聞いた話
ペーパー・ムーン・カフェのマスターは宇宙のことが大好きで、よくラジオから流れてくるその手の話題に耳を傾けていた。
何でそんなに好きなの? って聞いたら、「これこそロマンなんだ」って言って少年のように真っ直ぐな瞳を輝かせてた。いつも静かに見守るような眼差しのマスターが急に子どものようにはしゃぐ姿に、僕はなんだか少し可笑しくなってしまって、思わず微笑をこぼしていた。
その日もなんとかいう子ども向けの番組の、星時計の歴史や宇宙の歴史とかいう果てしない話を真剣に聞き入っていたっけ。――
「さて、これが世に聞く幻の星時計というものですが、この中をさらさら流れ落ちる砂のようなものは星の砂とも星のかけらとも呼ばれております。えー教科書によれば、星時計の歴史は古く、人間が生まれる前からあったとも宇宙の始まりからあったとも言われておりまして――」
「はい、先生!」
「どうしましたか? きみ」
「どうして人間が生まれるまえのことがわかるんですか?」
「はい、先生!」
「どうしましたか? きみ」
「だれか宇宙の始まりを見たことがあるんですか?」
「はい、お母さん!」
どっと笑い声が起こった。
「きみきみ、私はきみのお母さんではありませんよ」
そう言って先生役の人は苦笑していた。
案外子ども向けの番組って手が込んでるんだなあ――。
気づけば僕もマスターと一緒にそのラジオに聞き入っていた。
僕はマスターの淹れてくれたコーヒーを飲みながらカウンター席のまん中でラジオを聞き流していた。マスターは相変わらず真剣にラジオに聞き入っているようだった。
「……さあ、みなさんも今夜は夜空を見上げてみましょう。だって今日は特別な……」
ふと左の席を見ると、いつの間にか猫が丸くなっていた。あれ、この店に猫なんかいたかな? と思いつつ、ラジオに真剣に聞き入るマスターを邪魔するのもわるいので、僕は静かにその猫を観察していた。
すると僕の視線を感じたのか、猫は姿勢を崩さぬまま急に僕のほうに顔を向けた。小さな満月のような瞳が、僕をじっと見つめた。
僕が撫でると猫は逃げるそぶりもなく、あたりまえのように椅子の上で丸くなっていた。すると今度はもぞもぞと動きだし、姿勢を変えたと思ったら僕のほうを向いて座り直した。首もとに何かキラッと光る丸い鈴のようなものをつけていた。よく見ると半透明の鈴の中にはきらきら光る砂のようなものが見えた。
マスターがラジオのチャンネルをいじりだしたので、僕はタイミングを見計らってマスターに話し掛けた。
「あの、この店で猫なんか飼ってましたっけ?」
「ああ、会ったことなかったっけ。たまに遊びにくるんだよ。ほんとに気まぐれでね。最近はただ昼寝しに帰ってくるようなもんだよ」
困ったもんだと言いながら、起きた猫を撫でるマスターの顔には微笑が浮かんでいた。
そう言えばなんだかマヌーって猫みたいだな。気まぐれだし。僕は猫とマスターを見ながらそんなくだらないことを考えていた。
「ポーンていうの。よろしくね」
そう言ってマスターはポーンを小脇に抱えると、小さな猫の手を借りてお茶目に僕に挨拶した。
ポーンは飾り程度にニャッと軽く鳴いた。
なんでもポーンはカウンター席が大好きで、たまにチェスをやってるお客さんがいようものなら、駒を動かすたびに猫の小さな合いの手が入ってそれはもうゲームどころではなくなるらしい。
その中でも特に好きな駒がポーンというんだそうな。一時間でも二時間でもポーンを転がして遊んでいるらしい。
そのポーンとやらをいつだか見せてもらったら、小さな台座の上にツルっとした球体のようなものが乗っていた。これは確かに猫でなくてもちょっと触りたくなるな……。僕はポーンに同意した。
ポーンの鈴があまりにきらきら光っていたので僕はマスターに言った。
「きれいな首輪ですね」
「ああ、これね。もうだいぶ昔に僕のお師匠さんからもらったんだ。いつか必要なときがくるからって。おかげでポーンは喜んでいるよ。結構気に入ってるみたいでね」
そう言ってマスターは猫を軽く撫でた。
師匠……珈琲を教わった先生のことだろうか?
マスターは続けた。
「もう筋金入りの職人みたいな人でね。どんなに小さな仕事でも手を抜かない。常に全力。気に入らなかったら完成間近でも構わず全部最初っからやり直し。そして究極の一品が完成するまで絶対にあきらめない。僕は何度音をあげそうになったかわからないよ」
そう言いながらマスターは頭を軽く掻いた。
何かを懐かしむようにフッと思い出し笑いするマスターの姿に、僕はいままで知らなかったマスターの思い出に少し触れられたような気がして、そして若いころのマスターに会えたような気がして、なんだかちょっと嬉しくなった。
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