私のことを嫌いなお客様がご来店です
「い、いらっしゃいませ!」
誤解されるかも、と思って慌ててアルフレッドの手を離したが、既に遅かったようで彼女の綺麗な青い瞳は私のことを疑うような目つきで見ている。どうしたらいいかわからずにいると、アルフレッドが奥からリードを持ってやってきた。
「リードだろ?」
「あ、はい。ありがとう、アルフレッド」
顔色を変えたコットンはアルフレッドからリードを受け取る。そのコットンの表情は私に向けるのと違う顔だ。やっぱりコットンは普段から機嫌が悪いわけではなくて、私のことを特別嫌っている様子。
「試し吹きさせていただきますね」
コットンは持ってきていた自分の楽器を組み立て始める。私は店の端に寄って邪魔をしないよう務めるだけだ。と、思ったのに。
「あとはお前が対応しろ」
「ちょっ……アルフレッド!」
私の小声の抗議も虚しく、アルフレッドはさっさと店の奥に引っ込んでしまった。
その間にコットンは試し吹きを始めている。綺麗な音。プロ級とは言えないが十分に上手い。
私はしばらくコットンの試し吹きを観察していた。それに気がついたコットンはアルフレッドがいないことを確認すると容赦なく私を睨んでくる。
「貴女……ここで働いているって本当?」
「は、はい……」
「どうやってアルフレッドに取り入ったの?」
「と……取り入るなんて、そんな……」
「お金? それとも父親に頼んだのかしら? クラリネットを続けることを両親に止められたはずなのに、どうやって説得したんだか」
憎悪の目を向けられた。そうか、私はそういう風に見られているのだな。今までの行いはそう簡単に消えることはないだろう。とにかく今はこの店とアルフレッドを守ることが先決だ。
「私がアルフレッドに頼んで雇ってもらいました。買収などはしていません」
「アルフレッドがこの店で人を雇うなんて……。貴女、アルフレッドのことを狙ってるのね?」
狙ってる。それは、ラブの意味の狙っているのことだろう。
「だから、楽団に入ってこのお店にも入った」
「違います!」
アルフレッドへの気持ちを誤解されるのはまだ我慢できるけれど、私が吹奏楽をやりたいと思った理由まで誤解されるのは耐えられないことだった。
「私はアルフレッドに近づくために楽団に入ったわけではありません! 吹奏楽がやりたかったからです! 音楽が、クラリネットが好きなんです!」
「ふん、嘘ばっかり」
コットンは何も信じてくれない。
「カミーユにも取り入ったんでしょう? だから、新人の癖にファーストを吹けるようになった。ジョンとフィリップに恥をかかせてまで!」
「違います!」
「何も信じるものですか! ワガママ女王のシエラ。クラリネットを辞めてからの貴女の話は友達からよく聞いているわ。記憶喪失だなんて嘘吹いてるみたいだけれど、私は信じない。貴女と同じクラリネットを吹かなければならないなんて絶対に嫌!」
強く言われて私は言葉を失う。胸の奥がズキズキと痛んだ。
「絶対に出て行かせる。楽団は汚させない!」
「おい、コットン!」
私の後ろからアルフレッドの声がした。
「俺の店で騒ぐなら出ていってくれ」
「アルフレッド……」
コットンの瞳が驚きで見開かれる。
「シエラを庇うつもり!? アルフレッドだって知っているでしょう? この子はワガママで……」
「それとこれとは関係がない。俺は俺の店を守りたいだけだ」
「アルフレッド……」
くっとコットンが唇を噛む。
「今日は……帰らせていただきます」
手早く楽器を片付けると、コットンは私を睨んでから店を出ていった。
「おい、シエラ。いつまでそこに突っ立ってんだ」
アルフレッドにそう声をかけられて、私は自分の動きが完全に止まっていたことに気がつく。ごめんなさい、と声を出して動き出そうとするのに、声も出なければ身体が上手く動いてくれない。胸の奥がジクジクと痛み続けているだけだ。
「おい」
いつの間にか側にやってきたアルフレッドに肩を掴まれる。アルフレッドの瞳を見つめているとじんわりと視界がぼやけてきた。
「お前……」
「ご、ごめ……」
喉はカラカラと渇いているのに、瞳からは涙が零れ落ちたのがわかる。私は元気が取り柄でなかなかへこたれないのが長所であるはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
「来い」
アルフレッドに手を取られて店の奥へと引っ張り込まれる。ぼやけた視界のまま椅子に座らされて、アルフレッドも目の前の椅子に座る気配がした。
「何か思い出しでもしたか?」
ふるふると首を横に振る。何も思い出さない。私はシエラじゃないのだから、思い出せるはずがないのだ。だけど、こんなに胸が痛いのはもしかしたら私の中にシエラが存在するからなのかもしれない、とぼんやり思う。
「私は……っ」
声を出すことができた。情けなくポロポロと涙を零しながら続ける。
「あんな風に誰かに嫌われることは当然のことだと思ってます。だけど、思ってた以上に、苦しくて……っ」
アルフレッドは何も言わないが、聞いてくれてはいると思った。ここに連れてくる時に繋がれた手もしっかりと繋がったままだ。
「それに、何より一番苦しいのは演奏のこと……。音楽は誰にでも平等なものだと思うのに、私がいることで演奏にヒビが入るのかと思うと……っ」
「じゃあ、やめるのか?」
ゆっくりとアルフレッドにそう尋ねられた。
「それは……」
私は何度も何度も首を横に振る。
「嫌……っ! 私はクラリネットが……吹奏楽がやりたい……っ!」
「そうか」
いつも怒ってばかりのアルフレッドが笑ったような気がした。それを確認する前にアルフレッドにハンカチを握らされたので、私はそれで自分の涙を拭う。
「それなら演奏で応えるんだな」
「演奏で……?」
「ああ」
涙を拭いてようやくアルフレッドの顔が見える。もうこれ以上涙が出ないように目に力をぐっと入れた。
「誰にも文句を言われないくらい上手くなれ。カミーユは実力主義だからちゃんと見てる。クラリネットの首席奏者にでもなれば、もうお前に文句を言えるやつはいなくなるだろうよ」
「上手く……」
音大に行ったわけではない私。ただ中・高の部活で演奏していただけの。だけど、私は楽器が好きだ。上手くなりたい、誰よりも。
「頑張る。私、頑張る」
「ああ」
アルフレッドがまた笑ったような気がしたが、すぐにぐしゃぐしゃと頭を撫でられて見えなくなってしまった。
「せいぜい頑張れ」
「はい!」
よし、絶対にやってやる! 嫌われ者に憑依してしまったけれど、このまま人生を過ごすなんて嫌だ。上手くなってこの楽団のクラリネット主席奏者になって、この楽団で演奏を続けるんだ!
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