Rose of May : 五月の薔薇

 ずっと思っていたことがある。どうして僕はこんなにも騙されやすいんだろうって。


「ムリムリ、無理!」

「いけるいける、大丈夫! ちょっと演じてくれるだけでいいの」

「きみを信じてたのに」

「あら、私だってあなたを信じてるわ。今もかわらず。だから、ね、お願い」

「いや、僕そもそも男だし」

「それが何か?」

「何かって」

「私の代わりにあの人に届けてくれるだけでいいから、ね、オフィーリア」


 そう言って、さっきまでオフィーリアだった女性は熱い眼差しで僕を覗き込んだ。

 まったく、これだから役者って。ほんと、嘘ばっかり。


「自分の名前思い出せないんじゃなかったの? 本当はお姫さまでもなんでもないのにねって。あれ全部嘘?」

「あら、自分の名前を思い出せないのは本当。だって私はオフィーリアじゃないもの。さっきはオフィーリアを演じてただけ。たとえつくりものだって、美しい嘘に心慰められることもあるでしょう?」


 さっきまでの可憐な淑女はどこへ行ってしまったんだろう。いつか香りが失せてしまうなら、いっそどこかの教会にでも閉じ込めたい気分だ。


「演じることは生きること。演じるとはつまり、誰かの役を自分の人生として生きることでしょう? 私はさっきまでオフィーリアとして真剣に生きてたわ。そこに嘘なんて何もない」


 オフィーリアだったはずの女性はスカーフをひらりとさせると儚げにすすり泣く真似をした。とんだ美しい嘘である。


「そもそも僕演劇なんてやったことないし」

「あら、そんなの気にすることないわ。All the world’s a stage, And all the men and women merely players :

 この世は舞台、男も女もみな役者にすぎない。シェイクスピアもそう書いてるわ。この台詞は『ハムレット』じゃなくて……なんだったかしら? 確かAs You Like It……そう、『お気に召すまま』よ。They have their exits and their entrances; And one man in his time plays many parts,

 人はみな舞台から退場したり入場したり。一人の人間が生涯をかけていろんな役を演じるんだから。ね、ほら問題ない」

「問題ないって……ムリなものはムリ」

「そこをなんとか」

「大変申し訳ございませんが……。ムリです」

「ひどいわ……」

「どっちが」

「可憐で純粋で? 従順な私みたいな女性の役なんてボクには出来ない?」

「ちょっと。小馬鹿にしてるでしょ」

「あら、失礼。そんなつもり、少しだけあったわ」

「そもそもきみのどこが可憐だったのか」

「あら、可憐な薔薇をお望みで? O rose of May! おぉ、五月の薔薇よ!」


 女性は跪きながらつくりものバラを差し出す真似をして大袈裟に言った。


「そう呼んだのは誰だったかしら? ハムレット王子? いえ確か……そう、兄のレアティーズ。Dear maid, kind sister, sweet Ophelia! O heavens! is't possible, a young maid's wits

Should be as mortal as an old man's life?

 いとしい乙女、優しい妹、かわいいオフィーリア! おぉ、神よ! うら若い乙女の心が老人の命のようにはかないなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」


 女性は手持ちぶさたにつくりもののバラを逆さに持ってぷらんぷらんとしはじめた。 


「早咲きの薔薇はさぞ可憐で美しく儚く散りゆくのでしょうね。悲劇ならばそれでもいいでしょう。でも私はあなたの物語を悲劇で終わらせるつもりなんてさらさらないの。可憐なだけでは生きていけないなら、五月の薔薇だってもっとしたたかに生きねば」

「したたか……」

「あ、いまピッタリとか思ったでしょう」

「いや、そんなことは」

「知ってた? あなたは隠し事があっても絶対顔にはださない。っていう、表情をしてるわ。むしろわかりやすいったら」

「ひどいよ……」

「ふふふ。したたかというのは私にとってはむしろ褒め言葉なの。本来そうだったように」


 女性はつくりもののバラと先ほど摘んだ二輪の花を顔に近づけた。


「はぁ。いい香り」

「こっちはいろいろ台無しだよ」

「やる気になった?」

「まったく」

「はぁ、しつこい」

「いや、だからどっちが――」

「舞台に立つことの何がそんなにいやなの? 誰かの視線?」

「まあそれもあるけど」

「けど?」

「上手くできるか自信ないし。誰かに笑われること確実だし。もしかしたら陰で何か言われたりすることも」

「あら、そんなの。陰で言ってる分には一生陰で言わせとけば? 私たちは表舞台に立てばいいだけの話。むしろこちらからお別れ言いたいくらいだわ。Farewell! さようなら~」


 女性はスカーフをひらひらと振った。


「上手いか下手かなんて人が作りだした数あるものさしの一つに過ぎないわ。生きるのに上手いも下手もないでしょう。そりゃあ出来れば苦労はしたくないけど。どんな人生だって這いつくばって生き抜いたあなたの人生。だから愛おしい。ね、問題ない」

「きみってなんていうか……可憐というより現実的――」

「したたかって言って」

「……。きみってしたたかだね」

「ありがとう」


 女性はにっこりと笑って言った。

 

「はぁ、なんかいろいろ狂ってるよ」

「あら、夢の中まで道徳で縛りつけることないじゃない。ここは夢の聖地よ。どこもかしこも狂ってるわ」

「きみって本当に。しつこいというか押しが強いというか。はぁ……もう僕の負けだよ」

「敗北宣言?」

「お好きなように」

「では」

 

 オフィーリアだった女性は花冠を外すと満面の笑みで言った。

 

「私の代わりにあの人に届けて。あのお方への私の愛は永遠に変わることのない真心だと。でも最後に一つだけ試練があるの。大丈夫、今のあなたならできるわ」

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