ドラヴァニア戦記
毛糸
第一部 西方戦争
序章
【開戦】
桜華の候 二十二日目 ナルガ荒野
「中央の重機甲隊を前面に押し出せ、敵は脆弱だ。力で押し倒せ!」
後ろに控える部下に指示を渡して、高台から戦域全体を見渡す。
「圧倒的だな、我が軍は──」
眼下に広がるその戦場は見るも無残な光景だ。統率の採れた黒い軍勢が、赤い群衆を呑み込んでいく。
大地を埋め尽くすほどの人の群れ、離れた距離からでも耳に届く剣戟の音と銃声、悲鳴にも似た人の雄叫び。
地獄そのものだ。空は黒く淀んだ分厚い曇天、地上は血と戦慄に沈んだ地獄絵図、この光景を見下ろして胸の内に抱く感情は、落胆と呼べるものだった。
東部の最前線で片腕を失い、この西の端へと送られてもうじき二年。ようやく訪れた戦いに、心の底から歓喜に震えていたというのに、いざ指揮してみればこの有様だ。
「まったく……取るに足らない相手だ。かつて大陸全土を支配した国とは思えんな」
とはいえ、今では西側の一部の部分にまで国は小さくなっている。だがそれでも、彼らの持っている力が強大であることには変わりない。
「まぁ、もっとも彼等の最大の武器は封じてある。人の力だけでは所詮この程度という事か」
「閣下! 左翼より通信です──」
「ん、どうした!」
後方に控えていた魔導技師から声がかけられる。背中に大きな機材を背負った通信連絡専門の人員だ。
「敵部隊が突撃、前衛部隊を突破しなおも勢いを増している模様です。恐らく新兵器の破壊が目的かと」
「ふむ。仕掛けにようやく気がついての決死の突撃というやつか……」
技師は淡々と説明している。戦況がコチラに優位であるからこそここまで冷静でいられるのだろう。
「遊撃部隊を回せ! 左翼には可能な限り引きつけろと伝えろ。伸びきって突出した敵部隊を分断し各個撃破だ。支援砲撃も忘れるな!」
「はっ──」
指示を渡した後、左翼方向を見渡す。赤い群れが左翼中央にある青い輝きを放つ小さな塔へと伸びていく。だがそれももうじき指示通りに動く味方部隊によって殲滅されるだろう。
「まったく、彼らも運の無い事だ。このタイミングで攻めてくるとはな」
まだ雪も溶けない時期に、これは帝都から送られてきた。まるでこの戦いを予期していたと言わんばかりの絶妙なタイミングで、新兵器【絶竜障壁】は投入された。そしてこの戦況を圧倒的なまでの優位に導いている。
説明は受けたが、実際に見るまでは半信半疑だった。あんな小さな塔のような装置だけで、こうも簡単に竜を近寄らせなくなるとは思ってもいなかった。
──【
ドラヴァニア王国最大の武器にして、象徴そのものとも呼べる存在。
だが今は、敵軍後方で二の足を踏んでいる。もしあの竜達がこの戦線に投入されていれば、この戦況は真逆になっていた事だろう。
「閣下。敵が反転、後退していく模様です──」
「ふむ……」
見れば、赤い群衆が遠ざかっていく。後退するのならもっと早くにするべきであったはずだ。なにかの罠か、それとも単純に敗走なのか、なんとも解せない行動だ。
だが、これは戦争だ。我々の取る選択肢など一つしかない。
連絡技師へ指示を与えるため振り返る。
「追撃する。重機甲隊を下げろ。本隊を前に出す! 指示を──」
飛ばそうとしたその時だった。後方から激しい爆音が背中を襲った。
「っ?! 何事だ!?──な……」
振り返れば、中央に配置していた絶竜障壁が炎上していた。
いったい何処から攻撃してきたのか、皆目検討もつかなかった。絶竜障壁は中央部隊のほぼ中央に位置している。敵は後方彼方へと後退している。味方部隊が突破された様子はない。コチラの情報が間違いなければ、ドラヴァニアには長距離射撃可能な兵器は無かったはずだ。
「いったい……何が……」
「閣下! 上を!」
その声に弾かれるように上を見る。そこには分厚い雲に巨大な穴が開けられていた。
「なんだ……アレは……」
呆然と立ち尽くしていた時、雲を突き破って二つの火の玉が飛び出してきた。その二つは、両翼に配置された残り二つの絶竜障壁を見事に撃ち抜き、爆炎の渦に巻き込んだ。
「なっ?! いったい空に何……が──」
言葉を出せなかった。風穴の空いた分厚い雲の向こう、曇天を撃ち抜いた犯人がそこにいた。
太陽を覆うかのような巨大な一対の翼、長い首と尾をしならせながら宙に浮く巨大な影が戦場を見下ろしていた。
「まさか……
絶竜障壁は機能していたはずだ。だがヤツは攻撃をしてきた。絶竜障壁の範囲の外からの長距離攻撃、翼竜は遥か上空に控えている。目測でもその距離は魔導砲の射程よりも遠い。これではこちらからは手が出せない。
だがその翼竜は、その巨大な翼を大きく動かし地上へと急降下を開始した。勢いの増した黒い影は、中央の味方部隊の中へと着陸した。
グオオオオォォォォォォ!!!──
大気を震わせる竜の咆哮。身体の奥底から湧き上がる恐怖心が身体を芯から凍らせる。目の前で暴れ回るソレは、翼を広げて威嚇し、長い尾を振り回し兵を薙ぎ払い、四肢で踏み潰し蹂躙していく。おまけに口から炎まで吐き出して、一面を紅蓮の海へと変えていく。
巨大な赤い
「……閣下!」
後ろから声がかけられる。明らかに動揺した連絡技師がそこにいた。
「左翼に敵兵が! 左翼中央を突破しながら、真っ直ぐコチラに──」
「なんだと……敵の数は!?」
「そ、それが……」
連絡技師は未だに同様を隠せていない。返答を躊躇している。
「いいから早く答えろ! 敵の数は! 何部隊で押し寄せている!」
あまりの緊急事態に怒気を隠すことができず怒鳴り散らしてしまう。技師は弾かれるようにして口を動かす。
「ひ、一人です! 敵の数は一人!」
「何? そんな馬鹿なことが……」
見れば、左翼からも爆炎が上がっている。その爆炎は次々と煙をあげながらコチラに近づいていた。
「クソっ! いったいなんだというのだ!」
腰に備えていた双眼鏡で左翼を覗く。そこには赤い服を来て突撃槍を振り回す女騎士の姿があった。
見たところただの人間だ。だが突撃槍を振り回し、味方を吹き飛ばしている。考えられない怪力だ。そして極めつけは、槍を当てたそばから爆炎を起こす突撃槍だ。時になぎ払い、爆炎で吹き飛ばす。豪快極まりない戦い方だが、兵達も対処しきれていない。
このままでは、たったの一匹と一人に壊滅させられてしまう──
「チッ! 予備隊を投入して直ぐに対処させろ!! 所詮は人間だ。倒せないはずはない!」
「り、了解!──」
連絡技師はすぐさま行動に移す。さらに別の者へと指示を飛ばす。
「後方部隊に伝達しろ! 魔導砲を持ってこい!
眼下で暴れ回る赤竜へと視線を戻す。もはや戦線は崩壊寸前だった。まだ数分しか経過していないというのにこの有り様だ。
「閣下、魔導砲全門準備整いました。いつでも発射可能です」
その言葉を受けて振り返る。火力、射程共に我が軍の切り札とも呼べる兵器。全六門が後方右翼側にずらりと並んでいた。
「よし、四門は即時発射、残りの二門は最大限魔力を充填しろ! 狙いは
合図とともに、砲撃が始まる。魔力の塊でできた黒い魔弾が、次々と赤竜に向けて放たれる。魔弾はもれなく竜の巨体に命中していく。そしてひときわ大きな魔弾が命中した時、痛みに悶えるようにその巨体を揺らし悲鳴のような鳴き声をもらした。
「よし……このまま撃ち続けろ! 相手も生物だ、死なない筈はな……ん?」
言葉の途中で、視界に妙なものが現れた。竜の顔の正面に赤くきらめく円がいくつも現れたのだ。それは次第に重なり合い、幾つもの紋様を描きながらより輝きを増していった。
「今度は……なんだ……」
身体の中で警告音が鳴り響いている。これまでに幾度となく体感したことのあるものだが、今回のは今までに感じたことのないほど大きな警鐘だ。全身に鳥肌が立ち、収まる気配は無かった。
赤竜の顔がこちらへと向けられる。顔前の赤い円がさらに輝き、竜はゆっくりとその口を開けた──
「っ?!──まさか、まほ──」
その時だった──竜の口元から十字に伸びる閃光が見えた瞬間。視界は眩い光に覆われた。それと同時に、世界を引き裂くような衝撃が身体を襲い、全ての音が飲み込まれ、意識が刈り取られていった──
✱✱✱
「っぐ……」
全身を覆い尽くすような痛みに目が覚める。全身くまなく叩き殴られたような痛みだ。息を吸えば肺が軋み、骨と肉が泣き叫ぶ。
「み……味方は……戦況は……痛っ──」
痛みが徐々に増していくのにつれて、頭の中にも余裕が出てきた。たが、視界は依然としてボヤけたまま近くを見ることもままならない。周りの気配に気を配りながら、ゆっくりと身体を起こす。
触れるのは、肌を焼き肺を溶かすような熱風。
感じるのは、
届くのは、背筋を凍らせるほどに苦しみもがく人の悲鳴。
見たくない──そう思えるほどに、周囲を囲む光景が容易に想像できてしまう。だが、そんな思いに反して、視界は徐々に色を取り戻していった。
「……なっ」
目の前に広がる光景は、予想を遥かに超えていた。
一面の赤色。周囲を囲む炎の海、血に染まる大地、揺らめく炎の隙間から、人の形をした炭材が垣間見え、燃え盛る炎は空を覆っている雲すら赤く濁らせていた。
さらに情報を拾う為に、軋む身体に鞭を打ち立ち上がる。そして、何かに撃ち抜かれたように抉られた丘が眼前に姿を現した。
「まさか……」
その横には見覚えのある高台がある。私が指揮を執っていたあの高台だ。その位置から推測すれば、抉られたその部分には六門の魔導砲があるはずだった。山肌こと撃ち抜かれ、塵一つ残さず消失している。
「これが……魔法……」
事前情報や、古い文献には確かにその記載がある。鋭い爪や牙、強靭な肉体だけが
「こんなもの……」
勝てるはずがない。たった一匹だ。たったの一匹だけで総勢四千を超える兵団が瞬く間に壊滅させられたのだ。もし、これほどの力を持った竜が他にも存在するならば、帝国はおろか他の国も、万に一つの勝機もない。
ただ呆然と目の前の炎を見つめていると、徐々に地面が揺れ始め、次第に大きくなっていく。慌てて周囲を警戒するが、武器はおろか、この場から動くことすらできない。やがて炎の向こう側から、巨体がその姿を現した。
小城を間近で見上げているような、視界を埋め尽くすほどの巨体。揺らめく炎を受けながら煌めく、身体を隙間なく覆う紅い竜鱗。
首がゆっくりとしなり、竜の頭が近づいてくる。
吐息に混じる火の粉と血臭、血まみれの牙、死を予感させる鋭い眼。
この世界の、最古にして最強の生命体──
どこを見ても、死への恐怖は増すばかりだ。だが、私の視線を釘付けにしたのは竜そのものではなかった。その赤竜の背の上で佇みこちらを見下ろしている、突撃槍を持った人影だ。
「バケモノめ──」
これほどの圧倒的な存在を使役しているのが人間である事に一番の恐怖を覚えていた。もはやあの人影も人間と呼ぶにはあまりにも異質だ。
その言葉が最期。言い終えたその直後、竜の口が大きく開き俺の存在を飲み込み、視界と意識を黒く侵食していった──
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