キス(3)



「ねえ、あなたはキスしたことある?」


 檻の奥にいるゴリラに話しかけながら、さっき自分にせまってきた颯太の唇を思い出していた。


 もう少し時間が経てばああいうシチュエーションで自分も頭がスパークしたり、音楽が聞こえてきたりするのかも知れない。


 せっかくなら、「こんなもんか」じゃなくて自分もキラキラした目でファーストキスを語りたい。


「アホか」


 振り返ると依吹だった。


「動物がキスするわけねーじゃん」


 依吹は昔より口が悪くなったような気がする。


「チケット売りのおばちゃんが最近毎日のように一凛が来るって言うから、どうしたのかと思ったら、やっぱりここか」


 依吹も一凛の横に並んで檻の中をのぞきこむ。


「動物の中にはフェロモンを確認し合うために鼻をこすりつけあって、それがキスしているように見えるのもあるけど、根本的に人のするキスとは違うな」


 依吹はポケットから青りんごを取り出すと鉄格子の隙間から投げ入れた。


 りんごはコロコロと転がってゴリラの足元にぶつかって止まった。


「それでイケメンの彼氏とのキスはどうたった?」


 そう言う依吹の唇を盗み見る。


 颯太よりも薄くてでも幅が広い。


 さっき目の前で見た颯太の厚くも薄くもない形のよい唇と依吹の色の薄い唇が重なるのを想像した。


「依吹も彼氏とキスしたりするの?」


「彼氏?」


 依吹は一瞬怪訝な顔をした。


「ああ、その話かぁ」


 そう言ったっきり何も言わない。


 一凛は急に気まずくなってゴリラの足元に転がるりんごを見つめた。


「あの青りんご食べようとしないね」


「ああ、あれ青リンゴなんだ」


 しまった。


 つい依吹の目のことを忘れてしまう。


 気まずさがさっきの三倍くらいになる。


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