Lady of the Night : 夜香花

「Lady of the Night. 夜香花とも呼ぶらしいの。ふふ、可愛い。こんなに優しい生き物が他にいるかしら。あ、そうだわ」


 可憐な淑女はスカーフのうえに摘んだばかりの二輪の花をのせた。

 そして小首をかしげると、上目遣いで僕にスカーフを差し出した。もう片方の手でバラを握りしめたまま。


「この薔薇の花、私にくださらない? もちろんただでなんて言わないわ。この二輪の花と交換で。ね? お願い」


 可憐な女性にお願いされて思わずお願いを聞いてあげたくなる気持ちが微塵もないと言ったら嘘になる。でもここはハッキリ言わなくては。


「ごめん。そのバラの花、僕の大事なものだから」


 女性は急に項垂れてしまった。儚げなその姿はいまにもくずおれてしまいそうだ。

 うつむき加減に流し目を送りながら、儚げな女性はもう一度おねだりをした。


「どうしても?」

「本当にごめんね」


 ほんのり甘い香りの漂う花畑の真ん中で、内心では妖しげな視線にどぎまぎしながら、平静を装ってそっと手を伸ばした。

 けれどもバラを取り返そうとしたその瞬間、僕の手はむなしく空をつかんだきりだった。


「そう、残念」


 女性は僕の手をひょいとかわすとバラをそっとスカーフのうえにのせた。

 急に冷めた声音の女性は何だか別人のようで、もっと駄々をこねられるかもしれないと思っていた僕にとってなんだか拍子抜けだった。


「そうよね、この花にはあなたへの真心がこもってる。どんなモノにも物語があるでしょう? たとえそれがつくりものの花であっても」

「……。え、つくりもの?」

「ええ、つくりもの。この薔薇の花、薄紫色をしてるでしょう? ふふ、赤だと思うわよね、普通は。昔話だって原色が多いもの。瞼の裏でブラック背景に思い浮かべるなら鮮やかな赤い色のが映えるでしょう。でも、薄紫色にしたの。私の思い出の花。すみれの花のように優しく、いつまでも香るように。ほら」


 スミレのように優しい眼差しで彼女はバラを差し出した。ほんのり甘酸っぱい中にもほのかにシャボンの香りがした。


「……石鹸?」

「ふふふ。種明かししちゃった」


 彼女はもう一度ふふっと笑うと優しい瞳で、けれどもどこか哀しげな瞳で僕を見つめた。


「よかったら私の昔話、つきあってくださらない?」



  ◇



「出来心だったの」


 可憐な淑女はうつむきながら手持ちぶさたにつくりもののバラを転がすとため息をついた。


「もちろん兄にも言われたわ。あのお方の私への想いは早咲きのすみれのようなものだと。若さゆえの気まぐれ。つかの間の香りと慰め。長くは続かないと。国民に愛される王子さまですもの、実際お妃候補は他にも沢山いたわ。そしたらしばらくしてあの人が狂ってしまったと聞いて」

「狂った?」


 淑女はつくりもののバラをくるくると回し始めた。


「ええ。国王様……あのお方のお父上が亡くなってすぐに。突然のことだったから、ご心労がたたったのではとも思ったけれど。なかには私への恋心ゆえだという声もあって。ずっと会っていなかったんですもの、その原因が私への恋心からであればどんなに嬉しいか。私だってそう望んだわ。それでついそそのかされてあんな試すような真似を……」

「試すって、何を?」

「あのお方が狂ってしまった原因を。あの高貴なお心が壊れてしまったのは国王様の突然の死によるものなのか、私への恋心ゆえか、それとも何か別の理由があるのか。裏で様子を見てるからあの人と話してその原因を確かめてほしいと。お父様に言われたらそうするほかないでしょう?」


 淑女はバラをひょいと投げるともう片方の手で受け取った。


「だってその頃の私は可憐で純粋で従順で? 疑うことも知らない絵に描いたようなお姫さまだったもの。ふふ、自分で言ってて笑えてきちゃう。実際はお姫さまでもなんでもないのにね。あの人にも言われたわ、I loved you not.って。愛してなかったなんて……結局ただ私の思い上がりだったのね」

「思い上がりなんて」


 なんだかこの人が可哀想に思えてしまった。


「でも突然そう思った訳じゃないでしょう?」

「そうね。贈り物をくださったこともあったわ。優しいお言葉も一緒に。でもその香りが失せてしまってはお返しするほかないでしょう? だからあの人に思い出の品を返すときに言ったの。Take these again; for to the noble mind Rich gifts wax poor when givers prove unkind.って」


 淑女はバラをピタッと止めると突き返すような仕草をした。


「どんな高貴な贈り物も送り主の態度がつれなくなってしまっては、その思い出も香りも幽かなものになってしまうんじゃないかしら? その優しいお気持ちあってこその大切な贈り物だったのに。でも――」


 淑女はため息をついて、バラをいとしそうに抱きしめた。


「きっと……私は間違えたのね。最初から素直に伝えてればよかったんだわ。あんな人の心を試すような真似をせずに。そしたら彼の態度も少しは違っていたかもしれない。I did love you once. 君を愛してたなんて、なんて悲劇でしょう」


 淑女は手持ちぶさたにまたバラをくるくると転がしたと思ったら、急にいいこと閃いたとでも言いたげに、なんだか熱い眼差しで僕を真っ直ぐに見つめた。まるで最後のおねだりをするように。


「私の最後のお願い、聞いてくださらない?」

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