凶男狂女と愛と愛と愛

氷喰数舞

愛おしき彼女の愛おしき趣味

 蝉の声がうるさい。真夏日とはよく言ったものである。気温は、実際の所は何度か知らないが、四十も五十もあるんじゃないかと思ってしまう。額にも頬にも汗の玉が浮かび、滑り落ちる。

 俺はおつかいを頼まれていた。アイスをおまかせで二人分。俺と彼女。選んだのは、バニラアイスとチョコミント。カップアイスだ。さぞかし迷うだろう。彼女にとってはどっちも大好物だ。

 ボロアパートに住み着いてそろそろ半年が経つ。ここで過ごす初めての夏は予想以上だった。家具付きという罠にまんまと騙された気分だ。ボロアパートにはボロクーラー。安かろう悪かろう。二人で家賃を出し合うのだから、もう少し良い部屋を借りても良かったのだが、実を言うとそうもいかない。

 彼女は特殊な人間だ。何が特殊なのか、俺には上手く表現できそうにない。俺自身の語彙力が皆無なのもあるけど、類稀なる生き字引きみたいな奴でも、彼女の行動行為を表現することは難しいのではないだろうか。

 一つ言えるとすれば「公にできるものではない」ということだろう。

 アスファルトが熱と光を反射する。黒は熱を吸収するというのを聞いたことがあるが、吸収するにも限度があるってことか。理科はよくわからない。だがアイスが溶けるのは嫌だ。早く帰らないと。

 ボロアパートの一〇五号室。そこが俺と彼女の「城」だ。

 鍵が開いている。不用心なこった。誰か知らない奴が入ったら、それも強盗殺人とかだったら、と思うと背筋が凍る。実際には熱いだけなのだから、凍ってもすぐに溶ける。汗として。

 しかしこのクソ暑い中、強盗殺人なんてやろうと思うだろうか。いや、やろうとする人間はいるのだろう、家の中に入ってしまえば、大体はクーラーを点けているから部屋の中は天国だ。住人からしてみれば、一瞬で地獄に変わるわけだ。あまり面白いとは言えないな。

「ただいま」返事がない。どうせまた二度寝でもしているのか。

 それとも、いつもの作業?

 ああ、すっげぇ鉄の匂い。やっぱり作業だったか。こりゃ夢中になりすぎて聞こえてないな。冷凍庫にアイスを入れて、風呂場へと向かう。

「おかえりなさい」俺の姿を見て初めてそう言った。

 ブラッディ。赤ずきん。頭には何もかぶってないけど、体中の赤い斑点が物語る。グリム童話は実際のところかなり過激だと聞いたが、赤ずきんも狼の腹から出てきた時は血塗れだったに違いない。身躯に真紅。深紅でもいいな。どっちでもいいや。とにかく、いたずらに肉片をシンクに流すことはやめてくれたようでなにより。

「もうすぐ終わるから、その後でアイス食べようね」彼女が言う。アイスを待ってましたとばかりに。しかし手は全く止まらない。

「バニラアイスとチョコミントだよ」

「ずるい」可愛い声で言いながら、云いながら、ノコギリでギコギコ。それはどっちの手首だ? パッと見じゃわからなかったが、少ししてから右手だと気づいた。どうにも思考が鈍ってる。血の匂いを嗅いでいるから?「そんなのどっち選んでも損じゃん……チョコミント選んだらバニラ食べれないしバニラ選んだらチョコミントはどうなるの」

「そりゃあ、俺が食べるから食えないよな」腕を組んで彼女の作業を観察する。というよりは彼女を観察する。口を尖らせて文句言っている割には、なんというか、楽しそうだ。どっちがだろうか。解体作業が? それともどちらのアイスの選択か? まあ可愛げがあるからどうでもいいや。半分交換すればいいんだし。とはいえそこまで考えが回らない程度には、彼女も相当、熱中していると見える。換気したら血の匂いがバレるから窓は閉め切っている。熱中症にならないように、こうして見張ってはいるが、どうにも気持ちが悪い。こればっかりは慣れないものだ。むしろ慣れてしまったら、人間として何かを失う。いやもう失っている。そんな気がしている。

 気持ち悪い音を平気で鳴らす。気色悪いものを平気で扱う。まあそれらは俺や彼女の体の中では普通に動いて蠢いているものでもあるのだが、どうも目の当たりにしてしまうと……うん。何度見ても無理だ。生理的に受け付けない。たとえ自分のものであっても無理だと思う。

 長々と時間がかかった後、解体作業は終わった。それまで人間だったものを、全部細かくして、ミキサーにかけ、近くの溜池に全てドボン。ドボンするのは俺の仕事。肉片と一緒に、毎回俺自身も体の中のものを全部吐き出してしまうからたまったもんじゃない。というか大丈夫なのかよこんなことして。

 いずれバレるぞ。マスコミやらに。決まり文句だ。常套句。クリシェっていうんだっけ?

 大丈夫だよ。彼女が返すこの言葉も、同じようなもんだ。作業を完全に終えたという一種の儀式的なものになりつつあるが、俺はいつも至って本気だ。そして同じように、彼女が返すその言葉にも、本心が込められている。確信のようなもの。絶対に見つからないという、底知れぬ自信。

「アイス食べよう」

「そうしよう」

 結局アイスは予想通り、お互いに半分ずつ交換した。カーテンを閉めきっているので、日差しは入らない。だが暑い。クーラーはもはや機能していない。電気ばかりを食う、なんという高燃費。だがアイスは美味い。身体がいくらかだけ冷える。「これだけのために生きてるって感じがする」彼女はうっとりとするが、俺にはどう考えても嘘だとしか思えない。解体作業をやってる時のほうが数倍は楽しそうだった。それこそあの作業のために生きてるんじゃないかと疑ってしまう。

 テレビはニュースをやっている。今をときめく芸能人が突然の引退。そういえば、似たような顔をした人を、昨日だったか一昨日だったか、このアパート内で見かけた。まさかとは思うが。いやそんなことはないだろうと思いつつ、もし本人だったら。間違いなくここにもマスコミは殺到するだろうか。もしそうなら、真っ先にこの部屋に違和感を抱くだろう。それこそマスコミにバレる事になりかねないではないか。この部屋には血の匂いが貼り付いている。返り血こそ壁には一切つけていないが、匂いばかりはどうにもならない。いくら防臭剤をつかおうと、いくら防臭スプレーを使おうと、血の匂いに敏感な人間はいるし、気づく。吸血鬼みたいな奴らが。

「仮にそうだとしても、大丈夫でしょ」彼女は全く気にしていない。ネガティブな表現ならば能天気。ポジティブな表現をするなら、それこそポジティブそのままだ。

「政府に頼まれてやってるとはいえ……マスコミが嗅ぎつけたらヤバイでしょ」

「ないない。マスコミさん方はこの一帯への立ち入りを許可されてないから。ここって、そういう特殊なところでしょ? あっ、もしかして『嗅ぎつける』ってところ、『血の匂い』ってところにもかかってるの?」

「無意識に話しただけなんだけど、否定できないかも」空のアイスの容器を、棚にぶら下げたゴミ袋に入れる。地面にゴミ箱を置いていたところ、知らぬ間に蟻が大量発生していたので、ゴミ箱はゴミ袋として、棚からぶら下がってもらっている。

「今日の予定は?」

「特に無いかな。朝のアレでもう終わり」

「じゃあ出かける?」

「まだまだ。出かけるなら夜にしようよ」アイスを空っぽにして、彼女は敷いたままの布団の上で転がり続ける。彼女のアイスの容器をゴミ袋に捨てる。基本的に片付けは俺の仕事。肉片も、ただのゴミも、邪魔者も。全部まとめて、俺が処理する。あ、一句できた?

「暑いのはたしかにわかる。だが夜は夜で、狙われてばっかでしょ。全部倒す俺の身にもなってよ」

「片付けた邪魔者の一人をなんとかうちに連れてこれたらいいね」

 あの作業を頼まれた人間以外でやっちゃうのか……もう趣味の域だわ、こりゃ。「また俺が肉を捨てに行くんだろう? 今日はご飯、食わないほうがいいか……」彼女の死体分解は本当に芸術の域だ。お世辞じゃない。

 お世辞じゃないが、どうにも……やはり生理的に無理なものは、無理だ。

 だが、何度も思う。

 彼女の恋人をやっている俺は、もう人間ではないのかもしれない。初めて彼女に出会った時は体中に電流が走った。だが彼女の行為行動を知って、今度は寒気が走った。さらに彼女のもとに政府から仕事としての依頼が来た時は虫唾が走った。そして彼女の仕事に立ちあう度に、何度もトイレへ走っている。今もときどきそうなる。今日はたまたま運が良かっただけだ。どっちにしても溜池で同じことになったとはいえ。

 寒気が走った時、俺は逃げなかった。その時点でおかしかったのだ。彼女が孤独に感じたから。彼女の孤独を憂いていた時点で、人間じゃなくなっていたのだ。人間の形をした、あるいは人間に化けた何かへと化していた。しかし彼女は人間だ。どう考えても。人間以外の何物でもない。俺が人外の何かだと自分自身を思うようになったと同時に、彼女をより人間らしく思うようになった。理由? 説明できれば世話はなないし苦労しない。恋に理由があるか? 愛に理由があるとでも?

 いや、さすがにその時期に愛は早すぎたか。とにかく、彼女は自覚こそしてないが、俺がいないと孤独になりうる。俺もまた然り。そういう存在だ。彼女も俺も、お互いに過去を洗いざらい話している。それだけでも十分、お互いを埋め合わせる理由としては十分すぎるくらいだ。

「なあ、さっき解体してたのは?」

「ああ、アレは強盗」

 アッサリと言ってくれる。だからあれほど「鍵をかけろ」と。叱る気にはなれない。

「いきなりドアが開くからびっくりしちゃって。帰ってきたのかと思って飛び起きたら、全然違う人だった」

「だから殺してバラした?」

「頭って案外柔らかいんだよ」

「何度も聞いた。ミキサーもそろそろ寿命だな」ミキサーで細かくするなんて、どっから仕入れた知識なのやら。ミキサーは特注品だ。特別大きい。今回のがダメになれば、次の分で四十六代目だ。仕事を引き受けて半年とはいえ、異常だ。だが肉ってのは案外頑丈にできていて、つくづく実感させられる。刀がすぐに刃こぼれするわけだ。あれは骨も斬るからか。うちも同じか。

「また新しいの持ってきてくれるみたいだからいいでしょ」

「それはそうだけども」

「だったら次の仕事の時は、新しいミキサーでやりたいよね。あと一人ぐらいは耐えられそうだから。お願い」

 俺も人が良すぎる。俺は人間じゃなくなってるのかも、とさっきは言ったけど、人でなしは果たしてどっちなんだか。

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