黒北君の秘密
一茶狩ヤイロ
第1話
ぬるい風が教室に吹き込み、私の額にはじんわりと汗が出ていた。
うちの学年主任が考えたらしい【冷房をつけてはいけない】という謎のルールが発動しているため、教室の窓を全開にしても、なかなか汗が止まってくれない。
そのため、殆どの生徒たちは半袖で通っていた。同学年の女子生徒の中にはスカートの丈を思い切って切ってしまう猛者も現れ、先生たちがスカート丈を注意すると、「冷房を付けてくれたら解決するんです!!」と訴えた。しかし、先生方はそ知らぬ顔である。無情だ。
現在、私のクラスは古典の授業を行っている。まだ4時間目の授業を行っているが、ほとんどの生徒たちは夢の世界へと旅立っていた。原因は、古典を担当している石間青伊先生である。
彼は、授業中生徒が寝ていても、課題を提出し、テストで赤点を取らなければ何も言わない人なので、睡眠学習の時間に充てる生徒もいるようだ。
私は眠気と戦いながら、必死にノートを取っていた。古典の点数が前学期にかなり悪い点数を取ってしまい、石間先生に「次の期末テストで30点以下を取った人には、夏の強化補習を受けていただかないといけませんよ」と眉尻を下げ、教卓の前で宣言されたからだ。
石間先生の補習を受けたことがある人は「いつもの石間っちよりめっちゃ怖いし寝てられない。怖すぎる」とみんなに教えてくれた。絶対に30点以上を取らなくてはいけない。これが、ノートを真面目に取っている理由である。
板書の内容を真面目に書くのが久しぶりだったので、右手が痛い。シャーペンをノートの上において、指先をうにょりと動かす。これをすると、しびれていた指も元通りになってくると弟に教えてもらった体操だ。しばらく繰り返していると、何か柔らかいものが私の左腕に当たった。消しゴムだ。
「あ、ごめん」
「ん、どうぞ」
消しゴムを黒北君に渡すと、彼は口角をほんの少し上げて笑った。すぐに、ホワイトボードに目線を戻し、板書を続けていく。ノートを取るのもうんざりしたので、少しだけ彼を眺めて癒されることにした。
やや下の名前を一発で読むのが難しい彼は、私の隣の席のクラスメイトである。入学当初から女子たちに騒がれ続け、今現在、この学校で知らない生徒はモグリと呼ばれるほど有名な人物だ。それもそのはず、彼の容姿は美形と言われるほど、すごくいい顔の持ち主だったからである。
彼の瞳と髪の毛は、青みがかった黒色。
真っ白で陶器のような肌。
同年代の男子とは違う、ミステリアスな雰囲気。
人気が爆発して、ファンクラブというよりも【黒北君を尊ぶ会】なる非公式団体が作られているらしい。隣の席になった女の子とかが闇討ちされないか心配したこともあるが、彼または彼女たちは、そんなことをしない。むしろ、『黒北君の隣に座るとか徳を積まない限り恐れ多い行為』と言い、遠くから黒北君を拝むということをするのだという。
毎回、テスト順位は上位20位以内をキープし、バトミントンが得意。
バト部が一生懸命、勧誘していたが、全く意に介していなかった。部活にも所属せず、帰宅部のまま。たまに、図書館で読書していたり、西鶴君~学級委員長で井原西鶴が好きな男の子だ~とよくご飯を食べている姿を見かけるので、彼はそっちの方が気楽でいいのかもしれない。
しかし、いい顔だ。黒北君の隣の席になれて僥倖と言っても少ないくらい。
「どうしたの、そんなに僕の顔を見て」
「あ、いや。何でもない」
と、私は慌ててノートの方に目を向けた。黒北君は、さして私の言葉に気にも留めず、ホワイトボードに目を向け直した。
私も同じようにホワイトボードを見れば、半分ほど内容が消されていた。ちょっぴり後悔しつつ、マッハでノートに写した。しかし、書ききれなかったところがあったので、あとで誰かに見せてもらおう。
カランカラーン。大きな鐘のチャイムが校内に鳴り響いた。
「今日の宿題は45ページから60ページの古典単語をノートに写してくださいね」
と、石間先生は言って、ホワイトボードに課題を簡潔に書いた。
「きりーつ、れーい、きょうつけー。ありがとうございましたぁ」
『ありがとうございましたー』
気の抜けるような号令で、4時間目の授業は終わりを迎えた。石間先生は、出席簿と教科書などを買い物かごに手早くしまい、教室を出た。開けられた扉の外から、他の教室で騒いでいる人の声が通ってくる。
「めっちゃ眠かったー」「だるいよね、古典」「今日何食べるー?」「私ダイエット中だから水寒天だけにしとく」「凄いストイックだね…」「痩せたいから」「うわっ!!ランキング落ちちゃってる!早く走らないとゲット出来なそう。最悪」
私は、消しゴムのかすを手で払いのけ、教科書やノートを机の中にしまった。次の5時間目の授業は日本史B。体をひねって、ロッカーに手をかけて取り出しておく。いつも忘れてしまい、あとで慌てふためいてしまうのを防ぐためだ。
それから、すぐにお弁当のバッグ、水筒、お財布を持って教室を出る。うるさいのは得意じゃないのだ。ここからまた、派手目の人たちが教室で騒ぐことが多い。
授業が始まるまで、隣のクラスにお邪魔しに行く。少しだけ顔をのぞかせ、私は友人の名前を呼んだ。
ドア近くにあさきち~
「あさきち。純ちゃんいる?」
「いるよー。じゅんじゅーん」
「なにー」
「理穂ちゃん来てるー!」
「あ、ホントだ」
純ちゃん~
こっちは、私のクラスと大分雰囲気が違う。騒いでいる人は一人としておらず、大体スマホをいじりながらご飯を食べていたり、参考書を見ながら黙々と食事にいそしんでいる人の姿が多かった。隣のクラスなのに、とても対照的だ。
「っはー。お腹減りすぎてやばい」
「分かる」
純ちゃんは机の上を片付け終わったらしく、お弁当の包みを広げて、私を待っていた。私も近くの椅子を借りて、純ちゃんの机でお弁当を広げる。
「いただきまーす」「いただきます」
私と純ちゃんの声が重なった。
「理穂のお弁当結構量が多いね。意外」
「ご飯、大盛りにしてもらったから」
「ええ?なんでまた」
と、純ちゃんは驚いていた。いつもの私のお弁当の量ではなかったからだろう。いつもご飯が少なくよそってもらっていて、多くても70グラム程度なのだ。
本日のお弁当には160グラムのお米たち、肉のおかず、目玉焼き、それとかぼちゃのスープ。彼らが私を待っていた。
つやつやと白い輝きを放つお米だけが「俺たちはブランド米だ。冷めていても美味しいぜ…?自信あるんだよ…」と自らを主張をしている。
お米に混じって、米田さん~弟から借りた乙女ゲームに出てきた攻略キャラの一人~、も出現した。米田さん。今は出番じゃないから記憶のケースの中にお戻り。
「実は、昨日からご飯抜いてて」
「そりゃお腹減るね。昨日のお昼ご飯は?」
「おにぎり1個とパスタサラダ」
「それでお腹もつの?燃費良すぎでしょ、理穂」
実際、それで事足りたから、ご飯の量を増やしてもらった。というのも、夕方眠過ぎて、昼寝をしすぎてしまったので、夕食を食べそびれたのが原因。
そう言う純ちゃんの今日のお弁当は、野菜と肉の割合が丁度いい量だった。健康がしっかり考えられている。
「昼寝しすぎちゃって夕飯を食べそびれたんだ」
「ふーん」
純ちゃんは相槌をうちながら、お弁当を食べる。魔法を使ったみたいにおかずたちが口に吸い込まれていく。お母さんが入れてくれたお手拭を使ってから、箸で白米を一口だけ口に運ぶ。
夏も近づいているので、保冷剤も欠かせない。保冷材に当たっていた部分のお米は、やや独特の味わいを教えてくれるが、今日持ってきたのは、そんな味を打ち消し、自分のうまみを教えてくれた。
「うまい」
と、私は目をつむり言った。ちょっと噛むだけで、お米の甘みが出てくる。
「あんた、お米そんなに好きだったっけ」
「普通かな。腹減りすぎて味覚が鋭くなってる」
「漫画か」
純ちゃんがノリノリで突っ込んでくれた。今年はクラスが違ってしまったけれど、こうやって一緒にご飯を食べることができるので、落ち着けて良い。
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