碧の箱庭

夏木 葵

第1話 彼と少女

メーデー、メーデー、聞こえますか。


こちらコードネーム:*******。


ただ今、無事目的地に到着致しました。


これより、作戦コード「碧の箱庭」実行に移ります。


********************



彼の眼前には一面に緑が広がっていた。木々を彩るみたいに光の玉がポツポツと地面に落ちた。彼は覚醒するや否やある事実に気がついた。


彼の脳内から一切の記憶が欠落していた。彼は自分が何者であるか、何が目的でここにいるのか、皆目見当もつかなかった。ただ一つ、ある匂いを記憶していた。いや、この刹那、思い出したと言った方が正確かもしれない。


それは、海の匂いであった。それはどうやらここからやや遠くに見える碧い水面が運んでくる匂いらしかった。ただ、それは心地良いとか、懐かしいとか言った感情を伝えるものではなく、ただ単純に彼の欠落した記憶を一時的に刺激したに過ぎなかった。


彼は目覚めた場所から立ち上がって、海岸へ赴いた。砂浜を歩くとシャクシャクと音が鳴った。彼はここに来て初めて自分が裸足であることに気がついた。無数に散らばった貝殻によって足の裏に少し傷を負ったためであった。


彼は考えた。これからどうするべきなのか。自分は何者なのか。どれだけ考えても一向に答えは出なかった。そもそも、彼は思考を展開するための材料など持ち合わせてはいなかった。再び海の匂いがさわさわと彼の鼻腔をくすぐった。


彼の背後からシャクシャクと音がした。彼自身の足裏が奏でる音よりも幾らか軽やかだった。


「ねぇ、ここで何をしているの?」


その音の持ち主は少女だった。色褪せた浅葱色のワンピースを身にまとった、背の低い少女だった。髪は肩の当たりまで伸び、吸い込まれそうなほど黒い色をしていた。頬にはそばかすが、目を凝らさなければ見えない程度に散らばっていた。


「ねぇってば。あなたはここで何をしているの?」


彼は、自分が目覚めた森のような場所の方を指差した。あそこで、目が覚めた。目が覚めたら何も覚えていなかった。と少女に伝えた。


少女は彼の顔を覗き込んで微笑んだ。彼女の額からはほんのりと海の匂いがした。


「ワタシ、あなたのこと知りたいな。」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る