愛おしき彼女と愛すべき旧友

「なに、また描いてるの?」俺の後ろでそう声が聞こえる。

「描いてるけど?」

「あ、まだ描いてたの?」と、嘲笑混じりに声が聞こえる。

「描いてたよ。いま終わったところ」彼女曰く「新年を祝う葉書の束」。いわゆる年賀状のことだ。毎度毎度、こんな生活をしていても、律儀に俺は年賀状を書く。さきほどのことだが、除夜の鐘が百八回目を鳴らした。

 どうしてこんなに遅いかって? 彼女にも同じことを訊かれた。つくづく俺は行動の仕方が下手なのだ。ギリギリになってからでないと行動開始がままならない。それどころか、今回はもっと酷いか。間に合ってすらいない。

 基本的に、年賀状に限った話でもなく、葉書には絵を描くことにしている。いまいち周囲の反応を得られていないが、彼女は「なんでそんな手の込んだことを」と呆れている。文字を書くのが嫌いで、それが転じて絵を描くことに繋がったわけだが、どちらにしたって、宛名は手書きだ。印刷機は無いし、業者に頼む勇気も無い。彼女が彼女であるため、どうしても。だから宛名書きが一番面倒な作業でもある。絵を書くのは嫌いじゃない。寧ろ快感だ。彼女が人体を粉々に分解するのと同じように、俺にとっては、絵を描くことこそが最大の快楽なのだ。

「初詣行こうよー」と、彼女が駄々をこねる。もうすぐ終わるから待ってくれと宥めるのだが、彼女は一向に静かにならない。やはりそういう意味では、彼女はまだ子供だ。ギリギリになって年賀状を書くような人間には言われたくないだろうな。

「終わったぞ」の一言で、布団に寝転んでパソコンをしていた彼女が飛び起きる。見てたのは誰かのブログだ。そんな趣味があったとは。防寒着をバッチリ着込んでいて、ちょっと気ぐるみっぽさを感じる。

 年賀状の束を輪ゴムで留めて、俺達は家を出る。閑散としたボロアパートは、夏は蒸し暑いし冬場は寒い。隙間風がいつだって部屋を冷蔵庫にして体を冷やす。正直耐えられないのだが、彼女の仕事柄、ここを動くわけにもいかない。

「でもよかったねー、今年中に修理工事してくれるんだって」嬉しそうに彼女が言うが、俺はとんでもない。初耳だ。嬉しいのは確かだが、業者にここを任せて大丈夫なのか。「大丈夫でしょ、お偉方が直々に言ってくれたんだよ」

「直々に?」口約束っていうやつじゃないのかそれは。

「ちゃんと通達もくれたの、ほら」着込んだコートのポケットから、汚く折られた紙を取り出した。そのまま渡されたので、不器用にそれを広げると、彼女が今言ったことを、もう少し丁寧に、正式な言葉を選んで書かれた文言が載っていた。

「これもらったのいつ?」紙は妙にクシャクシャだ。ついた折り目は、なんだか相当古いもののように感じる。

「先月だよ」早歩きをして、彼女は俺の先を歩く。

「もうちょっと早く言ってくれ」俺はすぐに追いついて、彼女の横に並ぶ。

 見上げると月が綺麗だった。月明かりと街頭の灯りが足下を照らしているが、なかなかに明るい。

 遠くを見れば、ビル群の灯りはまばらに点いていて、年末年始に働く人間のことを思う。俺の旧友も、大半は会社勤めで、こうして年の瀬新年関係なく働いているのだろうか。みんなが働いている中で、俺だけが働いていないのはなんだか少し変な気分だ。心に何かが突き刺さる気分。突き刺さったものが抜かれて、血ではない何かが流れていく、そんな気分。ちょっと泣きそうになった。

 絵を描き始めたのは中学の頃。その時は柄にもなく漫画家を目指していたが、今となっては描いた絵をSNSに投稿することもなくなった。そう、以前はやっていたのだ。評判もそこそこに。なんとなくやめてしまったものの、彼女が絵を褒めてくれるので、それだけで満足している。そんな状態。

 ただ、収入はある。彼女の仕事それ自体にも収入はあるのだが、そんな彼女の保護こそが、俺の仕事である。収入こそ彼女とは比べ物にもならないような低額だが、命の保証は万全だ。あのアパートのとある一室には政府関係者の部屋があって、そこから俺たちを保護していたりする。そもそも彼女がタフな強さを誇る上に、かくいう俺も、自画自賛にはなるがそれなりに強運で武術においても黒帯レベルであるので、とりあえずは敵なしといったところ。一応、外では俺が彼女のボディガードである。

 年賀状をポストに投函した後、神社に着く。賽銭箱の横に書かれている拝礼の手順を見つつ、その通りにする。

 何をお願いしたのかをお互いに訊ねるのだが、俺も彼女も答えない。それもデフォルト。様式美。

 帰り際にコンビニに寄って、インスタントの蕎麦を買い、彼女の希望でデザートも買う。あの寒い部屋の中で彼女はバニラアイスを食べるようだ。俺は流石に無理なので、板チョコを買った。


  +++


 帰宅すると、俺よりも先に彼女が家に入る。そしてそのまま風呂場へ。風呂にでも入るのだろうか。それとも。

 ああ。

 俺は頭を抱える。いや、実際は慣れっこなのでそんな動作はしない。

 彼女は風呂場のどこに隠しておいたのか、はたまた掃除のし忘れか、赤く塗れた爪の付いた指を持ってきた。恐らく年明け前の最後の仕事の時のものだ。太さから察するに多分、あれは親指。それ以外は何もわからない。

「そんなもの持ってどうするんだよ」

「屋根にいるクロウさんにあげるの」クロウさん。正式名称は鴉羽士クロウ。「からすばし」と読む。命名は彼女だ。俺の苗字と彼女の苗字からそれぞれ一文字取り出し、「鴉」の一文字をつけた。クロウはカラスの英語。本名は知らない。おわかりの通り、カラスだ。人間ではなく、カラス。

 どういう経緯かは不明だが、「彼」は人肉を貪る。正確に言うと、俺が捨て損ねた肉片を喋んだのが始まりで、彼女が偶然そのシーンを目にしたらしく、以来、時々だが、俺達は「彼」に肉片をあげている。牛肉でも豚肉でも、鶏肉であろうと、死肉には何でも喰らいつく。虫とか多肉植物はどうなのか、という愚問はさておき、とにかく肉を、それも死んだ肉を食べる。元からなのかどうかはそれこそわからないが、とにかく彼女が目撃して、その様子を気に入った以上は、俺も「彼」の世話をしなくてはならない。というわけで、彼女が刻んだ肉の一部を、俺もカラスにあげている。ゾンビ映画に出てくるカラスそのもので、目はかなり血走っている。人肉を食すと、かなり精神的身体的に影響を及ぼすと、フィクション小説を読んで知ったのだが、あながち間違ってもいなさそうだ。

 外に出た彼女が親指を放り投げると、黒い影がシュッと横切って、地面に落ちるはずの親指はさらわれる。あの硬い爪まで喰うのかとなんとなく考えてしまう。

 僕も彼女も家に入る。ふと、今日は郵便受けを全く見ていなかったことに気づき、俺は階段前の郵便受けを覗く。

 葉書が一枚。年賀状が届くには早過ぎる。実際、そんなに数が届くわけではないが、それにしても早い。

 家に帰ってよく見ると、それは年賀状でも何でもなく、やっぱりただの一枚の葉書だった。

 未堂薫。見慣れない名前だ。

 彼女に訊こう。「この名前、知ってる?」と、葉書を見せる。「薫ちゃんだ」と、嬉しそうに。

「知り合い?」

「そうなの。自身の本当のことを、直接話してくれる唯一の存在」

 ちょっと理解するのに時間がかかる。「ごめん、詳しくお願い」

「高校時代に知り合ったの。クラスメイトを殺したって最初言ってきてね、その調子で親も殺したの。私はその証拠隠滅を手伝ったんだよ」

 なんてこった。同族がいたのか。殺し専門に、壊し専門。類は友を呼ぶってこういうことか。

「でね、その後に二八七人殺して、その背骨を使って古代建造物を作ろうとしたの。なんだっけ、パルテなんとか神殿」

「パルテノン神殿な」なんだよ背骨って。「まさか、」

「うん、私は殺された人をバラバラにして、背骨だけを取り出すのを手伝ったよ」

 やっぱり狂ってる。でも、そこがまた愛おしかったりする。

「で、葉書にはなんて書いてるの?」葉書の文面にはプライバシー保護用のシールが貼られていた。当然の措置だ。

「雇われたからこの名前を捨てるってさ。世間一般的には死んだことになるらしいよ」

 シリアルキラーが殺し屋に昇格か。つくづく笑える話だ。

 ああ。「あのさ、さっき見てたブログって、その薫さんの?」

「そうそう! 粋なことするよねー、今まで人を殺してきたって、他人のブログ乗っ取って、大晦日までの一週間、記事を書いてたみたいだよ」

「危険すぎる」素直で率直な感想だ。

「そうかもしんないね。でもまあ、名前変えるし、そもそも社会的存在は抹消されるわけだし、大丈夫でしょ」

 無茶苦茶なことを言う。よりにもよってネット上にそんなことを書くとは。

 しかし、まあ、いつか会ってみたいと、いつか彼女とその殺し屋の再会シーンが見たいと、なんとなく思う。思ってる時点で、やっぱり俺は変だ。

「それより蕎麦食べようよ」コートを着たままの彼女がコンロに薬缶を乗せてお湯を沸かす。旧友よりも蕎麦らしい。いや、一応のところ旧友の件は完結しているとも受け取れるので、間違った反応でもないか。

「そうだな」

 応えながら、二人分のインスタントの蕎麦を開けた。

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