花のごと秘すれば青き月の影

「ところできみは総支配人に会ったことがあるの?」


 天使のようなチアキは毒蛇に尋ねた。


「あるよ。誰よりもよく知ってる」

「どんな人?」

「んーそうだな。彼は美しいものが大好きで、即興芝居が大好きで、生き生きと自由に動き回る役者が大好きで。人一倍自由と美しいものを求めてる。美しいものは孤独な人をも慰めてくれるから」


 少年は牛のように遅い足取りでもう1歩、白黒の床を進んだ。カツンと気取った足音が礼拝堂に響きわたる。


「でもなにかしっくりこない。彼はべつに慰めてほしくて美しいものを求めてる訳じゃない。もっと根源的な何か。生への欲望を失ってなお求めずにいられないような」

「何かって?」

「うーん、それが……。よく分かんないんだよね。長年考えてはいるんだけど」


 そんなものANIMAに決まってるでしょ。いまさら何言ってるんだか。優しい神様は親切にツッコミを入れた。


「ANIMA……」

「え?」

「ん?」

「いま何か呟かなかった? あになんとかって」

「え……あぁ、ANIMA? 口に出てた? ゴメン何かちょっと混乱しちゃって」

「あやまることなんてないよ。僕もぼーっとして心ここにあらずみたいなことしょっちゅうだもの。それでアニマって?」

「はは、そういうときはどっかに散歩行っちゃってるらしいからね。本人は散歩してた記憶ないってのに。うっかりドッペルゲンガー目撃されたりしないように注意。ANIMAはたしかラテン語で魂とか命とかそよ風とかそんな意味」

「へぇそよ風で命とか洒落てるね。じゃあ総支配人はアニマを求めてるんだ」

「いや、まだそうと決まったわけじゃ」

「でも僕わかるなぁ。よく白い歯車の見えた後に頭痛くなるんだけど、いつもより激痛でさ。もう四六時中拷問うけてるみたいな気分で。やっと解放されたと思っても考える気力すらなくてもう生ける屍みたいな。そんな時に綺麗な花を見たりするとなんというか……そう、心にそよ風が吹いたみたいなそんな感じ。総支配人も頭痛持ちなのかな?」

「さあ、どうだろう」


 件の少年はありきたりに誤魔化した。さらには話題までそらそうと狡猾な蛇のように企んでいる。


「でもまあドッペルゲンガー目撃されたって人にひどい偏頭痛持ちが多いのは事実みたいだね。会話したってのはたぶん眉唾か別の原因の可能性があるから除くとして、地球だけでもリンカーン大統領、芥川龍之介、それからエリザベス1世とか」

「へー。エリザベス1世? ってたしか……あれ、誰だっけ」

「シェイクスピアの時代のイギリス女王様だね。でもそうか。僕が求めてたのは……」


『僕が求めていたのは自由じゃなくてむしろその先にあるもの。運命なんかもろともせずに生き生きと自由に動き回る輝くようなANIMA。本当は命を閉じ込めたかった訳でも支配したかったわけでもない』


 件の少年は心の内で呟いた。


「いや、呟いてないんだけど。捏造はやめてよ」

「え?」

「あ、ゴメンたびたび。何かもう頭おかしくなりそう」


『べつに僕は名誉ある役者や演出家になりたかったわけじゃない。総支配人なんて荷が重すぎるし』


「だから捏造は――」


『きっと表現する方法はいくらでもあった。掴めなかった夢に縋るでもなく否定するでもなく他に目を向けてさえみれば。そんなこと気づきもせずに挫折感に打ちひしがれるばかりで。だって僕がなりたかったのはANIMATOR』


「ANIMATOR……」

「え、なんて?」

「あゴメンまた。ラテン語で……」


 件の少年は思考の糸を辿りながらハッと小さく息を吸い込むと、観念したように小さく笑った。


「はは、いまさら気づくなんて。子どもか」

「え?」

「ANIMATOR。虚ろな器に、命を吹き込む者」


 虚ろだった少年の瞳はいまや玉虫色に輝きはじめた。

 少年は幼い子どものように天を見上げると、心の内でそっと呟いた。


『ねえ、そこにいるんでしょう? そこにいて僕の声を聞いているんでしょう? 僕の最後のお願い聞いてくれますか。神様なんてそんな偉そうじゃなくていいから。友だちとして』


 チアキはまたもや天を見上げて何やらぼーっとしている少年を不思議に思ったが、心配するほどではなかった。

 隣でバラ窓を見上げる少年の瞳は五彩の光を受けて玉虫色に美しく煌めいていた。


『美しい夢を』


 それは虚ろな器に命を吹き込む優しいそよ風。

 

『夢みる力を、僕にください。神様じゃなくてもいいから』


 それは想像力と命の源。


『きっと美しい夢を、生み出してみせるから』


 それはとめどない哀しみを愛へと変える、古えからの魔法。

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