雪より白しぬばたまの夢
青い月が満ちたころ。チアキは独り螺旋階段を駆け上がっていた。
『祭壇の裏にある秘密の扉をくぐって。古い石造りの螺旋階段を登ると屋上庭園に出るから。別名1世の階段』
『1世?』
『人ひとりしか通れないくらい狭く、誰も戻ってきた人がいないから。つまり……』
『つまり?』
『帰り道はなしってこと。もうrosariumは使えないし。回り道でゴメンね』
「まったく、いつもいつも強引すぎるんだから。訳わかんない!」
チアキは
『あ、あとあの人によろしく』
『あの人って?』
『優しい優しい女神様』
『女神?』
『本当は僕も一緒について行きたかったんだけど。なにせ僕にも役目があるから』
『役目って?』
『守破離』
『し、しゅは?』
『素直な心で技と心構えを吸収し、他にどんなものの見方や方法があるか見渡して自分ならどうするか考える。でもそこからは先は……。周りがなんと言おうと自分の思う道を行かなければ。たとえそれがどんなに慕った人の言葉であっても。素直な人ほど離で躓きやすいんだからね』
『り?』
『つまり……。遠慮なく前見て走りなってこと』
息もつかずに螺旋階段を駆け上がるチアキを手すりの合間から稲光りが照らした。
間を置かずして響きわたるのは地を揺らす
追い風がチアキの背中をそっと押した。
『忘れないでチアキ。君が今から向かうのは光と闇の聖地のさらにその中心。星時計の中ではカイロス度が極めて高いから、クロノス的なものさしは一切通用しない。前も後もなければ過去も未来もない。姿形もあてにはならない。もしかしたら夢だって自分のものとは限らない』
『じゃあどうやって……』
『痛みを辿る』
『痛み?』
『まあちょっとばかし、痛いけど。もう残された時間もあまりない。いまの彼の意識が分解される前に助けたいなら』
脇目も振らずにひた走るチアキの心を一抹の不安がよぎったが、それも長くは続かなかった。
『また、会える?』
『……もちろん。だからほら、いまにも泣きだしそうな乙女みたいな顔しないでよ』
『いや違うから』
『ははは。じゃあ、元気で』
上がってきた息を押さえるように肩を上下させながら、チアキはいまいちど息を整え天を見上げた。
『痛みを辿って彼を見つけだすこと。彼の意識が深淵にのみ込まれる前に』
『でも』
『大丈夫、君ならできるよ』
「待ってて。絶対に見つけてみせるから」
チアキは最後の力を振り絞るように駆け出した。わずかな望みを天に祈りながら。
「どうか、間に合って――」
◇
「それじゃあ、あの子たちのことよろしく頼みます。彼は
バラ窓の下、白黒の床の上に横たわりながら哀れな毒蛇はひとり天に祈った。
『了解。他に言い残したことは? 反論も遠慮なく受け付けるけど』
神様は哀れな毒蛇に話しかけた。
「いや、いいよ。僕は死に値する罪を犯した。そこに何の反論もない」
『そう。せっかく欲しいものが見つかったばかりなのに助けてあげられず申し訳ないね』
「気にしないで。この筋書きだけはどう足掻いても変えられなかった。ただそれだけ。別に恨んだりしないよ」
哀れな毒蛇は仰向けのままバラ窓を食い入るように見つめた。まるで最後の別れとばかりに夢のような煌めきを目に焼き付ける。
「えーと、最後の独白は黒い蝶が僕の周りをひらひらしたあとに白黒の床の上で。最後の台詞はRemember theeだったね」
哀れな毒蛇は血まみれのスカーフを自ら顔にかけた。
「ひと思いに頼むよ。でもまさか本当に斬首刑になるとは。はは、筋書きって恐ろしい。あ、そうだ。せめて死刑執行人だけは指名できる?」
『見た目ならどうとでもできるよ。あれでも一応死神だから。最近はもっぱらオフィーリアの姿にハマってるみたいだけどなんせうちの相棒と反りが合わなくてね。でも最後のお願いとあらば善処します』
「じゃあ、執行人はデリックじゃなくてジュリアンがいいな。女神のように優しいあの人を最後に一目見た――」
『あの人って、誰?』
「え? 誰って。ジュリアンだよ。あの人と言えば。この教会にいるでしょう? ジュリアンって名前のシスター」
『ジュリアン? この教会にそんな人いないけど』
「そんなはず……だって確かに」
『Dame lulianなら僕も聞いたことあるけど会ったことなんてないし』
「そんな……いや、どことなく怪しいなとは思ってたけど。でもジュリアンじゃなくても誰かシスターの中に僕の悩みを聞いてくれた人がひとりはいるはずでしょう。女神みたいに優しい――」
『そもそもこの教会にシスターなんていないけど?』
「え……」
『あー……毒蛇さん。まんまとやられましたね』
「一体どういう……?」
『最近この劇場で多発してるんですよ、なりすまし』
「なりすまし?」
『あなたとお喋りしてたのはジュリアンじゃない。ただのなりすまし。なりすましジュリアンです』
「そんな……まさかジュリアンが僕を騙すなんて」
『残念だったね。名残惜しいけど。そろそろ時間だ』
礼拝堂の扉を開けたのは白いワンピースを身に纏った可憐な少女そのものだった。その手に大鎌さえ持ってなければ。
バラ窓の下に横たわる少年を見つけると死神は嬉しそうに微笑んだ。
「あなたがもうひとりのハムレット王子? ふふ、会いたかった」
音もなく亡霊のようにするすると進むと、死神は大鎌を振りかざして言った。
「大好きよ王子。Remember me」
黒い蝶がひらひらと、横たわる少年のうえを舞った。まるで哀れな毒蛇を慰めるように。
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