第1章 コル・レオニス 

 あと一週間で世界は終るらしい、と彼女は言いながらトンカチでトントンと釘を木枠に打ち込んだ。

 ふーん、と生返事をしながら曲がらずに釘が入ったことを確認して、次の場所の生地をキャンバス張り器に挟み、てこの原理で力いっぱい伸ばした。伸びた所に彼女は釘を打つ。真ん中に三本釘を刺した所で木枠をひっくり返し、上下左右対称するように釘を打ち、生地を引っ張るという作業を何度か繰り返した。

 絵を描く上で、キャンバス張りは最も重要な作業だ。少しでも生地が弛むと絵の具のノリが悪くなるし、そもそも描きづらい。筆を置く度に弾んでは集中できない。

 角の処理を丁寧にやり、張り具合を確かめるべく生地を叩くとボンボンと太鼓の様な良い音がした。

「ん、良し。これで終わりだ」

「手伝ってもらって悪いね。ありがとう」

「これくらい助けるさ。お前、非力だからな。すぐ緩みそうだし」

「描くのに力は必要ないもん」

「はいはい。それはペットボトルと絵の具の蓋、開けられるようになってから言おうな」

「こ、この間のペットボトルは容器が柔らかいからだよ! 油は固まると硬いし……」

「はいはい、で? なんだっけ? 世界が滅ぶんだっけ」

「そうそう、その話」

 彼女は余った釘やらなんやらを棚に片すと、100号の大きなキャンバスを持って美術室の廊下に出た。彼女は背が小さいから遠くから見るとキャンバスだけが動いてるようで笑える。

 彼女はキャンバスを倉庫に片し終えすぐに戻ってきた。

「ニュースとか見てないの? 今凄いことになってるのに」

 どこのチャンネルもその話題ばっかりだよ―と、心底不思議そうに言う。

「あー、なんか電車のテレビで言ってたような?」

 家に帰れば、ご飯を食べて、風呂入って寝るしか最近はしていない。

「君、本当に浮世離れしてるよね。大きな大きな隕石が降ってくるんだよ。ミサイルとかじゃ防げないレベルの」

「ふーん、そうなんだ」

 そんな事を言われても実感は沸かない。

「あと一週間しか、絵描けないのかな。私100号選んじゃったよ。終るかな」

「死ぬ気でやればなんとか?」

「30にしときゃ良かった……」

 キャンバスを注文したのは世界滅亡が噂される前だから仕方がない。まぁ、そんな事を言いながら決して彼女は妥協はしないだろう。そんな気がした。

 下校時間を知らせるチャイムが鳴る。世界滅亡までのカウントダウンを切っているにもかかわらずこの音は日常のままだ。ますます実感がない。描いて帰って寝て起きて描く。それだけだ。

 あぁ、でもそんな生活も出来なくなるのか、とようやく思い至った。

 作業着のつなぎから制服に着替える。雑巾代わりに使ってるからカラフル、否、茶色に汚く混ざったつなぎを撫でる。

「人生最後の作品か。何描こう」

「私、海描くよ」

「また死者の国か」

「うん。今度はもっと遠近感とか空間を気をつけて描く」

 彼女のモチーフはいつも海だ。それも普通の海じゃない。彼女曰く死者の国であるらしい。

 彼女の死生観では人は死ぬと形を失い、海の底で種に成るらしい。名も無き人生をおくれば雑草に種は育ち、何かを成すと名のある花に成るらしい。残酷で美しい世界観だった。

 最も絵を見ただけじゃわからないからこの設定は伝わらない。先生は、わかりやすく骨でも置いてみたらと言うがそれじゃ折角の世界観が台無しだろう。

 彼女の世界では骨なんて残りはしないのだから。

 まぁ、絵なんてただ見ただけじゃ意図なんて全く伝わらないものだ。仕方ないのかもしれない。

「君は人生最後にどんな絵を描くの?」

 彼女の言葉に頭を巡らす。どうせなら好きなものが描きたい。深海魚とか、あぁ骨も描きたいかも。魚の骨。

 いくつもいくつも案を思いつくが、ふと、一つ景色が浮かんだ。

 その景色を思い浮かべて、にんまりと笑って、

「なんだろ、好きなものを描くんじゃないか。30号倉庫に余ってるだろうから、それを適当に潰して描くさ」

 と、いつもの様に言った。

 彼女は、私の返答に何か言いたそうに見つめ、

「きっと素敵な作品になるんだろうね」

 と笑った。

 さぁ、描くものが決まればさっさと取り掛かろう。楽しみだ。


*


 自分はいつも、倉庫から要らなくなった誰かの作品を潰して描く。新しく買うのは金がかかるし、どうせだったら消耗品の絵の具に金を回したい。自分の絵を別に潰しても構わないが、なんだか知らんが賞をとっているので先生に持ってかれ、手元にない。だから誰かの(主に卒業生が置いてった)作品を潰している。

 下地材を刷毛で塗り、真っ白で描きやすくなったキャンバスに、最後だからいっか、と勿体ぶらずにコバルトブルーの油絵の具を出し切った。コバルトは宝石を使って作られるから小指ほどのサイズでも馬鹿にならないくらい高いのだ。

「これで世界が滅びなかったら赤字だな」

 誰もいない美術室に独り言が響く。本当に油絵の具は一つ一つが馬鹿みたいに高い。だから画家はいつも金に喘いでる。描かなきゃ喰ってかれないのに描く為の金がないのだ。そこは両親様様だ。

 いつの間にか蒸発していた油を注ぎ直し、刷毛でキャンバスを青くしていく。なるべく背景は簡単に終わらしてしまいたい。下地の白がいい感じに見えなくなったら完了だ。

 筆を簡単に拭いて伸びをする。乾くまで暫く散歩をしよう。

 世界の終わりが近いからか、はたまた長期休暇中だからか、いくら校舎を探索しても生徒や先生を見かけない。だが、トランペットみたいな音がするから吹奏楽部の誰かはいるだろう。

 そろそろ戻るかと、特別棟の美術室まで戻る。 自分の作業スペースに戻る前に、彼女の進み具合を見ようかと、彼女のスペースに寄った。

 彼女は居なかったが、絵はあった。下地も背景も終わらせてあり、美しい海が出来上がろうとしていた。まだ綺麗な、だけの絵だ。

「にしても速いなぁ」

 相当な熱量だ。まぁ、人生かかってるからか。見習わないと。

 彼女は、自分が描いた絵を見て良く言う。

「本当に上手い絵って言うのはさ、人を魅せられるものの事を言うんだよね。精密なのは写真でいいもん」

 いつも、ふーんといいながらそれに返していた。

「君の絵は凄いよね。圧倒される。魅せられる。私もそんな絵が描きたい」

「お前の絵もすげー丁寧だし綺麗じゃん」

「……綺麗なだけじゃダメなんだよ」

 そのとき、彼女がどんな顔をして言ったのかは覚えてない。そもそも人がどう思うかなんて気にしないで生きてきてるから、覚えてるわけがなかった。未だにクラスメイトの名前も曖昧だ。でも、彼女の言う凄い絵ってのの、理屈は共感する。空気感、存在感、どれもかれも何かを訴えてくるのだ。

 まぁ、自分は好きなだけ描ければそれで良いと思って描いてきてるのだけれど。彼女はいつも、自分が描いた絵を見ながら、「君の絵は凄いスゴイ」と誉めてくれた。

 認められるのは、嬉しいもんだ。その為に描いてるのも少しはあった気がする。やっぱり好き、が一等大きいけど。

「さて、世界があと何日で終るのか良く知らんが描くか」

 筆をまた取った。


*


 八月二十三日。明日、世界が終る。

 空には大きな岩、星がうっすらと肉眼で見えるようになってきた。

 そんな事はどうでも良かった。魅せれる凄い絵が描きたかった。

 アイツの絵はいつも凄かった。何を描いても賞を貰い、何でもないようにまた絵を描く。荒々しくも美しいタッチで、人の心を掴んで離さない絵を描く。描くことの喜びが溢れて、空気感が伝わる絵だった。

 どんなに努力しても計算しても、届かない領域で奴は描き続け、あっという間に周りの人の心を折っていった。

 アイツは天才だ。一等星だ。

 一等星の輝きは周りの星たちの光を消してしまうのだ。光を消された星たちが一等星をどう思ってるかなんて、独りぼっちの一等星は気にもしない。天才が気にするべき人物なんてここには誰もいなかった。

 奴の絵は、凄い。目が離せなくなる。好きな絵だ。ずっと見ていたいし、新たな作品が生み出される隣で私もそんな絵が描きたいとしがみついて来た。でも、隣に居て、アイツの絵を見ていて痛かった。才能というどうにもならない部分をひたすら見せつけられるのは辛かった。

 だから、人生最後に、今すぐ人類が死んでしまってもアイツに凄いって認められる絵が描きたかった。どうしても酬いたかった。お前の隣にはお前に負けないぐらい絵が好きで、お前に負けないぐらい描ける奴が隣に居るんだと、示したかった。

 泣きながら、狂ったように必死に描いた。さながら、天辺で一際輝く獅子の心臓を射ろうとする狩人の如く。

 そんな必死の思いで描いた絵が終わった。自分の力を全部ぶつけた絵だった。そのままアイツに見せたくて、連れ出すために隣の教室に駆け込んだ。

「あ、丁度良かった。今出来たんだ。見てみろよ」

 振り向きざまアイツは私に笑いかけ、絵を見せてくれた。

 その絵を見て、息を呑んだ。

「これが君の好きなもの?」

 アイツはやっぱり独りだった。周りの気持ちをちっとも理解しようとしない。でも、独りで輝く星は独りだとは微塵も思ってなかった。

「そう。思い返せばお前が隣で描いてくれてる時間が好きなんだって思ったんだよ」

 そう言ってキラキラした顔で笑った。

 滅多に人物描かないくせに、私が絵を描いてる場面が描かれてた。小細工なんて無くて、好きという気持ちが溢れた純粋で、やっぱり綺麗で温かくて、空気感が伝わってくる魅力的な絵だった。

 矢は心臓に届く前に失墜し、代わりにポタポタと雫が溢れた。

 私は、アイツの描く絵が憎くて憎くて堪らなかったけれど、

「かなわないなぁ。あぁ、君の絵、やっぱり大好きだよ」

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