或いは時の交錯

「あ、おかえりなさいマスター! ちょうどマヌーもいま眠ったところでって……マスター?」


 後ろ手に子ども部屋の扉を閉めると、階下の廊下を足早に通り過ぎる人影があった。

 どことなく平面的で現実感のない黒い影に違和感を覚えながらも、今日はクリスマスでカフェもお休みだし髪の短さからして奥さんでないことは明白だった。

 結構大きめの声で話し掛けたし聞こえてないはずないんだけど。無視しなくてもいいじゃないかと少し不審に思いながら、僕は人影が消えた応接間を覗いた。


「……え……?」


 応接間にはマスターどころか人影一つなかった。唯一の出入口はまさに今僕が塞いでいるし、東の出窓だって人が通り抜けられるほど大きくは開かない……。つまり……。

 と、そこまで考えて僕はその先を考えるのをやめた。


 勘だけを頼りに生きる僕にとって、上から落ちてくるブロックを積み上げて消す系のゲームなど一瞬で負けてしまう計算能力も最弱の僕にとって、密室系謎解きをクリアするなど到底無理な話だ。盤上ゲームならまだ熟考する時間も運もあるけれど。

 万が一ルールをはみ出た超常現象だった場合にも、解いたところで僕にはそれらから身を守る術が何一つない。

 とりとめもないことを考えて視線を泳がせていると、ふと書斎机の上にある例の絵葉書が目に留まった――。


 あぁ、どうして気づかなかったんだろう……。

 閃きが確信に変わるまでそう長くはかからなかった。


 今まで何度も目にしているのに、僕は疑いもしなかった。絵葉書にはいつも既視感を覚えていたし、青いインク文字は相も変わらずそこにあった。いつかマヌーが旅先から送ってくれたんだと見せてくれたあの絵葉書と同じ、青いインク文字が。


「……ルーク……」



 ほどなくしてカランコロンとカフェのドアベルを鳴らしたのは、朝食のシリアル用のミルクを買い出しに行っていたマスターだったということを、僕は中庭横のキッチンで知った。


「近所のお店閉まってたからもう一軒先まで行ってきちゃったよ」

「最近あの市場も人気が出てきたみたいじゃない? あの愛すべき小さな市場が有名になるのは大賛成よ。ちょっとだけ、寂しい気もするけれど」

「はは、君は本当に。愛情深いのも考えものだね――そう言えばチアキくん、あの絵葉書持ってってくれて大丈夫だよ。むしろあげるよ」

「あ、いえ。少し借りるだけでいいんです。ありがとうございます」



  ◇



 午後になって、僕は街の図書館へ向かっていた。冬もいよいよだというのに、道端に残っていた雪は今朝からの小春日和で溶けてしまったようだった。中庭でマヌーとポーンの残念がる姿が目に浮かんだ。


 会えるかどうかはわからなかった。けれどここならもしかして彼に会えるかもしれない。そんな僕の無謀な挑戦は、あっけなく目の前の人混みにかき消された。


 意気込んだ僕の想像と現実は大きくかけ離れていた。束の間の初雪と今朝からの暖かい陽気に誘われたのか、円型の図書館前の広場は思いのほか人通りが多かった。これではたとえすれ違ったとしても気づかないかもしれない。一体ここまで来て僕は、何してるんだろう……。 


 急に自分が情けなく思われて、僕は大きくため息をついた。

 現実なんてそんなもんだよと呟きながらいま来た道を戻ろうと左へ顔を向けると、僕を見つめる視線とバチッと目が合った。


「チアキ、どうしたの? こんなとこで」


 彼は驚きを隠せない少し緊張して見開いた瞳を僕に据えたまま、でも親しみを込めて小さく手を振りながら僕に近寄ってきた。


「今日は、クリスマスなのに」

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