自然美

カゲトモ

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 カロン、カロン。と鈴が鳴る。ジャズのリズムに乗せてゆったりと頭を下げた。

「いらっしゃいませ」

「やぁ、マスター」

 来店したのは、浅黒い肌が魅力的な男性だ。

「ご無沙汰だね」

「お久しぶりです。お元気にされていましたか」

「元気元気、風邪の一つも引かないよ」

 ははは、と気持ちよく笑うと、腰かけながらブランデーの水割りをオーダー。この人はいつもそうだ。

「マスターは元気にしてたかい?」

「えぇ、おかげ様で」

「この前に来たのは半年くらい前だったかな」

「そうですね、夏になる前だったように思います。たしかブラジルに行かれていたような」

「よく覚えてるね」

「高見さんのお土産話を楽しみにしているんです」

「はっはっはっ、そうかいそうかい。そりゃ俺も嬉しいや」

「今回はどうでした?」

「そりゃ楽しかったよ。ブラジルは何度か行っているけど今回は先住民族とも交流させてもらったしね」

 そう言う高見さんの職業は世界的に有名な写真家だ。最初に来店された時は何かスポーツでもやっている元気なおっちゃんだとばかり思っていたが、偶然個展に足を運んで驚いた。たまにふらっと来るおっちゃんが、こんなどえらい写真を撮る人だったなんて。後日来店した時にそのことを伝えると、恥ずかしそうにしていたのがなんだか印象的だった。

『別に俺自身は大したやつじゃないよ』なんて、はにかんで言うのだ。

高見さんは四十になった時に一念発起して、脱サラして写真家になったらしい。どうしても今しておかないと後悔すると思ったと言っていた。

『それまでカメラなんてろくに触ってこなかったのに、不思議だよな。でも、一枚の写真がどうしても忘れられなくて、俺も誰かの心に残る一枚を撮りたいと思ったんだよ』

 それに独身だったしな、と茶化したその瞳は、確かに少年のような輝きを放っていた。

高見さんの作品は繊細で、ダイナミックで、儚げで、温かくて、泣けてくるような、観ていると時間の感覚がマヒしてしまうような、そんな写真ばかりだった。

『私、あの個展で見た“悠久の灯”という作品、とても好きです』

 手前から奥の海まで続く一本道とそれに連なる街灯、夕焼けの太陽が真ん中にあるのに上部には星空が広がっている。精巧なCGの様に見えたそれは、紛れもなく高見さんの撮った写真だった。

今まで見たことのない幻想的な作品で、俺はその前を何度通った事か。何度も観ては焼き付けるように眺めていた。

 べつに下心があった訳でも何でもなく、本当に素直に感想を言っただけなのだが、後日高見さんはその時のオフショットを俺にくれた。『こんなのしかあげられないけど』といってくれたそれは、あの日焼き付けた“悠久の灯”のほんの少し後のものだった。星空が少し広くなっていて、夕日の下部分が海に埋まってしまっている。実は言うと、俺はこっちの方が好きだ。

 ちなみにその写真は今も店内に大事に飾らせてもらっている。

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