ロマン溢れるつくりもの
マスターとお師匠さんとの思い出話を聞いているうちに、僕は会ったこともないはずの人に昔から知っているような懐かしさを感じ出した。
マスターの話を聞く限り、お師匠さんはいまはもう仕事の世界からは離れているようだった。その理由はマスターもよく知らないみたいで首を傾げていたけれど。
なんでもお師匠さんが最後に引き受けた仕事が完成間近で最初からやり直すことになったらしい。でもそんなことは日常茶飯事だったから特に気にも留めなかったと。
ただそのあとに。あのどんな小さな仕事でも投げ出さない職人気質のお師匠さんがそのときだけは、やり直すこともそれ以降その仕事の話題をすることも一切なかったそうだ。
マスターはいつだかお師匠さんが満月のような月を見ながら呟いた言葉が未だに頭から離れないと言っていた。その意味すらも、自分にはわからないのに、って――。
「そうだチアキくん、これ見てよ」
突然マスターが胸ポケットにさしていたペンを差し出した。よく見るとペンの上部にガラスで出来た小指ほどの小さな砂時計のようなものがついている。
「ついに手に入れたんだ! 星時計のレプリカ風サイフォンボールペン。限定品なうえに壊れたらそれきりだからもう数自体あまり残ってないんだよ」
そんな貴重なもの胸ポケットに突っ込んでいていいんだろうかと思いつつ「ここ触ってみてよ」とマスターが言うので、僕は壊さないように小さな砂時計の上に指先の腹をちょこんとつけた。
「何か楽しいことを考えてみて」とまたもやマスターから指令が出たので、僕は悩みながら、でも結局はそうするのが当然のように、星の降る山を見ながらマヌーと過ごした日のことを思い出していた。
すると突然、いままで重力に従ってさらさらと流れ落ちていたつくりものの星の砂が、逆回転するかのように今度は上に向かって流れだした。思わず目を見張る僕にマスターは満面の笑みで言った。
「これぞ魔法の力だよ。宇宙のロマン」
僕はまさか本当にこんな小さなものに魔法が宿るんだろうかという疑問と、本当に魔法が存在するんだと信じたい気持ちの間で揺れていた。
ふとマスターを見るとクスクスと肩を揺らして笑いをこらえている。僕がポカンと見つめていると、マスターはついに観念したように白状した。
「ごめんごめん! あんまりチアキくんが真剣に見入ってたからつい」
「実は魔法でもなんでもなくて熱で中の星の砂の流れる向きが変わる仕組みなんだよ、本当にサイフォンみたいでしょ」と今度は星時計のレプリカをひっくり返して指の腹で温めながらマスターが言った。星の砂は気だるそうに向きを変えて流れだした――。
僕はちょっとがっかりした。いや、かなりがっかりした。でも星時計のレプリカはそうとわかって見ていても、やはりきらきら煌めいていて綺麗だった。
ラジオからはふたたび子ども向け番組の先生役の声が流れていた。宇宙好きの人たちに向けて、マスター曰くロマン溢れる物語が語られていた。
「さて、この宇宙と銀河の歴史は古く、はるか昔に混沌より生まれたと言われております。えー教科書によれば、そのなかでも私たちのいるこの天の川銀河はとくに光と闇の入り混じるいわば遊園地のような場所と言われておりまして、この銀河の中心にこそ幻の星時計があると言われて――」
「はい、先生!」
「どうしましたか? きみ」
「だれか混沌から生まれるところを見たことあるんですか?」
「はい、先生!」
「どうしましたか? きみ」
「だれか幻の星時計を見たことあるんですか?」
「お母さん!」
どっと笑い声が起こった。
忙しくなってきた店内を歩き回るマスターをしり目に、ポーンが首輪をきらっと光らせてラジオの前で寝そべっていた。
こんなことを言ったら笑われるかもしれないけれど、ラジオから笑い声が聞こえるたびに耳をパタっと動かすポーンの姿は、どことなく、ラジオから流れるお話に聞き入っているように見えたんだ。
「そうだ、今夜はうちに泊まっていったら? きっと中庭から月が綺麗に見えるよ。風邪を引くといけないからちょっとだけ。あとは中庭のそばのガラス張りの小部屋で温かい飲み物でも飲みながら、どう? 夜だからコーヒーはあれだけどさ、うちの奥さんがおいしいハーブティーを淹れてくれるよ。家の二階に空き部屋があるから良かったら使ってよ」
店じまいを始めたマスターから思わぬお誘いを頂いた。なんでもマスターと奥さんには子どもが一人いて、いまは隣の街で家庭を持って自立しているらしい。それで使わなくなった子ども部屋をときどき学生さんに間貸ししてるそうだ。僕は喜んで誘いを受けた。そろそろ満月も近い冬の夜だった。
そしてすっかり忘れていたけれど、そう、その日はクリスマス・イヴだった。
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