コンサートの後で

「お疲れ様、シエラ」


 コンサートを終え、放心状態でいた私の元へカミーユがやってきた。


「いやー、やっぱりシエラの演奏は面白いね! 新しい曲も実に興味深い!」

「ありがとう……」


 カミーユはテンションが高いけれど、正直私は疲れ切っていてそれどころじゃない。薄いリアクションで対応した。それでもカミーユは「今日やった曲は後日改めて聴かせてほしいね!」などと、喋っている。楽しんでくれたなら、とても嬉しいと思った。


「そうそう、朗報なんだけどさ。さっき軍の関係者が僕のところに来て、凱旋パレードにシエラも出ていいってさ」

「えっ……!? 本当!?」


 リアクションが遅れてしまったけれど、それは私の聞きたかった情報だとわかって、聞き返す。


「ああ、本当さ。直接シエラに言えばいいのに、素直じゃないんだからね」


 カミーユは肩を竦める。


「君の今日のコンサートはみんなの心に響いたってことだよ」

「よかった……」


 力が抜けて、椅子に深く座り込む。


「疲れてるみたいだけど、大丈夫? 明日ちゃんと演奏できる?」

「それは任せて! しっかり演奏する!」

「それはよかった」


 カミーユは笑顔を見せた。


「撤収、手伝おうか?」

「それも大丈夫。元気出たから、ちゃんとできるわ」

「そっか、それじゃあ今日はお疲れ様。また明日、よろしくね」

「うん、カミーユ、本当にありがとう」

「いいえ」


 片手を振りながら去っていったカミーユを見送ってから、私は力を振り絞って立ち上がる。


「よし! 片付けよう!」


 隣で同じく放心状態で座っていたアルフレッドも一緒に立ち上がった。


「ちゃっちゃとやっちまうか」

「え? アルフレッドは大丈夫だよ! 私がちゃんとやるから!」

「お前、そんなにフラフラでできるわけねえだろ? 明日の演奏に支障が出たら困るから、俺もやる」

「だけど、これは私のコンサートで……」

「あー、もうごちゃごちゃうるせえな。口動かしてないで手を動かせ」


 アルフレッドは私を睨みながら、さっさと椅子の片付けを始める。


「……ありがとう」


 本当は一人でやるのは辛いと思っていたんだ。だから、アルフレッドの好意に素直に甘えることにした。


 アルフレッドの背中を見つめながら私はその存在の大きさを噛みしめる。アルフレッドがいてくれてよかった。アルフレッドがいなかったらどうなっていたかわからない。


 やっぱり私、アルフレッドが好き。


 小さく呟くと「ん?」と、アルフレッドが振り返った。私は「なんでもない」と、笑って片付けを再開させる。


「……シエラ」


 私を呼ぶ固い声に顔を上げると、そこにはお父様とお母様が立っていた。


「お父様、お母様……!」


 私がそう言うと、アルフレッドも片付けの手を止めて顔を上げ、私の側まで来てくれる。厳しい表情のまま黙って立っている二人に、


「今日来てくれたんだね。ありがとう」


 と、まずはお礼を言った。


「シエラは……」


 口を開いたのはお父様だ。


「本当に吹奏楽が、クラリネットがやりたいんだな」

「はい」


 その問に、私は真っ直ぐに答える。


「クラリネットの吹けない人生なんて私の人生じゃない。お父様とお母様にクラリネットを吹くことを止められている間、本当に辛かったんです。だからこそ、私は……」

「シエラ……」


 涙ぐんだお母様が私の名前を呼んだ。


「とりあえず家に帰ってきて、シエラ。私、貴女のことが心配で……」


 少しやつれたように見えるお母様の表情を見て胸が痛む。だけど、ここで流されてはいけないと拳を握る。


「それはできないわ」

「シエラ……」


 お母様の瞳に涙が浮かんだ。


「私はクラリネットが吹きたいのです。だから、二人の娘としての役割は果たせない。私はもうウィドウ家にはいられません」

「シエラ」


 今度はお父様が私に問いかける。


「王都に行って、趣味でクラリネットを吹くのはどうだ? 結婚後は王都で暮らせるように縁談を組むから、それで……」

「ごめんなさい、お父様」


 私はお父様の声を遮ってお断りした。


「私は真剣にクラリネットを吹いていたい。一日中楽器に触れて、ずっと音楽のことだけを考えていたい。趣味の範囲では嫌なのです。それに……」


 私は隣にいてくれるアルフレッドをチラリと見てから、


「私は音楽以外の何ものにも縛られたくありません。自由に生きたいのです」


 と、言った。私が日本という自由な国で育ったこともあるのだろうけれど、親に決められた人生を歩くなんて嫌だ。自分の足で、自分が決めた人生を歩んでいきたい。いつか、自分が結婚する相手だって、自分で決める。


「ここまで育てていただいたにも関わらず、こんな我が儘を言ってごめんなさい。だけど、私はどうしてもウィドウ家の娘ではいられません。だから……」

「そんなこと言わないでシエラ!」


 お母様が涙ながらに叫んだ。


「私は貴女を愛しているわ! ずっと私達の子供でいてほしい!」

「だけどお母様。私はウィドウ商会のために結婚することはできません。お役に立てない私がいても、ご迷惑をおかけするだけです」


 娘なのに、酷いことを言っている自覚はある。それが、お父様とお母様が私の本当の両親でないことで、こんなに強く言えるのだとも思う。そのことに罪悪感を感じた。


「シエラの強い気持ちは演奏からも伝わってきたよ。ブランクがあるはずなのに、堂々とした演奏だった。何よりも、あんなに楽しそうなシエラは久しぶりに見た」

「お父様……」


 お父様が苦悶の表情を浮かべる。


「きっと、シエラは僕たちが引きとめようとも、自分の道を歩んでいくのだろうね」

「……はい」


 私はすぐに肯定した。ごめんなさい。私はもう誰にも縛られたくない。お父様は嘆息してから、


「わかった、シエラ。だから、帰ってきなさい」


 と、言った。その表情には苦いものが含まれているものの、目元だけは優しく細められている。


「どうしてもシエラは僕たちの娘だ。だから、自由にしていいから帰っておいで」


 お父様の隣でお母様も大きく頷いた。我が儘を言って二人を心配させ、迷惑をかけた。それなのにまだ甘えてもいいのだろうか。


 迷いがあって、すがるように隣のアルフレッドを見上げる。すると、アルフレッドは困ったように微笑んで、頷いてくれた。


 それを見て、私は決める。私にはウィドウ家にいる資格がないとか、親子関係はそういうものじゃない。日本でだってそうだったはずだ。


 私は二人の子供ではないけれど、ここから改めてちゃんとした親子になりたい。なれる、と思った。


「はい、お父様、お母様」


 私が笑って頷くと、二人はようやく安堵したように息を吐き出した。




「それじゃあアルフレッド。お世話になりました」

「ああ」


 家出が終わり、家に帰ることになったので私は一度オズ楽器店に寄った。少ない荷物をまとめてこれから家に帰るところだ。


 短い間だったけれど、オズ楽器店での暮らしは楽しかった。アルフレッドは迷惑だったと思うけれど、私は一緒にいられて嬉しかったし。


 お父様とお母様に認めてもらえて家に帰れるのは嬉しいことだと思うけれど、アルフレッドと離れるのはどうしても寂しい。ずっと一緒に暮らせたらいいのに、なんて──


「?」


 突然ポンっと私の頭に温かくて大きな手のひらが乗ったので見上げると、アルフレッドが無言で私の頭を撫でてくれる。もしかして、離れたがっているのが顔に出てしまっていただろうか。そうだとしたら少し恥ずかしい。


「明日、寝坊するなよ」

「うん」

「ちゃんと衣装着てこいよ」

「大丈夫だよ、子供じゃないんだから」


 アルフレッドが私のことを妙に心配するから、子供扱いされたように思えて少しむくれる。そうしたらアルフレッドはふわりと柔らかく微笑んだ。


「あと、明日。終わったら、聖夜祭な」

「あ……」


 そうだった。いろいろあって忘れかけてたけれど、明日はアルフレッドとデートの日なんだ。


「楽しみ」


 そう小さく呟くと、アルフレッドの手が私の頭から降りてきて頬を撫でる。触れられたところが熱い。私は惚けてアルフレッドを見た。


 すごくドキドキする。何だろう、今までとは触れ方が違うような──


「明日も早いんだから、今日は帰ってゆっくり休め」


 アルフレッドはそう言って、今度は強めにポンポンと頭を叩くように撫でた。


「うん、じゃあまたね」


 別れることが寂しかったのに、今は胸が温かくてドキドキしてる。やっぱり私、アルフレッドのことがこんなにも好きだ。


 私はアルフレッドに別れを告げて家へと帰る。帰りながら、明日アルフレッドに告白しようかな、とふと思った。


 そう思うと心臓が痛いくらい暴れまわる。アルフレッドに断られたらと思うと怖い。だけど、聖夜祭に一緒に行ってくれるし、少しは期待してもいいんだよね……?


 何より、アルフレッドにちゃんと気持ちを伝えたい。好きって言ったらどんな顔をするんだろう。


 いろいろ考えていると顔が茹だるように熱くなってくる。だから、家に帰った私はお父様とお母様に体調を心配されてしまったのだった。

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