颯太(1)
雨足が強いせいかその日も客は二組だけだった。
閉店まであと三十分。
この分だと今日はこれでももう終わりだろう。
残った野菜がほとんど出なかったのでバナナを買っておいてよかったと思った。
少し早いが店じまいの準備を始めたとき客が一人入ってきた。
おしぼりと水の入ったコップを持ってテーブルについた客の元へ行く。
「閉店まで三十分ですけどいいですか?」
「いいよ」
笑顔でそう答える客の顔を見て、思わず不自然に顔を背ける。
男は颯太の友人の彰斗だった。
なぜ彼がここに?
メニューを眺めている彰斗をちらりと盗み見た。
自分に気づいてないのか?
初めて会ったあの時はすでに泥酔していたし、彰斗が寝ている間にほのかと一緒に帰ったので顔を覚えられていなくても不思議ではない。
野菜炒め定食の注文を調理場の奥で受け取る。
極力顔を彰斗に向けないように料理を運んだ。
「あの、すみませんけど」
声をかけられどきりとする。
「お酢もらえます?」
一凛は慌てて片付けてしまった酢の瓶を店の奥から持ってくる。
彰斗は一凛の顔をまっすぐ見て
「ありがとうございます」
と礼を言った。
大丈夫。
彰斗は自分を覚えていない。
十時五分前に彰斗は一凛の作った野菜炒め定食をきれいに食べ終わり会計を済ませた。
この時には一凛もすっかり気を許し彰斗に笑顔を向けていた。
「ありがとうございます」
よほどお腹が空いていたのかもしれないが、出された料理を完食してもらったのが素直に嬉しかった。
おつりの小銭を受け取った彰斗は言った。
「あの一凛さんですよね?俺のこと覚えてます?ほら、前に颯太と一緒に温泉宿で」
笑顔のまま一凛は固まる。
「最初からそうかな?って思ったんですけど、髪が短くなってて印象だいぶ違うし、でもその笑顔で確信したんです。笑うと右側に少しだけえくぼができる」
彰斗はそう言って自分の右頬を指差した。
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