ゆくりなく
中庭横のキッチンはオレンジの光にてらされて、いつもの昼間からクリスマス・イヴに様変わりしていた。
灯されたばかりのロウソクの炎が揺らめいて、キッチンの壁一面に飾られた白地に藍色の模様の入った磁器の皿に反射していた。
テーブルの上のグラスにはなんだか見かけたことのない不思議な飲み物が注がれていた。
「コラ・デ・モノっていうの、可愛いでしょ」
どうやらマスターのお手製のようだった。
「前に住んでた国でクリスマスになると飲んでたんだ。もう僕と奥さんはこれがないとクリスマスが始まらないんだよ。今日はお酒入ってないから、好きなだけ飲んでね」
確かにグラスに立てられた一本のシナモンスティックはどことなくお猿のしっぽのように見えて、可愛いと言えなくもなかった。ひと口飲んで僕が虜になってしまったことは、マスターの満足そうな笑顔を見れば誰にでもわかったに違いない。
マスターと奥さんの手料理はどれも絶品だった。オリーブと木の実のサラダ。じゃがいものポタージュ。ホウレン草とキノコのキッシュ。大豆を使ったハンバーグに、ナスとトマトのラザニアに、えーと、あれは何て名前だったかな、芽キャベツの……もっとちゃんと名前を聞いておけばよかった。あとあの料理も美味しかったし。とにかくもう美味しい料理ばかりで、僕は夢中で食べてしまった。
僕は料理に詳しくなかったから、小洒落た料理が出てくるだけで嬉しくなってしまって、そのたびに喜んでいた。二人はそんな僕を笑いながら見つめていたっけ。
食後のデザートはナッツやドライフルーツのいっぱい入ったプラム・プディングだった。いままで食べたことのあるプディングとは違ってどこか軽やかで、直前まで豪華な料理を食べてさえいなければ何個でも食べられそうだった。口に入れるとふわっとココナッツの香りがした。
「ブランデーソースの代わりにココナッツオイルと豆乳のジェラートを添えてみたの」
奥さんの料理はいつも冒険心に満ちているようだった。冒険がいつも上手くいくとは限らないけれど、今回の冒険はとくに、素晴らしい出会いに満ちていた。――
僕たちは料理を食べながらいろいろ話した。この街のことや二人がいままで旅してきたところ、それに、お気に入りの場所のこと。
マスターと奥さんはいまでこそこの街に落ち着いているけれど、それまで世界中を旅してきたらしい。言われてみればキッチンには針金で出来た小さな自転車の置物や、お面のような小さなお皿など、見慣れないものがいくつも飾ってあった。
なかでもキッチンの中庭側の窓辺にはちょうど猫のポーンぐらいの大きさのなんだか変わった像が置いてあって、僕は中庭へ行く度にずっと気になっていたのだけれど、その像も二人が旅をしていたころに買った自分たちへのお土産なんだそうだ。
「ガネーシャっていうの。我が家の守り神なのよ」
奥さんはお茶目にそう言うと、そばまで行って像の頭を数回撫でた。
窓辺の守り神は沈黙を保っていたけれど、どことなく優しそうに見えた。ちぐはぐな旅の土産が優しい世界に彩りを添えて、どことなく愉快な雰囲気が漂っていた。中庭横のキッチンは住人の歴史を纏ってどこまでも調和していた。なんだか大事な宝箱を見せてもらってるような気がして、僕はちょっと嬉しくなった。
豪華な夕食を一通り楽しんだ後、奥さんが夏の間に育ったハーブを収穫して作った特製ハーブティーを淹れてくれた。一口飲むとさわやかなレモンのようなリンゴのような香りが口一杯に広がった。
流れる時間は穏やかで、すべては優しかった。こんなにゆったりした時間てあるんだろうかと不思議に思うくらい、すべてのしあわせを詰め込んだような、贈り物のような夜だった。
ハーブティーを飲みながら、僕は二人にお気に入りの場所の話をした。そしてマヌーの話題にさしかかったとき、僕は思わず言い渋ってしまった。
「そうすると、チアキくんはその大事なともだちとずっと会えていないんだね?」
心配そうなマスターの言葉に僕は力なくうなずいた。
「突然だもの。そんなのどうしようもないわよね」
奥さんの励ましになんとも答えることが出来ず、僕はさらに俯いた。
「もしこうなるとわかっていたら――」
二人の優しさに、僕の弱気な心が思わず顔を出した。
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