れを統一させる。

 この街に住むとなったらまず街の中心にある宗教施設に行かなきゃならん。日音を作り上げた宗教団体があって、そいつらが石板を守ってる。この街は元々、その石板を守るために作られたようなもんさ。ここはスラムになるべくしてなったわけじゃない。スラムに仕立て上げられたんだ。貧乏人極悪人移民難民ホームレスなんでもかんでも歓迎した。その結果がこれ。

 アンタが英語を喋っているのに、俺達がそれを理解できて、なおかつ俺たちの言葉をアンタが理解できてるのは、俺達が石板に触れたからだ。触れていないアンタに言葉が通じてるのは、俺たちが英語で喋ってるからだ。今までの会話にアンタは何一つ違和を感じてない。おかしいと一ミリたりとも思ったか? 思ってないだろ? 簡単さ。アンタに対して英語を喋ってたからだよ。アルファも、仇元のおやっさんも、平群も、みんな。

 石板に触れない限りは、俺たちが日本語で喋っても、アンタは理解できないだろう。いや日本に来て働いてる以上、ある程度は通じるかもしれんが。

 ただ不思議なことに……俺達は日本語を喋っている感覚なのさ。母国語を喋っている感覚はそのままに、アンタには英語で喋りかけることができるんだ。そこが少し複雑なところだな。俺たちが日本語を喋って、アンタが英語で喋っているのにどうして会話が成立してるかを教えてやると俺は言ったよな。これが答えだ。実に曖昧だろう? 俺たちも理解できなくて困ってたから、もう考えるのをやめたんだ。

 要するに石板は、言語という、この街におけるベルリンの壁を崩したんだ。だから住むなら触っとけってことさ。

 以上だ。質問は?」


 ディグロは頭を抱えている。理解できてないようだ。

 多言語多文化多民族入り交じるこの街で暮らせているのは、ひとえにあの石板のおかげだ。だから石板を信仰対象とした宗教もある。彼らの長が六人いて、結局彼らが日音を創設し管理しているわけで、ヤツらであり。

 そのひとりがアルファである。

「その、君たちは……単純に英語を話せるってだけだったから、俺に対しては英語で話してきてたってこと?」

「そうだよ~」パスタをもう少しで食べ終わる零以が答える。「元々私達は英語喋れないんだけどね、あのおっきな石に触っただけであら不思議。喋れるようになったってわけ」

「でも感覚としては、日本語を喋ってるんだね?」

「うん、そのつもりであなたには喋ってるんだよ」

「……よくわかってないけど、とにかくここに住むには、その石板に触れる必要があるわけだね」

「別に触れなくてもいいさ。ただ、触っといたほうが楽なんだよ、何かとな。アンタは多分、この街に来てから俺たち日本人としか話をしてないんだろうが、この先いろんな人種の人間と話をすることになるからな」

「ごちそうさま~」

 零以が食べ終えた。店内は俺たち意外に誰もいない。

「続きは店を出てからだ……ごちそうさま」

「次はどの通貨で払ってもらおうか考えとくよ……それと、ディグロとか言ったっけ? お前に一つ忠告だ」平群が厨房から顔を出す。「エレベーターに乗ったら、常に上の階のボタンを押せ」

「どういう意味?」

「一種の比喩さ。下の階に行くと「彼」が待ってる」

「彼ってのは?」

「死神だ」皿の音と水の音が止み、平群は完全に厨房から出てくる。「プリンスって歌手知ってるか? Let’s Go Crazyの歌詞の通り彼はエレベーターで最期を迎えた。間違っても下の階には行くな。死神がいる」

「そういう心持ちで挑めってことだろ?」

「そうだ」

「つまり向上心のないやつは馬鹿だ、と」

「脈絡が滅茶苦茶だな。バカの一つ覚えみたいに下手な引用なんかするもんじゃねぇ」平群はディグロの前に立つ。互いの身長はさほど変わらないらしい。「Kは上の階のボタンを押さなかったから死んだのか? 上の階に行くかどうかと向上心に何の関係もありゃしない。お前の名前のイニシャルにKがあるなら、話も変わってくるかもしれんが」

「俺はウェルズ。ディグロ・ウェルズだ」

「そうかよ」だから何だ、と言いたげな口元だ。「なら安心しろ。お粗末様」

 こうして俺たちは店を出た。

 そしてそのまま隣のコンビニエンスストアに入る。


「ねぇ、さっきのお金の支払はどういうこと?」平群との応酬がなんでもなかったかのように、ディグロは疑問を口にする。

「基本的にどこの国の金も使えるってだけだ。外の世界から、価値もある程度変わってる。アンタがドルを換金してないまま持ってるなら、そのまま使えるよ」

 俺は二番目に財布を占めていたドルでココアシガレットを買う。「物価も安いから、住む場所にも困らない。だからスラム街だがホームレスはいない。住む家がしっかりとある。なんせ、毎日人が死んではそのたびに空き家が出てくるんだから。外で寝ようものなら……みんな殺される。たとえ武器を持っててもだ。だから住む家を決めずとも、宿に泊まっておくくらいは必要なんだよ」お釣りがセント硬貨でやってきた。

 箱の中のココアシガレット六本を零以とディグロとで分けつつ、コンビニを後にする。

「煙草は吸わないんだね」というディグロの問いかけに「煙草は吸えないよ。単にあれが好きなだけ」と零以が答える。食後のココアシガレットは最高だ。

「結局、それだけ念押しに宿とか家を探せってことは、やっぱり危ないってこと?」

「何度も言ってるだろ。住めばわかるさ。マフィアの巣窟ってチラッと話したろ。観光客は襲わないって協定こそ結んでるけど、場所は限定されてるし、アンタはもう観光客でもなんでもない」

「住むのに書類みたいなのは要るの? ビザとかは?」

 俺はため息をつく。言ったろ。もう。

「そういうのが切れた奴らとか、そもそも持ってない奴らが来る街なんだよ、ここは。日本であって日本でないってのはそういう意味も含んでるんだ」

 崇道雅緋を殺すこともだが、殺した後の暮らしについて考える必要もありそうだ。

「で、これからは? どうするの?」

「崇道を探しつつ、崇道に関する情報を集める」

 一発で探し当てたいところだが無理だ。少しでもヒントが欲しい。

 どうして数あるビルの中でディグロのいるビルを選んだかを考える必要がある。

 それとは別に、リネーマーが一家殺人事件と清掃員殺害事件をいかにして結びつけたかを知る必要がある。

「まず、リネーマーに会う」癪に障る選択肢だ。

「それはいいけど、アルファさんの考えに取り憑かれちゃってない?」

「かもな。相当毒されてる」俺自身も思考を回転させる必要がある。アルファの言うとおりに動くのが盤石なのは確かだが。これじゃただの駒だ。

 そう軽々しく会うもんか。

「零以、ハンマー持ってるか?」

「おっ、戦うの?」

「もしもの時はよろしくな」

「おまかせ!」

 零以が敬礼のポーズを取ったところで電話音が鳴った。

 仇元のおやっさんからだ。「よう、例の殺人鬼が持ってるダガーだけどよ、あれから気になっちまって調べたんだ」

 ありがたい。通話をスピーカーにする。

「それでそれで、どうだったの?」

「アメリカのメイカーと言ったらリアムしかいねぇ。だからそいつに問い合わせたんだ。確かに日本人の客と、ダガーの売買取引をしたってさ。ダガーの名前も聞いた。「アズライール」だとよ。特に思い入れのある名付けじゃないらしいから気に留めなくてもいい情報かもしれんが……ただおかしいんだ。取引したっつうソイツの名前が崇道雅緋じゃねえんだよ」

「ああ、それなら不思議はない。名付けたのはリネーマーだ」

「なぁんだ、じゃあ巷のニュースを飛び交ってるあの名前はこの街から飛び出してきたってのか」スピーカーが笑い声で埋め尽くされた。「そりゃあ面白ぇや」ひとしきり笑った後、口調が戻る。「なら考慮の余地は無ぇな。リアムは自分と取引した相手の顔と名前をキチンと記録する上に、記憶能力もバッチリよ、だからダガーの取引相手を訊いたんだ。崇道雅緋じゃねえなら誰なんだってさ」

「もう~、そういうのいいからもったいぶらずに教えてよ」

「ケント・ヒサカワ。客は律儀にも本名で取引したんだと。ニュース見たら、久川って名字の家族が殺されてるっぽいけど、なんか関係ありそうだな」

 本当に考慮するまでもないな。

「恩に着る。ミキサー作り期待してるよ」

「こちらこそ。またミキサー作っとくからな」通話終了。

「ミキサーって?」というディグロの疑問をよそに、もう一度一家殺人事件の記事を見る。被害者の久川……あった。

 久川建人。二六歳。

 コイツがそもそものダガー「アズライール」の所有者だ。

 崇道雅緋はどこからか現れて、久川建人含めた家族全員に、十二の刺し傷を付けて殺害し、ダガーを奪った……と。

 問題は「彼はどこから現れたのか?」だろうか。急に? どうやって? 近隣住民の話じゃ不審な物音もなかったと。悲鳴すらもなかったと。

 仮に崇道が来客だったとして? いや、それでは殺害現場のダイニングテーブルの料理の説明がつかない。六人家族で皿は六枚。晩餐中の来客? 通り魔的犯行でダガーを奪った? 久川建人がダガーを武器に抵抗したにしても、物音くらいはするはずだ。分身するダガーの所有者だったわけだし、彼自身も影響を受けてるわけだから、分身して抵抗したのかもしれない。しかしその能力ですらかなわず彼は崇道に殺され、挙句アズライールを奪われ、実質的ではあるが分身能力まで奪われた。崇道が不意打ちを食らわせたと仮定するにしても、何かしら他の能力を持ってなきゃ、音もなく全員を殺せる筈がない。そもそも悲鳴すら聞こえなかったってところからしておかしいんだ。六人も殺害する間に誰か一人は叫ぶはずだ。無音で犯行に及ぶならば、俺のような時間停止能力でも持ってなければ無理じゃないか? そうだとして、崇道が元々持ってた能力は何なんだ?

 ただでさえ厄介な問題が、更に厄介になった。

 どうしてくれる?


 + + +

 

「で、ノコノコとやってきたってわけか」

「誠に遺憾ながらそういうわけだ」

 向けられた多数の銃口に対して、俺も零以もディグロも手を上げてそう答えるしかなかった。

 今、俺達はリネーマーの居城にいる。歩けば三十分。運び屋を使えば十分で着く。ビルで作られた巨大な壁に比較的近くて、陽が当たらない。だからジメジメしている。四階建ての古いビルで、あちこちにヒビが入っているし、壁を這う錆びついたパイプにも穴が空いている。彼らがそれでもここに住まうのには何か理由があるんだろうが、知ってどうということはない。知れば知るだけ危険な街。それが日音だ。

「どうしようもないからって俺らのところに頼ってくるってのはおかしな話だな?」

「だからツケの分も含めて払うことにしたんだ。対価を支払うってのは大事なことだもんな」

「珍しい。雨でも降るんじゃねえの」ニット帽のリネーマーは嗤う。

 空は汚い灰色をしている。いつ雨が降り出してもおかしくない。「それは晴れてる時に言う台詞だろ」

 ニット帽も空を見上げて納得したように言う。「まぁ珍しくもないってことだよな」これまで全く対価を支払わなかったことがなかったわけではないからこそ言える台詞でもある。ニット帽が銃口を下ろすと、他の銃口も地面を向いた。俺たちも手を下ろす。零以は俺の腕にしがみついて警戒する。

「なあ、雨雲ってのはさ」ふと彼は空を見上げ、呟くように言う。「その名の通り、雨粒を運んでやってくるわけよ。水分を雲が取り込んでドス黒くなって、雨雲らしさを増していって、そしてようやく雨を降らす。ここぞという時に、あるいは思わぬ時に。そうだろ?」

「何の話だ」

「喩え話さ。比「喩」の方な。情報も同じようなもんだよって言いたかったんだ。街の外で小さな情報が色んな要素を集めてうちに来たりすんのよ。それはもう通り雨だとかゲリラ豪雨、或いは青天の霹靂って感じでさ。どうしてだと思う?」

 簡単だ。「そんなゲリラ豪雨みたいな馬鹿デカい情報に見合うだけの対価をアンタらが支払うからだ」

「その通り。そしてそういう馬鹿高い対価を支払うために必要なものは何だ? 俺たちは何をしなきゃならん?」

「情報を売るんだろ」

「わかってんじゃん、俺達はお前らに情報を売った」

「対価なら支払うっつったろ」

「わかってねぇな、これは仁義の話なんだよ」

 七面倒臭い。七どころか千も万も面倒だ。億も兆も。「超面倒臭ぇ、そんな話。死人から携帯盗んで言葉遊びに耽る連中なんだぜお前らは。羅生門の中で死人から髪の毛引っこ抜いて鬘作るババアと同じだ」

「ここで羅生を引き合いに出すのかよ」

「羅城でもいいけど」

「あの双子を呼び出すって?」

「そんなの御免被る」羅生と羅城は双子の兄弟であるがそんな話は今するようなことじゃない。どうせまた会う羽目になる二人組のことなんか今はいい。「そういう話をしてるんじゃねえ。お前らリネーマーが情報を街の外にまで流布させたり、街の外から仕入れたりしてるってのは聞いてたが、一体全体どういう根拠があって一家殺人事件と崇道雅緋を結びつけた? ってことが訊きたくて来ただけだ。対価は払う」

「枕詞みたいに「対価」ってつけられちゃ信用も下がるってもんだ」

「だってそうでもしねぇと信用しないだろ」

「何を今更。まぁ俺たちだって、アイツに名前をつける時に、特に何か意味を持たせたわけじゃない。バックグラウンドなんてないんだよ。病気で寝込んでた陸游が酒の勢いで詩を書いたみたいなもんさ。それこそまさに青天に雷鳴を轟かすが如き勢いで生まれた名前。汚い水分を取り込み続けてやってきた雨雲にちょうど名付けた名前。それが、」

「崇道雅緋だって?」くだらん。そもそも情報源がリネーマーだってところから疑うべきだったんだろうか。

「情報収集だとか流布とかは、あくまでも副業だってわかってんだろ?」やれやれ、と彼は嘲るように嗤う。

「つまり本業のヤツからその情報を聞いたんだな?」

「情報を仕入れたときはただ単に「血塗れ男」って呼び名だったんだ。だけどそんなので通してたらキリがねぇだろ? この街に血塗れ男は溢れかえってる」

 意味はなくとも、とにかく咄嗟に思いついたのがその名前だったというわけか。ならば、「その情報屋はどこにいるんだ」

「この街にゃいない。外で活動してる。しかも大学生だぜ? 表じゃ学問に励みながら裏では危ない情報取り扱ってるんだ、エゲツねぇ存在だよ」大学生の情報屋か……。

「大学ってそんな危ないところだっけ?」リネーマーから隠れるようにして俺の腕にしがみついている零以が、オーバーな演技で怯えた声を出す。

「そりゃ表向きは普通の大学生だとも。だけど裏の顔がスゲェのよ、色んな情報が集まってくるし、ソイツのバックには「鬼」がいるって噂もある。「鬼」だぜ? 角が生えてるかどうかは知らねぇけど、世界の終わりを食い止めたんだって情報屋は言ってたぜ。世界で最強なんだってさ」

「そんなの、時間止めちゃえば全部オッケーオールオッケーじゃん。ね?」零以が張り合うように俺に確認してくる。

「そんなん無理さ。仮にお前の恋人が時間止めて、「鬼」の眉間に銃弾撃ち込んでから時間を動かしても、すぐに顔上げて歯で銃弾受け止めちまうさ」

「ひぇえ~こっわ、ここには来ないでほしいな」零以の身震いが伝わってくるが、俺はそれが演技だとわかる。

「とにかく、」懐に忍ばせている封筒をリネーマーに向けてチラつかせてみる。「久川家殺害事件の犯人は、目撃証言のある血塗れ男であり、そいつはビルで清掃員を殺した。つまり一家殺害犯も清掃員殺害犯も同じ血塗れ男ってことなんだな? そういう情報をもらったんだな?」

「そういうこと。十二の刺し傷があること以外にも繋がりがあってな。清掃員の殺害現場であるビルに、久川家の人間が勤めていた会社があったんだとさ。だからって清掃員を殺すのかよって感じだが……そこに関しちゃ、その情報屋も悩んでたな」

 これは、崇道雅緋がディグロ目当てにビルを襲ったわけではない、ということになるのだろうか。崇道がこの街に来てディグロを殺したのは、清掃員を殺し損ねた上に身元を明かされる危険性を察知しての行動だった? 見た人間を殺す。だが血塗れ男としての目撃証言はある。その血塗れ男が崇道雅緋。

 行動原理と実際の行動が矛盾する。どうなってる?

「じゃあこっちからも情報を出す。これを見ろ」チラつかせたものとは別の封筒を取り出して写真を見せる。崇道雅緋と思しき人物が写った写真だ。「コイツは本当に崇道雅緋で、血塗れ男なのか?」

「この前見せてきた写真じゃねえか。何が情報だって?」

「答えろ」

 帽子を被ったその人物は、血に汚れていない。

 リネーマーは顎を擦る。「ああ知ってるさ。これについても情報屋は悩んでた。アイツはアイツで、監視カメラの映像を直に見て確認したっつってたな。コイツが崇道雅緋であることは確からしいんだ。だが一家殺害して返り血浴びまくりの血塗れの状態からどうやって脱したかについても考え込んじまってた。ニュースにもあったろ、「血痕が途中で途切れてた」って話。多分その地点で血塗れでなくなったんだと思うけどなぁ……周辺には何も見つかってないっつーし。ビルで人殺した時にも返り血浴びて血塗れ状態にはなっただろうしな。だから壁の門番にも訊いたけど、そんな奴は見かけなかったって」門番。この街を囲むビルの所々にある出入口にいる警備員みたいな存在だ。荷物検査も特段しない。不審人物も素通りさせるような連中だ。「まぁ、信用はできねぇわな」鼻で笑う。俺も零以も同意する。

「で、これは誰が撮ったんだ?」

「俺だよ」震えた声でディグロが名乗る。「監視カメラのモニターに写ってたのを携帯で撮って現像したんだ」

「じゃあ、お前、あの清掃員の生き残りってこと?」

「そういうことだよ」

「崇道雅緋がここに来た理由はお前ってことか!」リネーマーが膝を打って笑う。「で? お前らはその生き残りの護衛やってるわけか?」

「護衛っつーか……」親指でディグロを指す。「コイツは崇道雅緋を殺したいって抜かしやがるんだ。だから仇元のおやっさんにも頼んで武器まで作らせてもらった」

「どうせ死ぬよソイツ」リネーマーがディグロを指差す。もう笑ってはいない。「清掃員一人一人にいちいち十二も刺し傷つけるような奴だぞ? そんな震えた声で特注の武器なんか持ったところで白い象ホワイト・エレファントと一緒だよ。無用の長物、宝の持ち腐れだ」

「それは実際に戦ってから決めるよ」今度は震えのない声だ。

「実はもう既に殺されてんだよ、ディグロは」俺が説明を足す。「生き返るのさ」

「なんだ能力持ちか」少しがっかりしたような表情になる。きっとディグロの死体を漁って携帯や武器を盗む算段でも建ててたんだろう。「なら少しは生きやすいかもな。俺たちみたいなハイエナには気をつけな。あのサイコパス野郎がお前目当てなら、さっさとこっからいなくなるこった」シッシッと手の甲をこちらに振る。

「まあ、とりあえず助かったぜ」ほらよ、と俺はチラつかせた方の封筒を投げる。リネーマーは受け取り少し困惑する。それなりに重さがあるからだ。中身を見て、予想通りの表情と、予想外の感嘆の声を漏らす。「すげぇな、どうしたんだよこれ」

「情報料と、この前払わずにトンズラこいた分のツケだ。多分小説家を夢見てたんだろうな。変な名前がいっぱいあった」

「参考にするよ、利息にしちゃ十分過ぎるぜ」その程度でか。まぁそういう奴らだ。

「また世話んなるからそん時はよろしくな」

 こうしてリネーマーの居城をあとにした。

「あの封筒の中身何だったの?」ディグロが疑問を口にする。

「情報料としての金と、携帯電話だよ」零以が答える。「この前バラバラにした死体の人が持ってた携帯をね、捨てずにあたしたちで持ってたんだけどね、あれをさっき渡したってわけ」

「羅生門は大体のあらすじを知ってるんだけど……」ディグロが恐る恐る言う。「死んだ人から物を盗んでるって点では、君たちも大して変わらないのかもね」

「上等だ。アンタも言うようになってきたな」元々良いことをしようとして生きてるわけじゃない。善行を積んで天国に行きたいとも思わない。悪行を積んで地獄に行くことも考えていない。ただ零以と一緒に居られるだけ、それでいい。

「この街の人間の大体は、そんな風に生きてるんだよ」

 悪人が悪人を呼び、悪が悪を呼ぶ街が日音だ。

 そして似た者同士を引き寄せる不思議な力も持っている。

 変な人間が変な人間を呼ぶことだってある。

 それは不自然な人間にしても同じだ。

 震えたり震えなかったりするディグロの口調と声色。

 どうしても疑念を抱かざるにはいられなかった。

 キャラのブレでは済まされないレベルのそれは。

 アイデンティティの強靭さにも大きく作用する。

 アルファは言っていた。

 崇道雅緋は多重人格者。

 仇元のおやっさんは言った。

 アズライールの特性は分身。

 そもそも所有者は久川建人。

 崇道雅緋は多重人格者。

 六人家族である久川家。

 悲鳴も物音もない犯行。

 食卓に並ぶ六人分の皿。

 崇道雅緋は多重人格者。

 血塗れ男は血塗れではなくなり、血痕は途中で途切れていた。

 久川家の一人が勤務するビルにやってきて、清掃員を殺した。

 ディグロ・ウェルズがいたビルにやってきて清掃員を殺した。

 だが崇道雅緋は、ディグロ・ウェルズを殺すことに失敗した。

 だから日音にやってきてディグロ・ウェルズを殺そうとした。

 血塗れ男は崇道雅緋で。

 崇道雅緋は多重人格者。

 まさかとは。

 まさかとは思うが。

「なぁディグロ」俺は立ち止まってディグロの方を向く。

「何?」少したじろぐように俺を見る。

「お前、本当は誰なんだ?」

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