風の吹く丘で
あれから僕たちはいろいろ話した。今までのこととか生き方とかこれからの将来について。なんて話ではなく、食べものは何が好きかとか、あの丘の上から見る街の景色が最高だとか、あの鳥の名前は何ていうんだろう、とか……。なんだか本当にたわいない話ばかりだ。もっとこう、聞きたいことも伝えたいことも山ほどあったはずなのに、一緒にいるとついついそんなことはどこかへ飛んでいってしまって、明日はあの橋まで行こうよとかまたそんなことをしているうちに、あっという間に夏が過ぎてしまった。
僕たちはよく小高い丘の上で過ごした。ここは僕たちのお気に入りの場所だった。丘の上から街全体が見渡せて、街のむこうには大きな山がそびえていた。夏が過ぎるとこの街の人たちはいまかいまかとうきうきして過ごすんだ。「そろそろ雪が積もるかな」とか「今度雪が降ったら一緒に見に行こうね」とか、みな思い思いに愛着を持って、この街を見守るように聳える山を愛していた。
この山の名前は――実は僕もよく知らないんだ。みなそれぞれに呼び名が違うんだもの。白いぼうしの山、わたがし山、気まぐれ山にあおぞら山、なかには神々の山なんてのもある。僕たちのあいだでは――ここから先は、ちょっと秘密。
天高く気は澄みわたり、すべてのいのちがその生を謳歌していた。黄金色の草原、そよぐ風たち、真っ青な空――夏の終わりに遠慮がちに差し込んでいた秋の気配もいまは自らの居場所に一片の疑いもなく世界を満たし、あらゆる命が色鮮やかに輝いていた。
「今日は星のかけらがきっとよく見えるよ。今夜はチアキも一緒に見ようよ」
「僕には無理だよ。見つけ方がわからないもの」
「わかるさ。字を読むように星を読む。意味なんてない。世界はただそこにあるんだよ」
わかったようなわからないようなマヌーの言葉にいい加減に話を合わせながら、僕は木製のベンチに腰かけて、いましがた目の前を横切って飛んでいった小さな鳥を目で追っていた。
するとおもむろに立ち上がったきり両手で日差しを遮りながら何かを眺めていたマヌーが、突然ふり向いて言った。
「きっと世界は繋がっているんだ。網の目のように」
いよいよ意味がわからなくなってきた。いや、マヌーの言うようにそもそも意味なんてないんだろうか? そんなことを思っているうちにマヌーはまた元に向きなおって街のむこうにそびえる遠い山なみを眺めていた。
「だってそうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ釣り合いがとれないもの。星時計はいつだって絶えることがないんだ」
風にまじっておどけたような鳥の鳴声がわずかに届いたが、姿はもう見えなかった。――
星時計とはマヌーのお決まりの話で、この話題が出てくるころにはたいてい、遥かな宇宙の構造やこの世界の仕組みについてのマヌーの絶えることがない想像力も底をつくのだった。
「ねえ、そろそろ日が暮れるよ」
「チアキも見てみたいでしょ、ねえ」
マヌーはサッと腰を降ろしながら僕を覗きこんだ。琥珀の瞳がいつにもましてきらきらしていた。そしてお気に入りの夢のつづきでも見るようにうっとりした表情で、夕日に染まる茜色の空や紫がかった流れるような雲を見上げて目を輝かせながら、いつものお決まりの言葉で締めくくった。
「いつか見せてあげたいなあ。――さらさらと流れおちる星のかけらは絶えることがなく、どこかへ消えてしまうでもなく、確かにそこにあるんだよ。万華鏡みたいにきらきら煌めいて、ほんとうに綺麗なんだ」
マヌーのいう星時計なるものが一体どんなものなのかは、僕にはわからなかった。神話やおとぎ話の中のものなのか、あるいはマヌーの想像の世界のものなのか。もしかしたら、宇宙の始まりからあると言う星時計をマヌーが本当に見たことがあるのかもしれない、なんてことを思ったりしてみては、そんな考えは鳥のようにすぐどこかへ飛んでいってしまった。
それでも星時計の話をしているときのマヌーは真剣そのもので、見ているこっちがなんだか少し恥ずかしくなるくらい、真っ直ぐだった。
そのときの世界中の輝きを閉じ込めたようなマヌーの琥珀の瞳はいまでも鮮明に思い出せるんだ。この瞬間を永遠にとどめておけたらいいのにって、何度も思った。もし本当に星時計があるのなら、この瞬間も星のかけらのようにいつまでも消えることがなく、絶えることもなく、永遠にとどめておけるのだろうか。
そんなことを考えれば考えるほど、僕の目のまえで夕日に琥珀の瞳を輝かすマヌーの姿がよりいとおしく、きらめいて見えた。
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